金色夜叉が見ている

枕木

第1話金色夜叉

 郵便集信箱を利用したことはあるだろうか。あの木製の、のちに赤い柱に姿を変えた、いわゆる郵便ポストである。これはひとりの男が郵便ポストを目指して歩む冒険譚である。


 ところで私は尾崎紅葉おざきこうよう使役文字しえきもじ金色夜叉こんじきやしゃである。諸賢におかれてはご存知であろうが紅葉先生は偉大な文筆家である。幸田露伴こうだろはんと共に文壇の双璧と称されいわゆる紅露こうろ時代の紅の部分のお人であり、その豪華絢爛にして錦心繍口きんしんしゅうこうなる先生の筆致は飴細工のごとき繊細さであるものの、本人は竹を割ったような性格の上でその割った竹を組み立て友人の友人にまで流し素麺を振る舞うほどの人徳者なのだ。先生の深い愛情は東京湾の底より深くなんなら海底をえぐるほどの熱量さえ持っており、その愛情をことさら多くかけられた愛弟子のひとりに泉鏡花いずみきょうかという男がいる。


 泉は好かない男である。私を邪険にするのである。私には紅葉先生から泉の背後霊のごとく彼を守れと仰せつかっているために嫌々、渋々、本当に本当に本意ではないが致し方なく、泉の家で泉の影となり背後霊となり、おはようからおやすみまで泉を庇護しているのだ。

 鼻水が出ればさりげなくちり紙を差し伸べ、風呂が沸けば頭上に手ぬぐいを乗せる仕草で報告し、煮えたぎった豆腐は口に運ぶ前に自らのてのひらを盾にして泉が熱傷を負うのを阻止しているわけだ。もはやお母さんである。そんな甲斐甲斐しく世話を焼く私に対して泉は「母みたいで嫌だ」と紅葉先生の目の前で言い切ったのだ。誠に遺憾である。私は泉が母への慕情が人一倍だと聞き及び、ただ紅葉先生の言い付けを守るだけでは芸がないと一工夫凝らし、不本意ではあったがわざわざお母さんを演じてやったのである。それを「母みたいで嫌」の一言で一蹴するとはいい度胸、いや往来を全裸で闊歩するくらいには無神経である。


 ところで泉は弱い男である。自宅から目と鼻の先に佇む郵便ポストにすら辿り着くことができないのだ。諸賢もご存じの通り、文士と呼ばれる人間は己の著作に登場させた生き物やあやかしを具現化させ使役することができるわけだが、泉の使役できる文字、いわゆる使役文字は手駒が少なくどれも生まれたての子鹿のようにひ弱だった。使役文字の強さは文士と著作の人気度に比例するため、まだまだ駆け出しの泉のそれが子鹿とひよことちり紙くらいの勢いしかないのは仕方がないこととも言える。実際のところ泉のくしゃみ一発で消し飛ぶ具合だ。ちなみに力のある文士の使役文字は文士本人から離れた場所でも独立して活動でき、私のように泉の背後霊然として仕事をすることもできる。使役文字は文士同士でしか見ることができないのは誠に勿体ない所感だが、会う人すべてに背後霊が憑いていると思われるのも泉にとっては不都合であろう。


 ところで泉はもう何日もポストへ行けていないのである。数日前に書き上げた原稿を紅葉先生が添削したのが一昨日、先生の居宅からここまでの復路でポストへ寄ろうとしたものの、好敵手、樋口一葉ひぐちいちようの使役文字が不良学生のように路上にたむろしており、見つけるなり泉は尻尾を巻いて逃げたのだ。なんのために私、金色夜叉がいるのかと逃げる泉の背中に叫んでやりたかったが、使役文字は文字であるがゆえに声を出してしゃべることは一切できないのである。結局は私も泉を追いかける形でその場から退散したものの、自宅に逃げ帰って開口一番、泉は私を見上げてこう言ったのだ。

「お前がいながら、なぜ逃げた!」

 それはこちらの台詞である。私は万感の思いで泉に突っ込んでやりたかったものの、生憎と声を持ち合わせておらぬ文字風情であるために、その場で地団駄を踏むくらいしか手段がなかったのである。


 ところで使役文字とはどのような姿を想像するであろうか。割合に文字の通りである。著作に登場した姿そのままが具現化されているのである。鶏であれば鶏の姿をしているし、竹であれば竹の姿をしている。現実に即した姿でしか実体を持てないのは面白くもありつまらなくもある。

 果たして私、金色夜叉を諸賢がいかに勇ましい夜叉姿と想像しているか考えるに恐ろしい。私は夜叉と名に付くものの、その実ただの地味な娘の姿なのである。これは誠に遺憾である。金色夜叉である。金糸銀糸の髪を振り乱し手には槍を携えて上背も六尺はあり着流し姿でかぶいていなければおかしい。なにせ金色の夜叉なのである。現実に即した姿というのは非情である。私の髪は地味なお下げ髪で地味なつむぎを引っ掛けて背など泉と大差ない。申し訳程度に指には金剛石ダイヤモンドがはまっているものの、以前、泉が玄関の鍵を紛失した際にそれで打撃し解錠させたくらいしか使いどころがない。


 ところで泉が尻尾を巻いて逃げた樋口一葉の使役文字とはどんな猛者を想像するであろうか。不良学生のように道を塞ぐとは彼女の筆力に敬意を表し、控えめに言ってみたのである。実際のところ樋口の使役文字は私と大差ない娘の姿をしており、見目だけで語るならば私のほうがよほど清廉で華やかな顔をしているとの自負がある。その小娘がひとり路上にいたからといって、泉が逃げるのは甚だおかしいと諸賢は考えておいでだろう。大きな間違いである。樋口の使役文字は患っているのである。幽鬼のごとく徘徊し文士を見つけるや訪問販売の婦人がごとき執拗さで腕を取り、矢継ぎ早に呪詛を吐き時間を窃盗していくのだ。一度、泉も運悪く拘束されたことがある。そのとき私はやや離れた位置から一部始終を観察していた。私まで被害に遭うのはご免被るというわけだ。泉の眼力が私を射抜かんばかりに鋭かったが、私は彼を励ます意図で両の拳を胸の前で握ってみせた。頑張れ泉、負けるな泉。腹の底から叫んだ気持ちにはなった。気持ちだけである。使役文字は口を持たない。

 泉は半日に渡り呪詛を耳に吹き込まれ続けたせいで翌日寝込むほどに病んだ。

 樋口の使役文字は患っている。病の名は恋と言った。いわゆる恋わずらいである。恋の相談という呪詛はたまったものではない。


「でも今日こそは投函しなければ」

 小説の原稿であるがゆえ締め切りが存在する。いつまでも往来の幽鬼に怯えて畳のむしりかすを生産する生活とは決別せねばならない。よし、と膝を打って立ち上がりかけた泉は中腰のまま私を振り仰いだ。嫌な予感しかない。

「今度はお前を人柱にして逃げるから」

 私は泉と視線がかち合う前にそっぽを向いた。しかしここで誤算である。向いた先には姿見があり、禍々しい笑顔を浮かべる泉と鏡越しに目が合い、私は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまうのだった。

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