第四十四話 Let's play! 2

 本日ハ晴天也。


 お決まりの文句通り、ヒュペルボレオスの天気は晴れだ。雲一つありはしない、澄み渡った空。しかし景観はあまり良くない。


 頭上を覆うのは、コンクリートの蓋を連想させる無機質な灰色。二千年前からずっと続いている曇天じみた快晴の空模様。そんな不愛想な天上を、人類が生み出した叡智の結晶達が彩っている。

 機械工学に則って設計された多数の飛行物。

 大小様々な飛行船群が、ゆったりと宙を漂っている。その用途は宣伝、哨戒、輸送など、などと。実に多岐に渡っており、楽園の生活を成り立たせる上で欠かせないものとして機能していた。

 更には、小型の撮影機ドローン

 本体を主軸として四つのプロペラを備えた機械の凧。導入された数は実に三百以上。三合会トライアドのロゴマークが刻印されたソレ等は、学園都市オルガン・アカデミーを舞台とした乱痴気騒ぎを具に捉えて全国区に面白可笑しく放送している。

 無論、ヒュペルボレオスの壁外でも番組を視聴することが可能だ。


 撮影機ドローンに備わったレンズが、眼下にて繰り広げられている壮大な鬼ごっこを映している。


 その主役は三人の子供達。

 彼等はサーカスの如く、街の中を縦横無尽に駆け抜けていた。


 人払いは既に済ませてある。無論、カルティエの計らいだ。

 彼女達の『作戦』に必要な設備も同様に準備万端。スイッチ一つでいつでも起動できる状態で事に臨んでいる。計算上――特定の条件下で発動することが出来れば、まず間違いなく目標を捕縛することが叶うプランだ。

 不確定要素であったアランの行動も、概ね想定通り。

 アランはカルティエに対して魔術による攻撃を仕掛けない。

 理由は明快で、容易く殺してしまいかねないからだ。むしろ豪快に魔術を使用した先のダーレスやシャーロットとの戦闘の方が異例であるといえる。事実、彼はウィルバーやジュニアの制圧そのものは格闘にて行った。

 それは現在も同様で、アランはあくまで鬼ごっことしてカルティエを捕まえる心算だ。魔術の使用は補助に留められている。

(優しい人―――)

 カルティエは思う。

 アラン・ウィックは気付いている。自分が本気で攻撃することはないと高を括った上で、罠の許へ誘導している――という、その事実に。カルティエの作戦の狙いを看破している。

 それでも彼は誘いに乗った。

 逃げることはせず。この先に罠があることを承知して、決して迷うことなく――真っ直ぐにカルティエを追っている。

 優しく、そしてそれ以上に強い人だ。

 だからこそほんの少しだけ気後れしてしまう。そんな彼を、今から罠に嵌めようというのだから。


 けれど、それ以上に―――


 空の弾倉を落とし、魔導書ライブラリから取り出して装填。そして合図を告げる。

 猛烈な速度で空中に弧を描く。

 建物の一階部分――壁のない渡り廊下へ、身体を斜にして滑り込む。地面に擦れる寸前の空中ブランコ。傍目には危険極まりないが、当人には一切の恐怖がない。

 ワイヤーが屋根に引っ掛かり、少女の身体が跳ね上がる。

 当然、それも計算の内だ。

 カルティエは新たなワイヤーフックを取り出して投擲、目標物に引っ掛け、腰の機構を作動させる。強力なモーメントでワイヤーが巻き取られると同時に、少女の肢体が再び空高くへと舞い上がった。

 縦横無尽なワイヤーアクションを可能としているのは、彼女のベルトに設えられたバックル型の巻き取り機ウインチである。上部には多数のワイヤーフック状の金具が飛び出しており、これを押し込むことで伸び切ったワイヤーを切断。同時に金具がワイヤーの切断面を食んで固定する。その後、発条仕掛けで弾き出されたワイヤーフックを取ることで、次のアクションが可能となるのだ。

