<ビューティフル・ドリーマー>~悪魔のささやき~




 



 サディストと言う言葉を聞いて何を思い浮かべるだろう?

 鞭を持って革のボンデージに身を包んだ女だろうか?

 それとも裸の女を縄で縛り上げて下卑た笑いを浮かべる男だろうか?


 一般的にはサディストと言えば加虐趣味を持った変態のことだろう。

 だが、自分を理解して同意の上でその行為を行う連中はまだましなほうだ。

 本当に始末に負えないのは、自覚がなくそれを行うバカどもだ。


 いわゆる‘いじめ’などがそのいい例だろう。

 一握りのクズどもをのぞいて、それを行うのは、いじめられるやつも悪いと思っているやつだが、たいていそんな連中は自分がサディストの変態だなどとは思わない。


 空気を読んでしかたなく共犯者になりさがるやつもいるが、人間というやつは本当にやりたくないことはツラいと感じるものだ。


 本当にそう思う者が多いのなら‘いじめ’などは起こりはしない。

 多くはそんな気持ちを感じもせず、自分には関係ないと切り捨てるか、やりたくはないけど、とばっちりが怖いなどと理由をつけてそれに加担する。

 

 オレは、そんな自分が正義だと言葉や態度で主張するクズにも、しかたないなどと臆面もなくいう恥知らずにもなる気はないが───それでも、オレはこれから始める事をやめる気はなかった。


 地上へと戻って振り子時計を見ると、針は12時40分を少し過ぎたあたりだった。


 女はあいかわらずソファーの上に仰向けででぐったりと伸びている。

 オレは予定通り女から情報を聞き出すための作業を始めた。


 かがみこんで少し蒼ざめた白い顔を覗き込むと、規則正しい呼吸が聞こえた。


 髪よりも少し深い色合いの形のいい真横に伸びた眉と同じ色の長いまつげ。

 すっと通った鼻すじは高すぎず、小さめの小鼻はすっきりと頬へと続き。

 唇は濃い桜色で薄い上唇と少し厚めの下唇の対比がなまめかしく怜悧な印象を与える美貌に艶をそえている。


(やはり整形には見えないな)

 化粧気の欠片もないのに、みごとに整った小さな面長の美貌には、人形めいた不自然さはなかった。


 ‘水晶のアルケミスト’にはCG特有の人形めいたものが微かにあったが、目の前の女からは、それが微塵も感じられない。


 オレは、右の掌を女の形のいい白い額に、左掌を引き締まった細いウエストを結ぶライン上にある臍下丹田にあて、ゆっくりと気息を特有のリズムで刻む気功独自の呼吸法を行う。


 同時に右手の指先で呼吸とは違う催眠誘導のためのリズムを刻む波を与えていった。


 本当なら暗示には催眠導入剤を使うのだが、今はそんなものはないで、手っ取り早く眠ってもらい、加えて気功でその代用にすることにしたのだ。


 気功の中でも一部の技法は、催眠誘導に近いものがある。


 未知の技術を神秘的なものと錯覚させることで暗示にかける─古くは初期の一神教の教徒から、新しくはサギ宗教屋までが信者獲得に使うトリックと同じ類のものだ。

 

 気功も暗示も単独で試しただけで組み合わせて使ったことはないが、気功はその実在を調べに行った気功治療所で紹介された男に、暗示は催眠療法のセラピストに教わってできるようになっている。


 まあ、気功のほうは、さっき使い物になるのを確認したばかりなのだが、それでもあれだけの出力があるのなら大丈夫だろう。


 要は、脳に直接、特定のリズムで微振動を与えればいいのだ。

 重低音の音楽で人間をトランス状態にする技術の応用だ。

 

 問題は言葉だ。


 催眠暗示は基本的に対象の第一言語である母国語でかける。


 長い期間をかけて行う洗脳は多くの新しい知識で価値観を変化させていくので、対象が理解できる言葉なら効果は変わらないが、暗示は短期間で対象の無意識下にこちらの言葉を自発的意識と錯覚させることで効果を発揮するものなのでそうはいかない。


 この女はどう見ても日本人には見えない。

 だったらこれから行うことに意味はないだろうか?


 いや、それでもこれからやる方法でならこちらの言葉が理解できてさえいれば、情報を引き出すことはできるはずだ。


 例え、虫酸が走るような行為だとしても、このふざけた状況から抜け出すためには、やらなければならない。


 忌々しいが‘ 下種脳 ’どもと戦うという事は、やつらの創った獣のルールという‘ 悪の連鎖 ’の中に飛び込むという事だ。


 ‘ 愚種脳 ’のように、望んでそうする気はないが、こうやって無理矢理、生きるか死ぬかなんて“‘下種脳’の創った悪の連鎖 ”に放り込まれれば、罪悪の泥沼であがくしかない。

 

