六幕Ⅰ



 それが来ると判ったのは何故か、フィーユにも判らなかった。だが、来ると感じた以上、それを知らせねばいけない。


「――来ます」


 そう思ったから、傍らの椅子に腰かけるエルへと告げた。紅髪の少女は「何が来るんだ?」と首を傾げたが、それも一瞬――フィーユの言わんとしたことを、彼女を始め、ブリッジにいる全員が目の当たりにした。

 画面向こうに映し出された浮遊大陸の地表が盛り上がり、そこから姿を現したのは巨大な異形。

 蝙蝠のような翼に、蜥蜴のような身体をした化け物――俗に竜と呼ばれる伝説上の生物である。


「……今日はもう、なにに驚けばいいのか判らなくなってきましたよ」


「お前が皮肉を言うようになってしまったくらいには、状況は混乱しているのだけは判ったよ」


 メリアが頭痛を覚えた様子で頭を押さえているのを見て、エルが苦笑交じりにそう言った。


「しかし……なんだあれは? なんであそこから竜なんてものが現れるんだ。飼っていたのか?」


「いえ、たぶんあれは――」


 エルの疑問に答えようとしたフィーユだったが、それよりも早く別のほうから答えが飛んだ。


『――恐らく《遺神具アーティファクト》だ』


そう言ったのは、〈ヴリュンヒルデ〉の通信に割り込んできたノクトである。


「なんだ、無事だったか」


『なんだとは失礼な奴だな。ま、辛うじてだ。ついでに言うと、ヴィレット・ストレイムとデルムッド・アキュナスも一緒だ。で、ヴィレットのやつが、カイン・ダランが肉で出来た短剣で胸を刺したらああなったって言ってるぜ?』


 端的な説明を受けたエルは、ほんのわずかの間だけ黙考した後、


「竜になる《遺神具》……だとすれば、それはリディルだな。古い神話で、竜の心臓を抉りだしたナイフがある」


 エルが答える。すると通信端末越しにノクトが呆れの混じったような声を上げた。


『お前、よくそんなことがすぐに答えられるな?』


「勉強熱心だからな。見直したか?」


『どっちかというと呆れちまったよ』端末越しに苦笑の声が返ってくるのを聞き、エルが苦笑で応じた。


『戦時下の人間ってのはすごいな。戦争に竜を使おうとしたのか?』


「知らん。先人たちの考えたことなど、私たちに判るものか」


 小莫迦にするようにエルが鼻を鳴らした。

《遺神具》とは、三〇〇年前に負素が世界に蔓延する以前の文明が健在だった時代に行われていた戦争――第三次世界大戦グレート・ウォーⅢの最中に生み出された戦略兵器に対してつけられた総称である。

 戦時下に造られた多くの兵器には、神話に名を連ねる伝説の武具の銘を冠しているものが少なくないらしく、そのことから『神の遺品』という意味を込めてそう名付けた先人は随分と皮肉が上手いなと、かつてノクトが言っていたことを思い出す。


「まあ、使うには失敗作だったようだな」


『まったくだ』


 エルとノクトが意見を揃えた。見ると画面の向こうにいる竜は、周囲のものを別なく踏み躙り、爪で切り裂き、牙にて貪り、吐き出す『息吹ブレス』で吹き飛ばしている姿が見えた。


「恐らく保持者の意思が反映されないのだろう。操ることのできない兵器――どう見ても失敗作というやつだな」


 一人納得した様子でエルは頷くと、ブリッジ内に指示を飛ばし始める。


「これより、あの竜の掃討に入る。響律式用意!」


了解ヤー!』


 エルの指示に各員が声を上げる。確かに先ほど見せた制圧戦術型響律式であれば、あの竜を倒すことくらい容易いだろうとフィーユも思う。

 だが、何故だろう――胸騒ぎがする。

 そして、その胸騒ぎは杞憂では終わらなかった、


『エル! 〈ヴリュンヒルデ〉から八時の方向――いや、全方位だ! 索敵装置レーダー見ろ!』


 突然の怒鳴り声がブリッジ内に響く。ノクトの声だ。彼にしては非常に珍しい、焦りと困惑の入り混じった怒鳴り声。

 対して「いきなり怒鳴るんじゃない!」とエルが叱声を上げたが――その次の瞬間、ブリッジで機体制御を預かっていた騎士の一人が声を張り上げた。


「き、緊急事態です! 正面の浮遊大陸を中心に多数の空禍反応あり! 数一五……二四……三〇……まだまだ増えています!」


「なっ!」エルとメリアが息を呑み、報告を聞いていた他の騎士たちが騒然とする。


「一体何が起きている!」


『あの竜だ!』


 ノクトが吼えた。


『あの竜に向かって――いや、違うな……あいつに呼び寄せられてる! このままじゃ拙い、浮遊大陸が空禍に呑まれるぞ!』


 艦内の空気が凍りついた。

 それは――それだけは絶対に在ってはならないことだ。

 ノクトの科白を受けていち早く動いたのはエルだった。まるで電撃が走ったようにエルが立ち上り、声を張り上げる。


「総員緊急戦闘配備! これより本艦は対空禍戦闘に移る! 騎竜艇で出られる者は即時出撃! 空禍を浮遊大陸に近づけるな!――ノクト!」


『なんだ!』ノクトが負けじと叫ぶ。そんなノクトに向けて、エルは極力冷静さを欠かすまいとした様子で告げた。


「お前はその二人を下ろして竜の下へ飛べ! ストレイム! お前は代わりの〈リンドブルム〉で出撃しろ!」


了解イエッサーっ!』


了解ヤー!』


 各々がそれぞれ声を上げた。


「それと、デルムッド・アキュナス。緊急事態につき、治療班で手当てをしたらお前にも手伝わせる! 文句は言わせんぞ!」


『こんな状況で異を唱えるつもりはない』


 デルムッドの声にすら、焦りのようなものが感じられた。それだけ彼も現状がどれだけ異常で、危険であるのかを理解しているのだろう。


「急げ、ことは一刻を争う!」


 そう言って一方的に通信を終わらせたエルが次々と指示を飛ばす。


主砲メインはあの竜へ向けろ! 他のは周囲の空禍へ! 愚図愚図するな! らなければ殺られるぞ!」


「各員用意ができ次第騎竜艇で発進を! 第二響律式砲コードアームは用意完了! すぐに迎撃体制へ! 第三響律式砲、急ぎなさい!」

 自分に割り当てられた端末から、メリアも指示を飛ばしていた。

 慌ただしく、みなが焦りと共に騒然となるその様は――まさに戦時下のそれだった。




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