 際限なく伸び続けるワイヤーは、伸長に応じて巻き取り機ウインチ内で合成されている。その仕組みは蜘蛛が糸を生成する工程プロセスに近い。また、この装置は専用の魔導書ライブラリであり、合成用の液状素材を随時補給できるため、電波が届く範囲であれば延々と伸ばし続けることが可能だった。


 あまりにも無茶苦茶だ。


 彼女の使う道具も、それを使いこなす彼女自身も。

 しかし、彼等はしっかりとそれに着いて来る。

 彼女を捕まえようと喰らい付くアラン。ぴったりと呼吸を合わせて、連携するシャーロット。二体一の鬼ごっこ。どちらが優勢とも言えない、完全な互角の勝負。誰がどう見てもこの遊戯ゲームはきちんと成立している。


 ―――それが、楽しい。この上なく。


 白い少女は歓喜していた。この瞬間が、笑い出したくなるほど楽しかった。

 カルティエには誰かと一緒に遊んだ経験がほとんどない。文武両道を地で行き、剰えその両方で、絶えず頂点の更にその上を走って来た。負けたことも、引き分けたこともない。あらゆる勝負事は全て掌の上で、事態がそこから零れ落ちたことなど一度たりともないのだ。

 それでも最初は楽しかった。しかし、次第に楽しくなくなった。

 その次に、相手をしてくれる者がいなくなった。

 偉大なる一族クルーシュチャたる彼女は、常に頂点で孤立していた。一番が当たり前で、誰も後に続くことができない。続けないし、続こうともしない。しかし――今は違う。

(……こうして本気を出してなんて、いつ振りでしょう)

 わくわくと――胸が弾む。際限なく、心臓が高鳴る。

 初めて映画を見た時と同じだ。きらきらと輝く銃を手に、悪役ヴィランを倒す主人公ヒーローの雄姿。それが好きだった。何よりも憧れた。まだ自分が何も知らなかった頃――毎日が楽しくて、ずっと何かに夢中だった。世界の全てが輝いて見えていた。

 あの時と同じように、今の彼女は全力で生を謳歌している。

 童心に帰った心地を、カルティエは感じていた。

(ああ――貴方達と出逢えて、本当に良かった!)

 ぐるりと宙転。後方を向いて、追い縋ってくる相手に銃口を向ける。

 立て続けに三度、引鉄を絞る。

 閃き爆ぜる鉄火マズルフラッシュ。発射されるゴム弾。其は非殺傷兵器なれど、秒速にして八百九十メートルもの強烈なエネルギーを宿した礫なのだ。直撃すればただでは済まない。


 しかし――そんなもの、アラン・ウィックには通じない。


 彼は空中で腕を振るい、三発の弾丸を全て叩き落とした。ゴム弾とはいえ――最早、対物狙撃銃の銃撃では動きを止めることすら出来ない。

 その事実に戦慄する。

 知らず知らずの内に、口角が上がる。

 

「―――シャーロットちゃん。作戦を開始します」


 背後に迫る校舎。そのままでは背中から激突しかねない状況で、カルティエがインカムのマイクに告げる。

 白い少女の姿は、開け放たれた窓の中へと吸い込まれるようにして消えた。


 校舎内は電灯が着いていないのか、内部がよく見えない。


「――――――」


 一切躊躇することなく、アランはカルティエの後を追って同じ窓から校舎に飛び込んだ。

 薄暗い校舎の中にカルティエの姿はない。

 校舎内を移動したか、あるいはもう既に反対側から外に出たのか。咄嗟に判断しかねる状況だ。それ故、彼の動きが一瞬――にも満たない、刹那の間だけ止まる。

 けれど、それでも隙には違いない。


 ―――TEKELi-Li!


