<クリスタル・アルケミスト>~悪漢のすすめ~




 

 

 気が進まないときでも何かをやらなければならないことは、誰にだってある。


 それが、ひとが決めたことであれ、自分が決めたことであれ、何かを決めてことに挑む上で、いつでも気儘にやれるとは限らない。

 

 “そんなことはない。俺はやりたいことしかやらない”

 そう思うやつは、自分の意志と自分の気分の区別がつかないバカか、しつけの成ってないクズか、あるいは本物のイカれ野郎だろう。


 オレは、そのどれになる気もなかったので、そこに立っていた。


 そう、‘隠者の森’‘ 水晶のアルケミスト ’が住む水晶の小屋の前に。


 問答無用の暴力の世界に首を突っ込むのは、誰だって気が重いものだ。

 それが命がかかっている場となれば尚更なおさらだ。


 まして、そんな状況に無理矢理放り込まれたとなると、もはや気分の問題ではない。


 考えて欲しい。

 そんなふざけた真似をする連中のアジトかもしれない場所に乗り込む時の気分を。


 性質が悪いのは、だけで、そうと確信できない点だ。


 相手が命を奪いにくるのなら、覚悟を決める事には慣れている。

 

 殺し殺される覚悟。

 これは荒事に慣れるのとはまた別の覚悟だ。


 殴るなら殴られるものだとすら心底理解できずに育った甘えた子供が、銃を手に入れて、覚悟って言葉の意味も理解できないままにやる殺しなんてのは論外。


 殴る事にも殴られる事にも慣れたバカでも、世の中をなめた甘ったれたチンピラほど、その区別がつかず、殺す覚悟なんてものを口にする。


 だが、殺す覚悟を決めるとは、殺される覚悟も同時に決める事だ。


 命の価値を自己中心的にしか理解しようとしないクズにとっては、その二つの覚悟は別物だが、まともな人間にとっては、その二つは同じものだ。


 命に優先順位をつける‘ 人の業 ’を受け止める命を奪う覚悟。

 命を粗末にする‘ 獣の自滅本能 ’に溺れた命の価値の放棄。


 明確に理としてその二つの違いを理解している者ほど、覚悟を決めるのは容易くはなく。

 その二つを混同している者ほど、決意は軽い。


 殺される危険がある中で躊躇はできないが、状況が理解できない中で殺しはリスクが高い。


 となれば、脅威度が低ければ迅速な無力化、高ければ殺傷も止むを得ないというところか。


 堅気の人間なら、こんな異常な状況でも緊急避難のための不法行為はためらうだろうが、オレはハッカーだ。


 気持ちを戦闘用に切り替えて、オレは監視用の機器や罠がないのを確かめながら水晶の小屋に近づきドア横の壁に張り付く。


 リアルティメィトオンラインの設定通りにしているのか、それとも誘っているのか、鍵は掛かっていなかった。


 黒檀らしき分厚い一枚造りのドアに刻まれた取っ手を持ちゆっくりと引き開けて中に入る。


 数m四方の部屋の中は外とは違い、ありふれた木造りの部屋だった。


 使い込まれた艶のある床も壁板も扉と同じ材質で、揃えられている。


 天井の梁からはオイルランプが吊るされているが、窓から入ってくる陽光で十分に明るい為か今はつけられていなかった。


 テーブルや椅子の家具などはライトブラウンの木で、ニス塗りなのかこちらも艶のある素材だった。


 突き当りの壁には長い革張りの茶色いソファーが置かれ、その上には古めかしい小さな振り子時計が時を刻んでいる。

 時刻は12時40分辺りを指していた。


 その部屋の奥にある部屋との境は扉がなく、地下へと続くらしい階段から上ってきたばかりらしい若い女の姿があった。


 身長はオレより頭半分低い─ということは170cm弱。

 細い肢体は鍛えられたようには見えなかった。

 戦闘技術を持っているとすれば、かなり特殊なものだろう。


 階段の手すりから手を離し、手前の部屋へ一歩踏み出そうとしている。


 V字の胸の開いた長い藍色のローブの上に膝丈のスリムなコートのような白衣をはおった姿は‘ 水晶のアルケミスト ’のCG通りだ。


 胸元に輝く金色の古風なネックレスに輝く数cmはある大きなエメラルドのような石も、細い腰にベルト代わりに巻きつけられた金鎖も、まったくそのままの姿だった。


 肩あたりまでのボリュームのある柔らかそうなやや暗めのブロンドを、左右に分けただけの飾りげのない髪型のせいか、それとも切れ長のきれいな眼に輝く淡い翠の瞳のせいか、怜悧な印象の細い美貌が少し冷たく感じられる。


