Ⅴ
『息吹』を出鱈目に吐き出す竜を牽制しながら、その竜の周囲を飛び交っている空禍の一匹を撃墜する。続けて機体を垂直にし――急上昇。凄まじい速度で〈ファーヴニル〉が大気を切り裂いて天へと昇って行く。
螺旋を描きながら上昇し、ついでとばかりに飛び交う小型の空禍を〈黒閃〉で銃撃。
悲鳴を上げる羽虫のような空禍。しかしその怯んだ隙をここぞとばかりに第二航空艇団の〈竜騎士〉たちが迫る。
すれ違いざまに
そして再びそれぞれの戦場へと向かって蒼穹を飛翔する彼らを見送りながら、ノクトも再び竜への牽制へと向かおうとした時だった。
『フィーユが落ちた!』
耳を疑う。
通信端末越しに響いたその言葉の意味が、ノクトには一瞬よく判らなかった。だが、続く言葉には流石のノクトも絶句せざるを得なかった。
『ノクト! フィーユが〈ヴリュンヒルデ〉から飛び降りた! 急げ!』
「――…………はあっ!?」
一瞬遅れて、ノクトは〈ヴリュンヒルデ〉のほうに視線を向けながら
「――阿呆か!」
それ以外の言葉がないと言わんばかりに声を上げながら、ノクトは慌てて機首を〈ヴリュンヒルデ〉のほうに向けてアクセルを入れる。
最大加速。響素動力推進器が鳴動し、雄叫びを上げて音速の壁を突き破る。
わずか数秒で〈ファーヴニル〉の最大速度へと駆け上り、蒼穹を駆けて落下するフィーユの下へ。
時折飛び跳ね、牙を剥いて来る空禍の間隙を縫うようにして飛行し、暗雲の海へと落ちていくフィーユへと右手を伸ばす。
落下するフィーユの視線が超音速で迫るノクトへと向けられた。彼の伸ばす手に、フィーユもまた応じるように手を伸ばした。
伸ばした手を――摑み、そして引き寄せて叱声を飛ばす。
「おまっ、お前なにやってるんだ! なんで〈
普段の彼らしからぬ困惑の声を上げながら、引き寄せ抱き抱えたフィーユを見据える。相変わらずの人形めいた無表情の少女。その少女が、その静謐の如き眼差しでノクトを見据え、言った。
「こうすれば、貴方が来ると思ったので」
「莫迦か。莫迦なのか! お前は状況を理解しているのか!」
「理解しています。理解しているから、貴方を呼んだのです」
「呼んだのはエルだ! お前は落ちただけだろう! 本当に
捲し立てるように言葉を連ねるノクト。だが、そんなノクトに向け、フィーユは淡く笑んで見せた。
「ですが、来てくれました」
「お前……本当になにがしたいんだ?」
「戦います」
凛、と。再び無表情に少女が言う。
「――貴方と共に。貴方の剣となって、私は貴方と共に戦います――
どういう意味だ? そう尋ねることはできなかった。フィーユの身体が、突如として淡い光に包まれたからだ。
全身を発光させ、燐光を伴いながら、フィーユは静かに、だがはっきりとその言葉を口にした。
「――『《
それは呪文のような。あるいは祝詞のような。そんな言葉だった。そしてどういうわけだろうか。ノクトはその次に続く言葉を知っていた。
故に、フィーユが口を開くと時同じくして、ノクトもまた口を開き、その言葉を共に紡ぐ。
『
重なる二人の声に応えるように、それは顕現――否、変異した。
フィーユの身体が光の粒子と化し、一瞬の後に弾けた光が収束――巨大な、二メートルほどある青白い輝きを放つ剣がノクトの剣に収まっていた。
一体何が起きたのか考える間でもないのだが、あまりに非現実めいた現象にどう反応すればいいのか判らず、困惑気味に手にした剣を凝視する。
青白い巨大な剣。剣身全体に子細な意匠が施され、一見すると実用性など皆無な芸術的工芸品か何かと見紛う――しかし、握る手を通して感じるもは、この上なく実戦を想定された業物の手応え。
「は……はは! はっーははは!」
哄笑。哄笑。哄笑。ノクトの口からとめどない笑い声が零れ出た。
『何を笑っているのです?』
頭の中に直接声が響き、同時に剣に寄り添うようにして、半透明なフィーユの姿が現れた。
そんな相棒であったものの――いや、相棒の姿に、ノクトはかかと嗤いながら言ってのけた。
「――決まってるだろ」
