第1話

 

「今日は寒いから厚着しましょう。雪が降るかもしれないんですよ」


 そう言ってハルは私の手をとり、厚手の手袋を丁寧に着けてくれた。


 彼に手を預けている間に窓から外を眺めてみたけれど、青い空には雲一つ見当たらない。でも遠くの山は白い帽子をかぶっているから、夜には街にも降り積もったりするんだろうか?


 ぶ厚くてあったかい靴を履かされ、同じくあたたかさに重点を置いた帽子をかぶらされる。茶色かったり黒かったりする装いにがっかりした。


「せめて、手袋は赤いのがいい」


 ぽつりと言うと、ハルは困り顔で微笑んだ。


「あれは散歩には向きませんから」


 わかってる。手首にふわふわした毛皮のついた赤い手袋は、繊細でやわらかい。よそゆき用のそれで長く歩けば、左の手の平が杖に擦れてきっと破れてしまうだろう。


「こんな茶色い格好じゃ、王子様が迎えに来ても見つけてもらえないよ」


 私がそう言うと、ハルの眉がぴくりと動く。


「……姫はどんな格好でも、綺麗で可愛らしいですから」


 そう言って微笑んだハルの声が哀しそうで、後悔する。

 「行きましょう」と手を取った彼の顔を見ることが出来なくて、足元ばかり見ながらゆっくりと歩いた。

 時間をかけて広い玄関を抜け、門の手前で左に曲がって庭へ出る。吐く息が白い。会話は無く、煉瓦の敷かれた小路に私の突く杖の音だけが響いた。


 なんであんな事を言っちゃったんだろう?


 謝るのも何か違う気がして、ハルの顔を見れないまま、いつも休憩するベンチに着いてしまった。日課の散歩はこれでもう半分終わり。あと半分で、いつもの私とハルに戻れるだろうか?


「え」


 ベンチにハンカチを敷こうとしたハルが、少し考えてから上着を脱いだのでびっくりした。彼はそれを手早く畳むと、ベンチに敷く。


「冷えてます。ハンカチだけじゃ、冷たいので」


「ハルが、寒い」


「私は丈夫なだけが取り柄ですから」


 そう言ってハルは私を支えて、上着の上に座らせる。バランスを崩して転ばないようゆっくりと、丁寧に。


 温もりの残る上着の上で、怪我をしてから上手く動かない右足を見つめる。隣に腰掛けたハルは、きっと私の言葉を待っている。

 少しの逡巡の後、言葉を選びながら私はゆっくり話し出した。


「本当はわかってるの。マリーの所にはもう王子様は来ないって」


 風が少し出てきた。頬が痛い。


「こんな脚で、可愛くも綺麗でもない私なんて、誰もいらない。だから私はここに家族と離れて住んでいるって、わかってる」


 西の空に薄く雲が見えた。あれが大きくなったら、雪が降るんだろうか?


「でも、いいの」


 ハルの上着はすっかり冷えて、私の身体も足元から少しずつ冷たくなってくる。


「私の王子様はきっとハルだから」


 ハルの目が驚きに見開かれる。その中に隠しきれなかった喜びの色を見つけて、胸がドキドキした。


「……私は、使用人です」


「でも、ずっとマリーの側にいてくれるでしょう?」


 杖を支えに立ち上がり、よろけながら上着を取って手渡す。ハルは慌てて私の腕を取り、支えながら器用に片腕ずつ上着を羽織った。

 帰り道は私が疲れているのでいつも少し慎重になる。左手で右手が支えられ、左手は腰にまわされた。行きよりも近い距離が暖かい。


「僕は一生、マリーの側にいる」


 聞こえるか聞こえないか。小さな呟きに、頬が熱くなる。

 雪が積もっても、変わらず日課の散歩はしたい。私の右側は、いつも暖かいから。




「部屋に戻ったら、赤い手袋がしたい」


「お部屋で手袋はいらないですよ?」


「したい。可愛い帽子と靴も履きたい」


「お部屋じゃあ誰も褒めてくれませんから……」


「ハルは褒めてくれるでしょ?」


「!」



 真っ赤になってうろたえるハルが可笑しくて声を上げて笑う。

 私の右側はいつも暖かくて……。


 まるで、春のようだ。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る