 ‘ 水晶のアルケミスト ’そのものの顔をこちらに向けた彼女に向けて、オレは‘縮地’で距離を詰めた。


 ゆっくりと流れる時のなかで、オレに反応できないでいる美女の細いあごさきを最新の注意を払いながら指先でかすめるように擦る。


 それだけで華奢な女の頚は衝撃を支えきれずに脳を軽く揺する。

 惚けたような表情のなかでライトグリーンの瞳が左右に揺れ、くるりと裏返ると同時にまぶたがおちた。


 全身の力が抜けて崩折れる彼女の背を右手で支え、腰から脚へと綺麗なラインを描く、思ったより肉感的なボディラインに沿って左手を膝裏まで滑らせながらしゃがみ込み、軽い体を抱き上げる。


 そのまま、そっと彼女を入り口の部屋のソファーまで運び、細い身体をよこたえた。


 一見無害そうな女相手に手荒な事をしたくはないが、この姿でただの一般市民がこんな場所にいるわけはない。


 まず間違いなく敵の一味だろう。

 こんな華奢な女でも武器の使い方さえ知ってれば人は殺せる。


 武器を持っていなくても、仲間を呼ばれては面倒だから、こうするより手段 はない。


 本来、オレは荒事の専門家でもないが、瞬時に状況判断ができるくらいに殺し合いの世界に慣れてしまった。


 まったく、世の中にはオレも含めてろくでなしが多すぎる。


 開いたままの扉を閉め裏にあった閂を掛けて、オレは次に地下へ向かう為、静かに身を翻した。


 細心の注意を払って気配を消しながら階段の前まで移動し、身を屈めて地下を覗き込む。


 階段の下にも扉はなく、すべらかな白い石造りの床が見えた。

 階下に人の気配はないが、気配を消せる人間が身を潜めていることも考えられる。


 オレは屈んだままの姿勢から足首と膝のバネだけを使って、階段の下へと跳んだ。


 ちょうど獲物に跳びかかる肉食獣のような姿勢で階段と平行に宙を舞い、音をたてず四つん這いで着地すると同時に反動を利用して立ち上がる。


 直ぐさま周りを見るが、やはり人影はなかった。


 そこは、まさに錬金術師の部屋といった風情の部屋だった。


 階段の左手には艶のない無骨な台が据えられ、その上には様々な形をしたフラスコやビーカーなどの実験器具が、色とりどりの液体を湛え整然と並べられている。


 その奥の棚にも同じような器具が種別に分類され並んでいるが、こちらは空だった。


 階段右手の床と同じ石造りの壁際には、大小様々な計器やバルブのついた錬金釜や蒸留器が並び、階段と向かい側の壁には白銀の金属扉が、白く光る水晶でできたパネルの天井からの淡い光を受けて虹色に輝いている。

 

 どうやら地下は地上部分より、かなり広くなっているらしい。


 オレは念のため階段下のスペースを覗き込み、そこに棚と並べられた鉱石や植物、動物の骨などしかないのを確認して奥の金属扉へと向かう。

 

 アルミ系の合金だろうか錆一つない扉は、その向こうに生物兵器でも隠れていそうな風情だったが、奥からは何の気配もただよっては来なかった。


 扉の左端には、同じ素材の掛け金式らしい先細りの笹の葉型の取っ手が真横にのびている。


 オレは取っ手を掴み右回しに下へと回すと静かに扉を押し開けた。


(これは……)


 意気込んで開いてみたはいいが、そこはただの寝室だった。


 いや、ただのというには変わったつくりの部屋だ。

 寝室兼書斎と言ったほうがいいだろうか。

 突き当たりに、奥へと続く扉が二つ。

 一つはオレの対面、もう一つは右手へと続いていた。


 壁は四方が作り付けの本棚になっていてぎっしりと大判サイズの革張りの古書が天井まで収められ、床には小豆色を基調にした厚手の絨毯が敷かれている。


 絨毯というよりはタペストリといったほうがいいだろうか。

 花をデフォルメした図案のかなり高そうなものだ。 


 部屋には何の飾り気もないが、左の壁際に垂直に置かれた大きめのベッドの横、小さなサイドテーブルに置かれた透明な花瓶には見慣れぬタンポポに似た白い花がいけられていた。


 ベッドの左には、本棚に挟まれて小さめのクローゼットが、オレが入ってきた扉の向かい側にある奥へ続く黒檀に似た木の扉と並んで備え付けられている。


 ベッドもクローゼットや本棚も隣の部屋にある棚や台とは違い、丁寧な処理をされた上にニスを塗り重ねたセピアブラウンの木で作られ暖かな風合を保っていた。


 天井だけが隣の部屋と同じ光る水晶のパネルで作られ、ここが‘水晶のアルケミスト’の部屋であることを示している。


 女の部屋をあさる趣味はないので、クローゼットに衣服だけしかないのを確認し、オレは奥の扉へと向かった。


 まず入って右手にあった扉、これも外に付けられたのと同じ黒檀のような素材でできたそれを気配を伺いながら静かに押し開ける。


(……トイレか)


