* * * * * *

 シェーラとレベッカの双子の姉妹は十一月の十二日、スコットランドに生を受けました。父のジョンQは戦禍のベトナムから辛くも脱出し、移り住んだ東ドイツから香港経由でイギリスに亡命したケルト系、母のヴィクトリアはフレンチ・ポップで有名になったギリシア系の歌手でした。

「パパは神様を信じる?」

 幼い頃シェーラはをして右目に少し怪我をして、病院から父親におんぶされる帰り道にそんな事を尋ねました。

「あんまり信じないかなぁ。あ、でも君らが双子だって聞いたときは奇跡を感じたな」

「双子?」

「僕がベトナムで枯葉剤浴びたから、君らに遺伝子異常が出ないかそれは心配だったってこと」

「その話の教訓は?」

「うーん、【のだから、より安全に】?」

シェーラはこの話にいたく感激してそれを自身の人生訓としました。(結局、右目の視力は少し落ちたままで、シェーラは右目だけを細めて左右非対称の表情をする癖が付きました)

 さて家族仲も夫婦仲も悪いものではありませんでしたが如何せん方や深夜の遅い研究職、方やヨーロッパ中を飛び回る歌手でしたからあまり家族の時間が取れないでいました。そこで夫婦はやや奇妙な結論に達しました――双子それぞれに、どちらに付いていきたいか尋ね各々の判断と自由意志に任せる、というものでした。

「お、おらは、ママさ付いていぐ……」

引っ込み思案のレベッカはもじもじしながらそう答えました。しかしシェーラの答えは妹をビックリさせました。

「私は、パパに付いていく!」

レベッカは、双子の姉も自分と同じ選択をするだろうと思っていたので、酷く動揺させられました。しかしそうであっても母性の魅力は抗いがたいものでした。

 結局シェーラは父親と共にイギリスに残り、レベッカは母親と一緒にドイツを中心にヨーロッパをあちこち飛び回りながら、各々の多感な時期を過ごすこととなりました。シェーラは父親に連れられてきた香港で触れたアジアの文化から日本のオタク文化とサブカルチャーに触れ、他方レベッカは派手で目立つことが嫌いでしたから、ドイツでゴスっぽい文化に染まっていきました(シェーラは金髪でレベッカは赤毛だったのですが、この頃からレベッカは髪の毛を暗く染めるようになりました)。平たく言うと、ゴスロリとゴスのような差が姉妹には生じてきたわけです。けれどレベッカは行き過ぎたゴスは逆に目立ってしまうことに気付いて、段階的にゴスからエモに転向していき、そのうち大人しくなりました。

 さてシェーラはと言うと、父親にべったりでした。母親や妹といったライバルが消えたので当然ですが。父親の使っているずっしりとしたガラスの灰皿がどうしても欲しくて、「吸わないなら良いよ」と言ってシェーラはそれを大喜びで貰ったのですが、次の日に早速初めての煙草を吸って咳き込んだ拍子に床に落として割ったことがあり(シェーラは目を見開いて青ざめていました)、「十六になるまで煙草は禁止」と怒られたこともありました。

 口唇欲求が強いと自分でも思いました。(赤ん坊のとき口唇裂があったのも関係あったかもしれませんが、)喋ることは好きでしたし実際グラスゴー・スマイルのような大きな口をしていました。『ロシアより愛をこめて』でショーン・コネリーが「でも口が大き過ぎるの」と残念がるダニエラ・ビアンキに「ちょうど良いよ、私にはね……」といってキスするシーンが大好きでした。『ゴールドフィンガー』の姉役であるシャーリー・イートンや『黄金銃を持つ男』の【メアリー・グッドナイト】なんかは、なんて可愛い女性なんだろうと思っていました。

 一方、レベッカはと言うと『ゴールドフィンガー』でも妹役のタニア・マレットのほう、『サンダーボール作戦』の【ドミノ・ヴィタリ】ことクローディーヌ・オージェや『ユア・アイズ・オンリー』のキャロル・ブーケのような少し影のあるボンドガールというか、真面目寄りのボンド映画を好みました。要するに男好みの【馬鹿なブロンド女】といったステレオタイプをある種軽蔑していた訳です。

 双子の話の合うボンド映画は『ロシアより愛をこめて』『私を愛したスパイ』『リビング・デイライツ』『ゴールデンアイ』辺りで、後はだいぶ評価が分かれました。シェーラは大まかにはショーン・コネリーとロジャー・ムーア派で、レベッカはティモシー・ダルトンと『女王陛下の007』が好きでした。

 しかし父親はジェームズ・ボンドというよりは研究開発部門のQ、もっと言えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドク・ブラウンや晩年のサミュエル・フラーのような出で立ちの人でした。ぼさぼさの白髪をした帽子屋のような変人で、地雷を踏んで失くしたという左足の義足も自分で作ってひょいひょいと歩いていましたし、実際、クィアでした。

