3.

3.



 他のすべてはくだらない。

 ハンドメイド・オートマトンのみがこの世の真価だ。

 ルーメンス・ライヴシフトはそのような価値観に則ってこれからを生きてきたし、これまでも生きるのであろう。そして言うまでもなく、その間隙の現在を生きている。

 はずなのに。



 ミュージアムの端に構えられた月例展覧会のブースは、会場中央部ほどの喧騒や熱気は感じられない――当然。ブースを囲うダーク・ブルーの防弾防音パネルにより、まずまずの静寂を構築することに成功しているのである。

 ティアサイド・オートマトン・ミュージアム内で、月例展覧会が開かれるのは珍しいことでない。

 展覧会とは、数々の『人形屋』が自発的意思で集い、各々のハンドメイド・オートマトンを一同に介し交流する機会であった。

 会場の入口で、歩みを止めた。

 ルーメンス・ライヴシフトの表情は変わらない。

 ただ、目立たぬように――ゆっくりと、大きく、呼吸する。

 肺の中の空気を入れ替える。

 そこには、

 何もかもの色彩に、何もかもの光輝があった。

 すべてが満ち溢れていて、同時にすべてが喪失しているとも言えた。

 ルーメンスは、このような類の――ハンドメイド・オートマトンの展示会に訪れて、ようやく、この世界における一種の安定性と固着性を認識し、また信じられるようになるのだった。




『お久しぶりです、ライヴシフト様』

 横手に図々しく現出し、彼の隣に浮遊する立体グラフィクス・オブジェクトを、ちらりと一瞥した。それで十分だった。

 半透明に描画調整されたこのグラフィクスは、このブースにおいて、オートマトンや関連する情報提示機能を執り行う梟型の模擬人格ヴィジョンであった。名前は何だったかな――どうでもいい。

 グラフィクスが何かを言いかけたが、ルーメンスは直後に音声で自動トーク機能をオフに設定した。

 その両の眼窩を彩るのが、ヒト用の人工眼に替わっていることに気が付いて、ルーメンスはつい微笑した――馬鹿馬鹿しい。純粋なスタンディング・グラフィクス・オブジェクトに人工眼設定とは。

 悠々とした足取りで、ルーメンスは会場を歩み始めた。




 ブースを歩き回る。見て回る。飾られるのは無数のユニークなオートマトンたち。時に近づき、時に語りかけ、時に触り、その美術的達成度や、職人芸なシステムや、バラエティ溢れるアイディアに心底から敬服する。他の人形屋と技術や理論について会話を交わす。

 楽しい時間を満喫していた。

 ルーメンス・ライヴシフトは、気付こうとさえしてない。

 ある恐るべき、偶発的直感――奇妙な違和の分子とでも言うべきものが、彼の精神に、徐々に、絶え間のない累積を続けていて――それを避けている事実に、彼は気付こうとさえしていない。




 展覧会の端に、がらんどうのスペースがあった。

 暗黒色の保護用マットだけが、床に敷かれている。

 まるで、そこにいたはずの、一体のオートマトンが消えてしまったようにも見えた。

 彼は、情報提示型の梟型グラフィクスの方を仰ぎもせずに、抑揚のない口調で訊く。

「フランツ兄妹は、やはり来ていないのか」

 梟は、プログラムされた通りに――明々たる声音で回答した。

『彼らは、「もう飽きてしまった」そうです。ウェブ上の情報は見ていないのですか?』

「見た。現地で確認したかった。……本当に、いないのか」

 嘆かわしいことです、と言わんばかりに、梟は頭をゆっくり振った。

『フランツ兄妹はインスタント・メッセージをひとつのみ残して、ネットワークにおける他のすべての記録を消し去りました――あの類稀なるマトンの設計図案も含めて。財産を注ぎ込んで築き上げた、今までの生活がつまらなくなったので、「遠い場所」に移住手続きを進めている、とのこと。当然、オートマトンも出展されていません』

「知ってる」

 フランツ兄妹とは長い付き合いだった。展示会ではしばしば交流していた。ひどい変わり者の二人組だったが、ルーメンスなどより、遥かに素晴らしい精緻極まるオートマトンを積極的に創り出していた。

 ――飽きてしまった、か。

 飽きてしまったなら、仕方ないか。

 ルーメンスは背を向けて歩き出した。




 良く似た、がらんどうのスペースがあった。ルーメンスは再び立ち止まった。

「マーシュビッツも、いないのか」

 梟が、ほんの少しの間を置いてから、淡々とした語調で答えた。

『他の参加者の音声情報を集積し、その内容からわたしが推測した結果ですが――彼は一種の宗教的模索の旅へと出発されたそうです。彼もまた、すべてのネットワークにおける活動記録を消滅させています。オートマトンは出展されていません』