 それはリアルティメィトオンラインでよくみる洋風の座式便器が一つと手洗場らしい陶器の台だけが置かれた部屋だった。


 日本のトイレと違いかなり広く四畳半の部屋くらいはありそうだ。


 天井はやはり照明代わりの光る水晶パネル。


 壁や床の材質も研究室らしい部屋と同じ、大理石の白い部分だけを集めたような石でできている。

 

 手洗場には真鍮らしき金属でできたレバー式の蛇口が二つ。

 これもリアルティメィトオンライン準拠のデザインだ。

 レバーを傾けてみると、水と湯がちゃんと出る。


 便器のほうも下部にあるフットペダルを踏むと、きちんと水が流れた。


 リアルティメィトオンライン日本の世界は、ありがちな中世ヨーロッパの文化を模したRPG世界とは違う魔法文明世界という設定なので、ここが仮想世界でも現実でも矛盾はないことになる。

 

 オレはきびすを返し、もう一つの扉をこちらも慎重に気配を消して開けた。


 やはり何の気配もなく、キッチンらしい設備と小さな食台だけが数m四方の部屋に置かれている。


 天井も壁や床も、やはりお馴染みの水晶パネルと白い石でできている。

 奥へ続く扉は一つ、右手にある半透明の無色水晶で出来たガラス扉風のドアだけだ。


 これもリアルティメィトオンラインのスキルの一つの‘調理’関連でよく見る背景だった。


 ただCGと違い材質は、やはりクリスタル製だ。


 クッキングヒーターは金属部分が黒水晶に代り、鍋などを置く二つの加熱部分が魔方陣になっていて透明の水晶板の下で金色に輝いていたし、キッチンシンクも真鍮色の水道部分以外は全て半透明の無色水晶で形成されていた。

 

 そしてもう一つリアルティメィトオンラインのCGと違うのは生活感だろう。

 この部屋には、はっきりと使われた形跡があった。

 他の部屋でもそれは確かにあったが、ここはそれが顕著だった。


 クッキングヒーターの上にある排気口には油膜が張っていたし、流し台には水滴が残り、流しの横に置かれた白い紐で編まれた水切り網の上には、綺麗に現れた水晶製の食器がいくつか置かれたままになっていた。

  

(やはり仮想世界にしてはできすぎている)


 オレは、ざっと辺りを見回し、人がいないのを確認すると奥へと向かった。

 水晶扉の前で気配を探りながら、扉の左端に付いた真鍮色の引き手を握り、気配がないのを確認すると同時に静かに開く。


 どうやら脱衣所らしい部屋にも人影はない。


 奥には天井からの白い光を受けてきらめく透明な二枚扉があり、その奥にある浴室を透かし見ることができた。


 右側には服が放り込まれた大きな籐かごのようなものが置かれ、左側にはトイレにあった手水場を一回り大きくしたような洗面台があり、やはり白い石製の壁に鏡が埋め込まれている。


 床には入り口から少し間をあけて白木の板が張られ、おそらくここで靴を脱ぐのだろう、土間の部分は壁と同じ白い石床になっている。


 わずかに香る木の香りは、白木が香木の一種なのを示していた。


(そうとう高いな、この木は)


 オレは靴を脱がず、そのまま浴室へと向かって段差を上り、一歩を踏み出した。

 改めて足運びを意識し、体重を均等に靴底に掛けながら摺り足で音をたてないように進む。


 だいぶ磨り減ってしまった靴底を通して柔らかな床の感触が伝わってきた。


 二枚扉には取っ手はなく、押し開ける部分だけが黒水晶になっていた。

 気配を探るまでもないが、もはや条件反射でそれを行いながら扉を開く。


 数m四方はある広い浴室には、隠れられそうな所もなく、人影はやはりない。


 ざらざらとした岩のような質感を模した水晶のブロックでできた壁と陽光を通し、青空を仰ぎ見ることのできる透明な板水晶の天井。


 部屋の半分以上を占める白い石の湯船は広く、中で腰掛けられるような段差のある深い部分やなだらかな傾斜のある浅い部分、打たせ湯として使えるような壁から湯が流れおちる部分などに分かれている。


 かなり凝った造りの豪華な浴室だった。


(他には誰もいないか)


 リアルティメィトオンラインの設定通り‘水晶のアルケミスト’は一人住まいらしい。


(これは、どういうことだ?)


 どう考えても罠という状況なのに、その罠が何なのかすら解らない。


 ここで荒事が待っていたのなら、まだ理解はできた。

 しかし、いたのは‘ 水晶のアルケミスト ’そっくりに整形された女が一人。


 ‘下種脳’どもがデスゲームでもしようというなら、PCとは別の意味を持つNPCといったところだろう。

 オレと同じく拉致された可能性もなくはないが……。


(となると尋問しかないが……アレをやるのは気がすすまないな)


 それでも、何かをやらなければならないことは、誰にだってある。


 オレは、覚悟を決めると、もう一度気配を探りながら今来た路を戻り、地上へと向かった。

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