「パパの初恋の話、また聞かせて?」

シェーラはよく、そうせがみました。【帽子屋】はベトナムでの日々を懐かしむようにして言いました。

「あいつの名前は、日向有栖ひむかいありすと云ったんだよ。おかしな奴だったな、昼と夜がいつも混ぜこぜになって、区別が付いてないような男だった。お姉さんに似た綺麗な黒髪をして、そう本当に綺麗な黒檀の髪だった。睫毛が長くて、吸い込まれるような瞳をして。折角なら、もっと笑えば良いのに! いつもそう思っていたもんだよ」

しかしシェーラはその話を聞いて自分の金髪を黒く染めようとは思いませんでした。自分には自分の武器があるし、他人の真似をしても仕方ない。自分が持っている物で戦うしかないのだというある種の諦観が、自信の源になっていました。

 対して、レベッカはいつも内心おどおどしていました。しかしそれが表層に出てしまえば標的になるのは明白なので、目立たないようにして生きるというのが彼女の生存戦略でした。それが(特に染めた暗い色の髪が)表面上はクールに見えるので女の子の隠れファンは付きました。母親は若い頃からパパラッチにうんざりしていたので、そういう生き方をよく知っておりレベッカにも教えました。

 双子はそれぞれの田舎で育ち、それこそボンド映画で見るような都市の煌びやかな様を幻想しながら、それでも生活は満足していました。インターネットの登場で、双子は自然とフラッシュ・アニメーションやアングラなウェブサイト、ブラウザクラッシャー、ポルノ広告や匿名掲示板などの文化に触れていきました。

 田舎であっても情報が手に入る! ネット通販を多用し要らないガラクタを山ほど買いました。カルト映画のVHSやDVD……日本のコスプレ衣装やエアソフトガン、ビデオゲーム、PCゲーム――そう、オンライン対戦! 初代『DOOM』のデスマッチ! シェーラは一日中WADファイルを探したり時々、自分で作ったりもしました(コンピュータ・ウィルスを掴まされたこともありましたが……めげませんでした)。インターネットは世界の都市・田舎という二項対立をゴードン・フリーマンがバールを振り回すが如く解体し――すなわち物理的な中心・辺境は存在せず、常に自分が中心であるというエゴイズムを助長しました。

 より快適なインターネット環境を求めてマサチューセッツ州の大学に合格し、アパートを借りた時にルームシェアになるけど良いかね? と説明は受けていたのですが、そこは双子の姉妹で、レベッカも全く同じ選択をしており同じ大学で同じ部屋を借りていたということに、当日ばったりと鉢合わせして知りました。

 レベッカはオウムを飼っていました。『ユア・アイズ・オンリー』に出てきたような青いルリコンゴウインコです。それを見たシェーラが即座に『空飛ぶモンティ・パイソン』の「死んだオウム」のスケッチの真似をしたのが恐らくマズかったのでしょう。数年ぶりの再会だというのに、双子の姉妹は東西ドイツのような冷戦状態にありました。レベッカは毎日【幸せの青い鳥】であるオウムに愚痴を呟きますし、オウムが繰り返してシェーラに伝わりました。それを面白がってレベッカに伝えると「プライバシーの侵害!」と言って小競り合いが発生しました。

「オウムさ秘密にすてぇ事べらべら喋るのががべさ」

「人のオウムさケチ付けてヨ、そこでぐ、面白おもすろがってるのが人とすてがねべや」

「日記さ書けばがべしよ、すたらおら黙って読むへで」

「読むなぢゃ! おらだって人と喋りたいのさ友達が居ねがらよ!」

「ベッキー、んが小学生か? むがすイケメンさ騙されてカルト宗教さハマりがげた話すんべか? アイザックだがジェイコブだが……」

レベッカは一時期本気で彼氏を作ろうとして、コロッと騙されて洗脳キャンプまで行ったことがありました。ドイツはカルト宗教の危険性について学ぶ授業がありましたから、のところで正気を取り戻し逃げ出すことが出来ました。とシェーラは母親から顛末を聞いて腹の底から笑い転げました。

「んがすてその話ってらのさぁ!」

レベッカは半泣きになって顔を真っ赤にしてシェーラをぽかぽか叩きました。シェーラはケタケタ笑っていました。

 シェーラの部屋には美少女フィギュアやポスター、ゲーム機、パソコン、映像ソフトやモニタなど物に溢れていて、レベッカの部屋はいつも整理整頓・理路整然としていてミニマル、質素、必要最小限、言い換えれば、空っぽでした。シェーラは消費社会の提供する欲望に忠実でしたが、レベッカは抑制的でした。同じ遺伝子のはずなのにと、レベッカは、そんな姉を疎ましく感じていました。

 昔は双子の姉妹の間に秘密や隠し事なんてなかったはずだったのに、今はそれぞれの領域というものがありました。二人だけが共有する秘密の言葉は、双子語は、遠い過去の事のように思えました。

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