四幕Ⅰ


 正面計器盤センター・コンソールを操作。推進器に空気を送り込み、点火。〈ファーヴニル〉の噴出孔から轟々とした空気を噴出する音が響く。

 虚空画面に表示される機体状況を視認。同時に補助翼や左右の主翼の状態を、操縦桿を動かして異常がないかを確かめる――問題なし。

 画面を操作し、推進器状態確認画面へ。目を通し、左右二つの補助推進器と第一推進器を検閲チェック――すべて異常なしオール・グリーン

 操縦桿を握り、アクセルを入れる。響素を吸収した推進器が強い唸りを上げた。そのまま操縦桿を引いて上昇。

フィーユを乗せた漆黒の騎竜艇が、空高くへと飛翔する。

 瞬く間にルインヘイム上空へと逃れたフィーユは、〈虹輝の障壁〉を展開。気圧や空圧を抑制しながら上空を旋回する。

 夜間飛行はあまり得意ではないし、そもそも騎竜艇の操縦自体、フィーユは得意としていなかった。教わった通りの操縦はできても、ノクトのような長年の経験に基づく臨機応変な空中飛行などはできない。

 しかし、そんな文句を言っていられる場合でもない。

 ノクトに言われた通り、今は眼下の浮遊大陸から離脱することだけ――そこで不意に気付いた。その後どうすればいいのかまでは、指示を受けていないのだ。

 そして、指示を受けていないということは――自分で考えろということなのだろう。たぶん。少なくともノクトならそうするし、そう言うだろうという、長年の付き合いによって蓄積された情報での推察でしかないが。


 ならば――と、フィーユは考える。


 彼は、どうするつもりなのだろうか。

 目を凝らして、少し前までノクトと共にいた辺りを見下ろしてみるが、煙のようなものが上がっている以外なにもない。

なにもないということは、闘争もないということ。つまり、戦っていないということだ。

 戦って途中で逃げたか、あるいは捕まったか。取り敢えず、負けて死んだ――とは考えにくい。

 運は悪いかもしれないが、ノクトの悪運はそれに反比例するように強い。

 そもそも、彼が簡単に死ぬということ自体考え難かった。如何なる状況に陥っても、ノクトは愚痴こそだらだらと零しているが、その実とことん諦めが悪く、徹底的に悪あがきをする。

 刃向かうことを生き甲斐にしているかのように。

 逆らうことを自分に課せているかのように。

 まるでそれこそが自分のすることなのだという風に。飄々と構えて、愚痴り、皮肉を零して、文句を言いながら、どうにかしようと頭を使い、思考を巡らし、使える手段はすべて使うだろう。

 彼はそういう人だから。


「―――」


 そこまで考えて、ようやくフィーユは自分がノクトのことばかりを考えていることに気づいた。


 ノクト――ノクティス・リーデルシュタイン。


 誰もが彼を気に留める。彼に向けられる感情の良し悪し気を問わずが、ノクトという存在を気に留めているように、フィーユは思う。


 たとえば、エル=アウルドム・ユグド。

 ユグド王国の第三王女。真紅の長い髪を持ち、誰もが目を惹く美貌と権威を持つ、王族に名を連ねる――この世における絶対の勝利者。

 聞いた話では、フィーユがノクトと出会うよりも以前から、二人は知り合いだったのだという。どういう経緯があったのかまでは知らない。しかし市井の、それも出自も知れぬ傭兵に対し、一国の王女がある種の友好関係を持っているということ自体、世間からすれば異常と思えるだろう。

 実際に、そういう風当たりが王城内であるということを、彼女の副官が愚痴零しているのを何度も聞いている。

 ただ、そういった周囲の意見や嘲笑の的になっても構わないというくらいには、エルはノクトに気に入られている、ということだけは、フィーユにも判った。

 興味と期待。そしてそれ以外の何かも含めた上で、エル=アウルドム・ユグドという一国の王女は彼の存在を評価しているのだろう。


 たとえば、メリア・イスマール。

 エルの副官であり、腹心の部下である女騎士。くすんだ金髪に碧の瞳を持つ凛とした雰囲気を漂わせた女性。

 上司であり、主であるエルとことあるごとに顔を合わせては言葉を重ねるノクトという存在に、彼女はあまり良い感情を抱いていないのだろう。

 いつも凛然とした雰囲気を纏っているのに、ノクトの姿を見ると露骨に表情を顰め、嫌悪感を隠そうともせず棘のある言葉を口にしているのを思い出す。

 嫌悪や嫉妬という、そしてなにか――認めたくないという感情をありありと。だけど決して悪意あるものではない。

 メリアのそれは、単に羨んでいるようにもフィーユには見えた。


 他に挙げるとすればデルムッド・アキュナスもそうだろう。

 最初に邂逅したのは半年ほど前か。彼はどういうわけか出会うたびにノクトへと侮蔑や叱声、怒号を飛ばして食って掛かる不思議な人物だ。どうして彼がノクトを一方的に敵視しているのか判らないが、それもまたノクトに対しなにか思うところがあるからだと思う。


 『ノルンの泉亭』の店主を始め、あの店に集う客たちも、いつも文句を言いながらノクトに情報を与えるアルゴ・ブラッドベリーも然り。


 思惑、企み、謀略。期待に興味、好意と嫌悪――すべてひっくるめてノクトという人間に集束している。様々な思いは、当人の考えをまるっきり無視して向けられているのだ。


 では、私は?――そう不意に思ってしまったこと自体を不思議に感じながら、改めて考える。


 自分の始まり。それこそ記憶の最初は彼との邂逅からだ。それ以前の記憶はなく、自分が何であるかもフィーユは知らない。

 そもそも名前すら持ち得ていなかった。今でこそフィーユと名乗っているが、それは名前のない少女を呼ぶときに不便を感じたノクトが便宜上付けた名だった。


 だが、気付けばそれが自分の名前になっていた。


 そしてフィーユ自身、そのことが悪いことだとは思わない。呼ばれるその名を嫌ったことはない。

 それは自分がその名を気に入ったのか。あるいはその名をノクトが名付けたからなのかは判らない。


 本当に、判らないことだらけだ。


 でも、それで構わないとも思う。


 だって――そんなものだからだ。


 世の中、そんなものばかりなのだ。本当に判らないことが溢れていて、知らないことのほうがどうしようもなく多いのだから。

 判らないものは判らないだろうし、判る時が来たら、それはきっと自然に判るのだと思う――そんなものだから。

 だから、今は余計なことは考えなくていいのだ。考えることは、そんなことではなくもっと別のこと――現状を打開する術。ノクトともう一度合流する方法だ。

 もしノクトが生きていて――いや、生きてはいるだろう。無事であるかは別として、その生きているノクトともう一度合流するにはどうすればいい?

 たぶん、ノクトは今あの黒服たちに拿捕されたと考えていい。だとすれば、するべきことは救出、あるいは脱出の援護だが、とてもでないが自分一人で出来ることではない。


 ならどうするか?


 それは簡単に思いついた。

 一人で出来ないのならば、人数を――戦力を増やせばいい。

 そうと決断すると、フィーユはすぐに行動に移る。操縦桿を握り直し、〈ファーヴニル〉を操作し即座に機体を旋回させて、思い切りアクセルを入れた。

 すると、まるで咆哮を上げるような加速音を轟かせて、〈ファーヴニル〉が闇の中を疾る。

 人形めいた、と――そう揶揄される少女を乗せた漆黒の竜が、彼方へと向かって夜の帳の中を矢のように駆け抜けていった。


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