The After - 1
「えー、皆さん今年はお疲れさまでした。今年の業務はもう少し残ってますがね、あと数日の辛抱です。とりあえずは今日を精一杯楽しもうじゃありませんか! では、せっかくのクリスマスなので、挨拶もお疲れ様よりこっちがいいでしょう……はい、グラスを拝借……メリークリスマス!」
「メリークリスマス!!」
皆に倣ってぼくはシャンパンのグラスを掲げた。
皆が一斉にグラスを干し、料理に手を伸ばし始める。ぼくもポテトサラダやフライドポテトを適当に皿によそって食べ始めた。
会社の忘年会、何もこんな日にしなくたって……と思うのだが、課長が言うには「今日以外は人が集まらなかった」らしい。皆参加しないのではないかと思ったが、若い人や独身の人が多い職場だということもあってなんとか十数人が集まっていた。職場の半数以上が出席したんだから、なかなかのものだ。
お酒が入るにつれて、顔が赤くなる人、声が大きくなる人、席を移動する人が出始めた。
ぼくはお酒には強いほうだ。さっきから梅酒をロックでぐいぐい飲んでいるが、一向に酔いが回らない。ハイボール、日本酒、電気ブランなどを気ままに飲んでいると、そういえば彼女はお酒に弱かったなあ……と、ふと思い出した。
彼女がいなくなって、およそ三ヶ月。気付いたら過ぎていた、というのが正直な感想だ。
目を閉じて彼女との思い出を振り返る。
自分でも知らないうちに、ほんの少し涙がこぼれ始めた。やっと、こうやって素直に泣けるようになった。彼女の死を受け止め、受け入れられた証拠だと思う。
目を開けると、目の前に課長が座っていた。
「どうしたのかね?」
不思議そうに聞いてくる課長に、ぼくは全力で首を横に振った。
「あ、いや、何でもないんです。少し昔のことを思い出してしまいまして……」
「そうか、それは良いことだ。もう会えない相手にだって、心の中でなら会うことができる」
ぼくはびっくりした。まるで、全てわかっているかのような言い草だ。そんなぼくの顔を見て、課長は面白そうに笑った。
「図星かね。君がじっとしたまま涙を流しているのを見れば、大体の想像はつくというものさ」
ぼくは慌てて顔をごしごし擦った。
「彼女さんがお亡くなりになってから、もう三ヶ月かね」
「はい。あのときは一週間も休んでしまい、申し訳ありませんでした」
そういえば、課長は電話したぼくに「好きなだけ休んでいい」と言ってくれた。おかげで彼女と素敵な一週間を過ごすことができたのだ。
「何、構わんよ。愛する者を失う悲しみは、経験したものにしかわからないものだ」
課長は麦酒をぐいっとあおって、空になったグラスをテーブルに置いた。
「幸か不幸か、私も経験したことがある」
ぼくはまた驚いた。
「課長は独身だと伺いましたが……」
「妻を病気で失ってね。子供もいなかったし、独身で通している」
「知りませんでした」
課長は、遠くを見るように目を細めた。
「君が会社に入る前のことだ。もう十年以上前の話になるかな……急性くも膜下出血で倒れた妻は、そのまま還らぬ人となった。突然も突然、あまりにもびっくりしたものだからね、何も手につかなくなったのさ。毎日毎日ぼうっと過ごし、誰もいない家に向かって妻の名前を呼んだりしていた。生きているのに死んでいるような、そんな生活だった」
それを聞いて、彼女が死んだ直後はぼくもそんな感じだったなあ……とぼんやり思った。
お代わりの麦酒が運ばれてくる。
「そんなある日、思いもよらないことが起こったんだが……何だかわかるかい?」
ぼくは一応「わかりません」と答えたが、何だかわかるような気もした。
きっと、あの光線は課長の上にも降り注いだのだ。亡くなった奥さんを乗せて。
「妻が帰ってきたんだ」
ぼくは黙って頷いた。
「驚かないね」
「なんとなくわかっていましたから」
課長は嬉しそうに麦酒を飲み干した。
「そうか、そうか、やはりそうだったか。君にも同じことが起こったんだろう? 君がちょうど一週間経って出社してきたとき、まさかとは思ったんだがね」
赤くなった顔で、にっこりと笑う。
「それならもう言わずともわかるだろう。私は妻と一週間だけ一緒に過ごした。私の生涯で、最高の一週間だった。もちろん最初は怒られたがね」
「怒られた?」
「ああ。それはもう、烈火のごとくね。あのときの声は今でも聞こえてくるよ……『あなたがそんなに腑抜けだとは思わなかった! 帰ってくるつもりなんてなかったのに、あなたがそんなじゃ安心して死ねないじゃない! 二、三日ならまだわかるけど、あんな死んだような状態でダラダラダラダラと……みっともない! 私が急にいなくなったらまともに生きていくこともできないなんて、私はそんな人と結婚したつもりはありません! しゃきっとしなさい!』ってね。いやはや、まったくその通りだった。いつまでたっても妻の死を受け入れられない私を見るに見かねて、帰ってきてくれたんだ。いい妻だった。おっと、過去形じゃないな。いい妻だ。今でもそう思っているが、あれは最高の妻だ」
課長はぼくに麦酒を勧めてきた。
「君もそうだったのかい?」
麦酒を受け取り、ぐいっと飲み干す。
「いいえ……ぼくも確かにそうでしたが、怒られはしませんでした。彼女は、やり残したことがあるから戻ってきた、と言っていました……ドラマを観たり、料理をしたり、旅行をしたり、そんなことです」
「ふむ」
課長はひげに付いた麦酒の泡を袖で拭った。
「彼女さんはそのために戻ってきた、と」
「はい」
「君は、本当にそう思うかね?」
質問の意味がよくわからなくて、ぼくは聞き返した。
「と、おっしゃいますと?」
「その彼女さんは、本当に自分のやりたいことをするためだけに帰ってきたのか、ということさ」
課長の目は、酔ってふらりふらりとしながらも、時折鋭くぼくを射抜く。
「ど……どういうことでしょうか」
「それは……いや、私からは何も言うまい。あとは自分で気づくべきことさ。素敵な彼女さんを持ったね」
課長はぼくの肩をぽんぽんと叩くと、立ち上がって別の席に移動してしまった。
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