出来損ない姉妹

「…………」

と言ってアーモンド形の大きな虹色の瞳で見つめるのは、くるくるの天然パーマにツギハギだらけのワンピースを着た、浅黒い肌で裸足の少女でした。

「…………」

と返すのは、金髪でメガネをかけて、エプロンを付けた喫茶店の店主であるアルバート=ホセ・ベイカーでした。

二人はカウンター越しに見合っておりました。まだ朝早い秋の頃、『カジノ・ロワイヤル』の公開とプレステ3の発売を控え、アリスとハンナが出会ってからちょうど二年が過ぎた頃でした。

 『ギアーズ・オブ・ウォー』は当然予約済みでした。『スプリンターセル:二重スパイ』は旧世代機版と次世代機版の両バージョンを購入しましたし、『メタルギアソリッド4』と『バイオハザード5』の予告映像はこの一年で何度も見返しました。

 戦争は常に欲望されてきました。欲望は経済リキッドの原動力でした。この液体リキッドは常に渇望を産みました。我々は対象そのものを欲しているのでなく、遠くの絵空事として夢想したいのであり……物語とは、その欲望された対象モノの表象として、その渇きを潤すものでした。

 子供のいない夫婦が犬や猫を飼うのと同じことです。女の子たちは痩せ細った自身の姿を喚起され、恋愛ドラマやポルノグラフィは他者を欲望させ続けます。精製された白糖をふんだんに含んだコーラを飲めば喉が渇きますし、ハンバーガーを食べれば余計に腹が空きました。

「パンの耳くらいなら分けてやれるが?」

と、アルは袋詰のパンの耳を取り出して見せました(ハンナがパンの耳に砂糖を振りかけて油脂で炒め、ラスクのようにして食べるのが好きなのでそのように切り取っていたのでした)。

 少女はふるふると首を横に振って、この飽食の時代、我々のような家なき子であっても、炭水化物や糖質は充分に足りており不足しているのは肉類や野菜なのだが? とでも言いたげでした。つまりラジオからはカンの『ビタミンC』が流れているわけです。

 とはいえ背に腹は代えられないので、貰っておきました。小さくお辞儀をしてペタペタと去ろうとすると「ちょっと待て」とアルが言って、名前のない女の子は割と素直に振り返りました。アルはしばらく裏に引っ込んで、戻ると、

「余ってるサンダルくらい、やるよ」

そう言って滑らない合成樹脂製のサボ・サンダルを渡しました。少女は目を丸くしましたが有り難く頂くこととしました。ぱたぱたと居なくなると、「あ、警察に連絡すべきだったな」とアルは今更のように思いました。

「アルさん、何すてらのスか?」

店の奥から、そうスコットランド方言で話す声がありました。

「いや、ちょっと」

アルが答えて振り向くと、その長いブロンドの髪をしたスコットランド人の女の子はフリルの付いたアンミラ系のミニスカート、ウェストエプロン、【シェーラ】と書かれたハートマークの名札なんかを付けており、面食らったアルは「お前、何着てんだ」と思わず言ってしまいました。

「何って、エプロンこば着てらったんだども?」

 エプロンだば何でも良いって言ってらったでねすか。

 もっと華美でないものをだなぁ。

 そったらごどおら聞いでねぇでがんす。おらぁコレすか今持って来てすけ、すたら、なんでぁ、裸で接客すんべか?

 分かった、分かった、今日はそれで良い。

「んだべしよ。おら毎日好きなエプロンこば着て来るすけ」

シェーラ・レモンはそう言って本当に毎日違うエプロンを着てくるのでした(髪型も合わせてだいたい変わっていました)。たまには比較的大人しいデザインのものも着てきましたが、ある日はメイド服だとか広義のエプロンに含まれるワンピースとか、狐耳だとか、とにかく色んな服を着てくるものですからアルもそのうち呆れて何も言わなくなりました。

 でも水着にエプロンだけ付けてきたときには「恐らく何かしらの法に触れるからやめろ」と言いました。

「おれもあんな服着ないといけないならこの店やめるわ」

とハンナはぼそっと言いました。

「安心しろ、あれは自前だ」

あいつが好きでやってることだ。新しいバイトの雇い主のアルは愛想よく接客する(そして余分にチップを貰う)シェーラを遠目に見ながら思いました。

「イリスさんは最近どう?」

ハンナが訊いて、アリスが少しカタコトの英語で答えました。

「お姉ちゃん、最近ギルさんの話ばっかシテマス」

「ラブラブだねぇ」

「アト、ハンナさんにオスシを教えて欲しいって言ってマシタ」

「アリスちゃん、お寿司食べたことある?」

「たぶん、無いデス」

トイウカ、スシって何デスカ?