 オレはそう決意して作業を始めた。


 まず、ゆっくりと‘気’を額から流し込み前頭葉から視床下部を活性化させていく。


 同時に下腹部でも同じように卵巣や子宮を活性化する。

 そうすることで脳内麻薬を放出させるのが狙いだ。


「……んぁ」


 数秒とたたないうちに寝息が不規則な熱っぽいものに変わり、かすかな声とも吐息ともつかないものが、しめり気を帯びて輝く唇から漏れる。


 暑さで寝苦しがっているようにも見えた。


 脳の微振動が交感神経を麻痺させエンケファリンを放出させ、同時に下腹部全体の刺激でセロトニンとドーパミンが分泌され、エンドルフィンの放出を促す。


「あはあっ……」


 熱い吐息とともに蒼ざめていた頬にはうっすらと朱がさし、身悶えるように上半身をよじる。


 豊かな胸乳を天に突き出すようにして、金色のブレスレット‘思念伝達の腕輪’に飾られた白い腕が胸元にそえられた。

 

 思ったより鍛えているのか、仰向けになっているのにその大きな乳房は横につぶれていない。

 その豊かなふくらみの先は、いつのまにか小さく尖っていた


「……はあん」


 藍色のローブの裾がはだけ、真っ白な長い脚がとびだして膝をたてた。

 細すぎず太すぎないよく締まった太腿はしみ一つなく、少し蒼ざめて見える白い肌が蠱惑的に擦りあわされる。


「あ……あっ……っくうっ!」


 送り込む‘気’の旋律にあわせてバランスのいいしなやかな肢体が、文字通りてのひら躍った。


 強弱をつけながら‘気’を送り込んでやると、やがて啼くような声をたてて成熟した女の身体に震えが走る。


「あン……あっ……はああん!」


 それでも緩めずに臍下丹田から頭に向かって‘気’を流すと、あまやかな悲鳴とともにどこかから、地下で嗅いだ香木に似た匂いがただよってきた。


「ふあっ! ─んっ!」


 どうやらそれは女の汗で身体に張り付いたローブやうっすらと滴を結んだ肌から香ってくるらしい。

 女が身体をわななかせるたびに強くなるようだった。 


「ひィん─ んあっ! くぅんっ!!」


 徐々に‘気’を送る間隔を狭めながら強めていくと、上半身が弓なりにそり、扇のように開かれた指の先まで桜色に彩づいた長い脚がピンと張る。


 ドーパミンやノルアドレナリンの作用で起こる興奮作用がセロトニンによる抑制を突破して過剰放出されたのだ。


 脳内興奮物質の過剰放出は、大脳辺縁系の扁桃体、海馬等にダメージを与える。

 

 特に、扁桃体に損傷を受けると、恐ろしいものや嫌なものに直面しても避けようとしなくなる。


 戦場で恐怖のストレスにさらされながら復讐心を満たすことで、一部の人間が人間性を失うのは脳内興奮物質が原因だ。


犯罪組織は、度胸付けと称して入団儀式に敵対組織などの人間や裏切り者をチンピラに殺させるが、それは経験としてそういった作用を知っているからだ。


 ‘ 下種脳 ’どもは、それを強さだと宣伝し、バカなガキどもがそれを信じて殺しのコマにされるが、危険や残酷な行為に忌避感を感じなくなるのは、単なる脳のダメージによる精神異常なのだ。


 そういった異常興奮による脳の損傷を抑えるため、より多くのエンドルフィンが放出される。


 性行為などでの興奮物質の過剰放出で人間性の喪失が起こらないのはそのおかげだ。


 大きく震えながら全身が強張り、やがて長い痙攣の後にくたりと力が抜けた。


 それと同時にいままで微かにその身体から湧きたっていた香木の放つような甘い匂いが一気に広がり辺りを満たす。


(体身香か?)


 オレはその香りを嗅ぎながら、ぴくぴくと細かく震えが走る弛緩した身体に、緩やかな気を流し続ける。


 体身香とは楊貴妃も服用していたのではないかと言われる飲むことで汗が香水と化す秘香のことだ。


(いや、気をそらすな)


 オレは再度集中しなおして‘気’をとろけきった女体に流し込む。


 今度は緩やかな‘気’を臍下丹田に一定のペースで、そして額には今まで指で刻んでいた催眠誘導に使われる独特のリズムに合わせて‘気’を刻み込んでいく。


 「あ♥……ァ……ンあ♥ 」


 すっかり女っぽくなった紅潮した貌を見れば、ふるふると震えるまつ毛の下で、微かに開いた翡翠色の瞳から涙がこぼれ、引き締められていたくちびるは、だらしなく開かれ、端から透明の唾液がとろとろとこぼれている。


 エンドルフィンなどの多幸性の脳内麻薬物質の過剰分泌が起こっている証拠だった。


 忘我の彼方にいる女のピンク色に染まった耳元でオレはゆったりとした口調で催眠暗示をかけていった。


 自我が極めて薄くなった状態ではどんな人間でも催眠暗示にはかかってしまう。


 寝ぼけたときに火事だと言われ、早く逃げろと指示されれば、考える事もできずにその指示にしたがってしまうのと同じ理屈だ。

 

 数分とたたず、女が完全に催眠状態になったのを確認し、オレは質問に答えるなら、口にだしてそれに答えるよう指示した。

 そして女は声にだして答える。


「……はい、わかり……ました」


 アルトとメゾソプラノの中間くらいだろうか、ややかすれてはいたが綺麗な声が、初めて聞くはずの言語で、ささやくようにそう言ったのが解った。




 

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