「誰しも、最期はひとりで死ぬもの、か」

 梟は答えなかった。当然だ。それを解釈する頭脳さえこいつには用意されていない。

 マーシュビッツは燃え盛る炎のような男だった。彼のオートマトンには、その熱気がありありと反映されていた。ルーメンスは冗談のような労力が割かれたであろう彼の操るギミックを思い出した。良く造られたオートマトンに宿るらしい『魂』なるものを、握り拳を震わせながら語る青年――あの熱意は、一体どこからやってきたのだろう? そしてその情熱は、今は――。

 ルーメンスはふたたび歩き出した。




 再度、がらんどうのスペースで、ルーメンスが、

「ミス・ハピネスは」

 梟は、やや訝しむような語調で、

『あの方は、半年前にメイキングをやめていますが』

「……どう、書いたんだっけな」

『はい?』

「最後のメッセージ。ハンドメイド・オートマトンに関連付けられた、最後の」

 長くはない検索期間を置いてから、梟が、言った。

『「結局はつたない遊び、わたしは夢の断片、意味のない拠り所にすがっていただけだった」……ですか? 彼女が残したのは、その一センテンスだけです』

 ルーメンスは反応しない。

 是も否もなく、沈黙している。

『――ところで、ミス・ハピネスは、現在ルナ環境における在宅育児の講座を開かれているのです。かなり好評のようですよ。ネットワークから閲覧されますか?』

「しない」

 ミス・ハピネス。顔なじみだ。高らかなソプラノで大いに語る古風な服装の婦人。特有のウェットと慈愛に溢れる設計で有名な人形屋だった。

 ルーメンスはがらんどうのスペースから歩み去った。




 数十分後。

 あるオートマトンの真正面に、ルーメンス・ライヴシフトは立っていた。既に梟のグラフィクス・オブジェクトは消去している。彼の姿を通して、展覧会の数多くの照明光源が、同数の影たちを床に染みつけている。

 その自動人形も、彼の真正面で、ルーメンスを見つめている。

 ルーメンス自身の手によるオートマトンだった。

 体長は一メートル八八センチ。基礎体重は百十三キログラム及び状況により上下動。フレームワーク・デザインと基軸ソフトウェアには汎用ライセンスのものをベースとしているが、それでも完成に半年掛かった。ボディカラーは白が基調で、全体として丸っこい体型である。関節を省いた腕の先にはケット・シー機構による吸着を可能とした柔らかな球形の手があり、四基のキャタピラが繊細な移動を可能とする。顔立ちは丸い二つのカメラ・レンズがあるだけというシンプルなもので、左目の下に備えられたひとつのシグナル・ライトと首の微妙な動作のみで感情を示す。

 優しい魔人、といった風情がある。性格設定もそのようにしている。

 名を、オリオンという。

 ルーメンスは、自分のオートマトンが大好きだった。

「調子はどうだ」と、彼は語りかけた。

 ――ちか、ちか、と。

 オリオンの左目の下の光点が輝き、作り手であり主人でもあるルーメンスの存在を、白色のオートマトンは認めた。

 調子は、悪くないようだな。

 ルーメンスは見慣れたシグナルの意味を認識し、

 ふと、

 革靴の先の底を、床にターンさせて、

 月例展示会のすべてを、静かに、くるりと、見渡した。


 ティアサイド・ホールの隅に設置されたブース――ここには、大勢のオートマトンたちと、人形屋たちがいた。幸せな場所だった――数え切れるはずもないほどの、精密さや、美しさや、熱意や、アイデアや、自慢や、暖かみや、力や、愛情や、向こう見ずさや、簡単な間違いや、ひらめきが――その他の、沢山のものがあった。

 沢山の、思いがあった。

 だが、諦念はないようだった。

 諦念を抱く者など、必要ないようだった。


 言われるまでもなく。

 言われるまでもなく、ルーメンスは他の誰よりも理解している――自分のオートマトンには、フランツ兄妹ほどの精巧さも、マーシュビッツほどの勢いも、ミス・ハピネスほどの愛情もない。残念なことに。

 そこが、ルーメンスの限界だった。

 彼は、自らの限界をよく理解していた。

 自分のオートマトンが大好きだった。

 だから、この場を立ち去ってしまいたかった。

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