「じゃあそのうち皆で寿司バーに行こう」

「そん時はおらも連れてってけろぢゃ」

日本かぶれWeeabooのシェーラが紅茶とコーヒーを持ってきて「はい、どンぞ」と給仕しながら言いました。シェーラはそのうちアリスに持ってきた衣装コスを色々着せてやろうと画策していました。

「そんときはクレアも呼ぶよ。大学一緒でしょ?」

「んだ。けんど学部はつがるへで、あんま行ぎ会わねけんど」

「学部っていうかクレアもう院生でしょ、確か」

「んだのスか。らねがった」

シェーラはクレアの自己完結的な雰囲気がどことなく苦手でしたが、向こうは新しい友人に好感的でした。(それはもちろん、彼女がシェーラの話す言葉に興味を持ったからで……)

 アリスはと言うとシェーラの話す言葉は半分も理解できないような感じでした。シェーラもある程度は気を遣って標準語的な語彙を選んではいましたが……発音の違いはどうしてもコミュニケーションの壁となりました。

「アリスちゃんは、ええと、最近は、どったらごどすてらのスか?」

「エト……隣町の教会で、賛美歌Hymnを弾く事になりマシタ」

「ぐわっ」

シェーラは急に撃たれたみたいに表情を歪め眉間にシワを寄せて手をやりました。それはプルーストの『失われた時を求めて』でマドレーヌを紅茶に浸したときに一瞬で記憶が蘇ったシーンと全く同じ機序でトラウマを思い出した反応でしたが、すぐに我に返って、

「あっ大丈夫、大丈夫だすけ気にすねでけろ…………賛美歌?」

と会話を続けました。

「ハイ。クレアさんの紹介で……」

クレアって顔広いからなぁ。とハンナが呟きました。

「クラスみんなの誕生日だどか覚えでらタイプだべや」

「それはそう」

仲間外れを許さないタイプでした。だから(悪い人間では無いんだろうけど)少し苦手なんだなとシェーラは一人で思いました。

「ぴあの、弾いても良いデスカ?」

アリスはアルに確認してとてとてと猫の眠っているアップライト・ピアノのほうに歩いてゆきました。マジで関係ないけど、サクラコの家にブチ、サシミ、ハンペンって名前の猫が増えたって話思い出した。おらもサシミ食いてー。着物も着てーしよ。

「で、【ぐわ】って何」

ハンナがタイミングを見て訊きました。「しょすけんども」とシェーラは前置きして、

むがす賛美歌Hymn処女膜Hymen間違まづがえで赤ッ恥をかいた事が」

「あー」

ギリシア神話の結婚を司る神ヒュメナイオスは婚姻歌や賛美歌を捧げられ、幕・膜ヴェールだとか「一緒に縫う」などを語源とするそうです。

 アリスは楽譜を広げ賛美歌の練習をし始め、アルなんかは「日曜に教会なんか何年行ってないだろう」と思いました。

「アリスちゃん、隣町までどうやって行くの?」

アリスはハンナに話しかけられて、はたと演奏を止めて答えました。

「何も考えてなかったデス」

「そんな気はしてた」

ハンナが歩み寄りながら続けました。

「イリスさんも忙しいかもだから……バスとか使えばたぶん行けるよ。途中で海のそばを通る」

アリスがぽかんと口を開けて言いました。

「わたし、海をちゃんと近くで見たコトないデス」

「じゃ、予習がてら行ってみる?」

アリスは口をぱくぱくさせましたが、それは英語で表現する語彙を欠いていたからでした。ですのでアリスは、たとえば言葉に詰まってしまったときなどハンナに寄り添うように、

「エト……」

と言って、ひそひそ二人だけに通じ合う言葉で話し出しました。アルが何年か前と同じように「何語で話してんだ、それ」と呟きましたが、その様子を初めて見たシェーラは驚いたようにして、

だ……)

二人の話しているのが、自分が昔使っていたことのある言葉と同じだと、すぐに分かりました。


 そう、シェーラにはレベッカ・レモンという名前の双子の妹が居りました。彼女は家族からベッキーという愛称で呼ばれ、二人はその昔、周囲から出来損ない姉妹レモン・ツインズと呼ばれていました。

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