ブン――と《竜討の幻想剣》を一閃させる。右手に走り――浮かび上がったまま明滅する刻印が、剣と同色の光を淡く放っていた。その刻印を通して伝わる、この剣の力。圧倒的な――響律式を遥かに上回る絶大な力を秘めている剣を手にし、思わないわけがない。
「《
『な、なんだ! フィーユは無事か!』
「問題ない! それよりも、あの竜を今からぶっ倒す! 道を拓いてくれ!」
『……どういうことだ?』
「竜の周りにいる邪魔なのをブッ飛ばせってことさ!」
そう叫ぶノクトの言葉に、通信端末越しのエルが僅かに逡巡する気配があった。だが、それは本当に一瞬のこと。
『……判った。どの道もう手がない。それに――お前に頼るとさっき言ったばかりだからな。死なば諸共だ!』
快活な声が響くと同時、〈ヴリュンヒルデ〉の機首が――主砲が竜へ向けられた。巨大な虚空楽譜に充填された膨大な響素――それが術式によって導かれ、発動。
制圧戦略型響律式《
巨大な破壊の奔流が一直線に竜へと放たれる。
射線上にいる幾体もの小型の空禍が、触れるものを容赦なく焼き尽くす熱波を浴び、存在そのものが一瞬にして蒸発していくのを見据えながら、ノクトは〈ファーヴニル〉を加速させる。
最大速度マッハ三・三で空を駆け抜ける黒竜。
それを迎え撃たんとする幾体かの空禍。
だがそれらの空禍を、音速で飛来した別の騎竜艇が撃ち落とした。
「こいつらは引き受ける!」
「やるからにはやり遂げろ! リーデルシュタイン!」
ヴィレットとデルムッドだ。どうやら残った露払いをしてくれたらしい。有難くて本当、涙が出そうだ。
だが、涙の代わりに出るのは意地の悪い笑みで、見据えるのは目前で空を泳ぐ巨大な竜。
大型の空禍すら消滅させた熱波を受けても表面が焼けただれているだけの化け物に向け、しかしノクトは左手だけで操作しながら、一直線に〈ファーヴニル〉を飛ばす。
竜が〈ファーヴニル〉の存在に気づき、迎撃するかのように『息吹』を放つが、そのような攻撃では〈ファーヴニル〉を、そしてノクトを捉えることはできやしない。
凄まじい速度で空を泳ぐ漆黒の騎竜艇が、幾重にも放たれる『息吹』の雨を避けて突き進む。
狙うは胸元――心臓の位置。
一直線に接敵する。彼我の距離は一瞬にして迫り――ノクトは起動引金を引いた。
力場干渉響律式《白銀波動聖剣》発動。
白銀の輝きを放つ切断力場が顕現し、竜の鱗と激突する。拮抗する力がせめぎ合って火花を散らすが、僅かに鱗を傷つけるだけ。
だが、最初から攻撃力は求めていなかった。単に竜の動きを僅かでも止められれば――あとはこっちで始末をつける。
――斬、と。
ただそれだけで、これまで如何なる響律式も受け付けなかった竜の身体が裂ける。
バルムンク――かつて伝説の英雄が携えた竜を屠る剣を体現するように、意図も容易くだ。
斬撃から生じた衝撃波が竜の身体を伝播し、鱗を切り裂き、肉を吹き飛ばす。
そして開いた心臓への道。そこにあったのは、脈打つ心臓――ではなく、筋肉の繊維に四肢を絡み取られ、あたかも磔刑にあっているかのように人間の――カイン・ダランであったもの。
「Aa……hhhhhaaa……」
微かに、かつてカイン・ダランであったそれが呻きを上げたが、それはもう人の聴き取れるような
最早この男がなにを望んでいたのか。なにを願っていたのかを知るすべはない。
してやれることは、たった一つ――終わらせることだけ。
すぅ……と、《竜討の幻想剣》を持ち上げる。そして今もなお呻きを上げる、カイン・ダランであったものに向けて、
「さらばだ――カイン・ダラン!」
ノクトは蒼白の大剣を振り下した。剣の軌道そのものから迸った破壊衝撃が、一切の容赦もなく
断末魔もなく。
末期の言葉もなく。
竜の身体が失われた心臓を中心として崩壊していく。
それが――カイン・ダランから生まれた竜が、その命を終わらせた瞬間だった。
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