第31話 記憶の薄い3年生の夏

さて中学生も3年生ともなると、やはり受験前で忙しくなる。


テスト成績を1番からビリまで貼り出すという、現在では問題になりそうなことまでやってくれる学校でした。

(一応、進学校でした)その時の2年生全員の生徒数は、234人だったと記憶してます。(かなり曖昧です)オレの順位は、却下ですが、例のペット3人とも家に事情を抱えてました。


Kは父親を亡くし、母親だけで生活しないといけない状態だったし、

ケッカンはというと、家業の質屋がツブレかけで家計が火の車状態だった。

俺んちは、まだ「首無地蔵の効果が表れる前で」

(第14話参照)良い学校へ進学する為の受験勉強をするという長期レンジの展望を持っているわけではありませんでした。

実際、生活するのも大変だし子供自身の進路希望にも影響するのは当然です?しかし、Kは、常に学年で5番以内の常連だったと記憶してます。

塾に行ってるわけでもないK。それどころか朝は、新聞配達、夕方は牛乳配達、休みの日はアルバイトまでしていた。月~金まで塾通いしているオレが、全くかなわないのは、やはり自分の頭が悪いという理解になるのは当然です。

それ以来、できないヤツが塾通いするもんやと納得するしかなかったんです。


ペット3人衆は、先の理由で地元の有名進学高へ行く気持ちは無かったんで部活に専念してました。しかし毎年3年生の春ごろには部を辞めるというのが通例やったが、その年のメンバーは、誰1人退部する者がいません。1年の頃から、レギュラーで2年間もまれたバンドの実力は、かなりのものだという自覚もあったので正直、皆が、もっと上を目指したかったのです。


もっとすごい「フィンランディア」のサウンドを皆に聞かせて圧倒させたいという欲求があったのかも知れません。

当時、全国区レベルの兵庫西宮今津中学のレコードを聞いたり、NHK交響楽団の団員(フルートだったかな?)を招いて長期に指導を受けたりで、闘志を燃やしてました。その時、私は、たまたま正式な指揮法を教わり、分厚い指揮法の本も頂きました。その後、この縁がきっかけで高校2年から本格的に指揮をするようになりました。高校での吹奏楽話は、別に機会があれば、お話します。


3年生の春、夏の記憶が薄いのは、あまりに練習がキツすぎて、記憶が薄いのだと思います。人は辛い過去の記憶を消すというのは本当だと思います。断片的にしか思い出せないのです。いつもクラが泣かされていた情景とか、指揮棒がこちらに飛んでくる情景とか、F先生が「これではだめだ」と怒って帰ってしまう情景とか・・です。それを部員全員で呼びにいく情景も思い出されます。


そして、ほぼ3年生レギュラーで挑んだ秋の吹奏楽コンクール当日の情景が続きます。

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