 鳴き声と同時、校舎の壁が爆ぜるようにして吹き飛んだ。

 コンクリートを粉砕し、黒い液体生物が派手に侵入した。


「ヤッホーイッ! アシュトン、確保FETCH!」


 次いで飛び込んで来たのは、シャーロット・ウィック。

 その手には何故か、黒いギターケースが握られている。


 現在の液体生物の質量は、シャーロットの体重を優に上回っている。その大きさと迫力は大型戦車にも引けを取らない。液体生物は即座にアランを捕捉し、体を左右に広げ、その端をから更に無数の触手を伸ばしてアランを捕まえようと動く。

 触手を全て回避。更にアランは周囲の様子を探る。

 カルティエの姿がない。狙撃を警戒し、うっかり窓の死角から出ることがないよう気を配る。そして頃合いを見て拳を床に叩き付け、魔術による爆破を行使。足場を崩し、液体生物の捕捉から逃れようと試みた。

 しかし―――

 爆発する。

 正確には校舎を支える、一階部分の柱と壁が爆破された。アランの魔術――ではなく。カルティエが事前に仕掛けていた爆弾によって。

 周囲の建物の被害はゼロ。

 高度な指向性の爆弾を特定の箇所に仕掛けることで、ビルディングを解体処理する手法があるが、それと同一の技術だ。彼女は――液体生物と対峙したアランの行動を読み、必ず彼が足場を崩しに掛かると踏んで、爆発の衝撃に反応してトラップが発動するよう細工していたのである。

 そして、仕掛けておいたのは爆弾だけではない。

 先の事件の解決時に、彼女が使用した発明品。惑星ホシの重力を阻害し、あらゆる物体間にて発生する引力に干渉する――蒼い光子フォトンの映射装置も作動していた。


 紺碧の燐光が、内部のアランや液体生物諸共に校舎全体を包み込む。


 支えを失い、倒壊する筈だった校舎ビルディングは――そのまま天高く飛翔するロケットになった。

 緩やかにぐるぐると回転しながら、楽園の空を舞う。

 視界内の全てが蒼い光を帯び、重力の束縛から解放される。その証拠に、抜け落ちて無数の瓦礫となった床の残骸が、風に飛ばされた蒲公英タンポポの綿毛の如くふわふわと辺りを漂っていた。

 何が起こっているのか、状況を把握できないアラン。

 それでも彼の体は動いた。俊敏に無数の触手を巡らせる液体生物の攻撃を、危なげなく躱し続ける。

 どのような原理でこんなことになっているのか、あえて思考しない。ただ――この場が疑似的な無重力空間になったという現実を真摯に受け入れ、床だけでなく壁や天井、更には空中で静止したように浮いている瓦礫をも足場として、獲物を絡め捕らんとする液体生物の魔の手の悉くを掻い潜っていた。

「あははははははは! すごい、すっごーい! まるで映画の中みたい!」

 一方――シャーロットに戸惑った様子は全くない。事前に何が起こるか聞かされていたのか。哄笑しつつ、攻撃の手を緩めることなくアランを追い立てている。

 付かず離れず、一進一退の攻防。その隙間を縫い―――

 九十度傾いた天地。校舎ビルディングの廊下から落ちてくる白い影が一つ。

「―――――」

 アランは咄嗟に防御の姿勢を取った。

 間を開けず、衝撃が飛来する。ゴムの礫が黒い少年に叩き付けられた。


 硬直する。


 その隙を突き、カルティエはアランへ肉薄して――脇を擦り抜けて、更に遠くへと落ちて行った。


 迷いなく。重力の導きに従い、地面へ。


 誘われている。明らかな罠だ。


 待ち構えているのは正しく虎口。獲物を仕留める瞬間を、眈々と待ち構える策士の掌の上。それを承知で、アランは白い少女を追った。

 とはいえ――相手の誘いに乗らざるを得ない、という事情もある。

 そもそもこの場に留まっていてはいけない。

 この校舎は自動車ほどの速度で空を移動しているのだ。そう間を置かずに、学園都市の上を抜け、やがてはヒュペルボレオスの壁外に落ちるだろう。カルティエならば、罠を考えた時点で間違いなくそこまで計算している。少なくとも、徒に被害を出すような計画を立てることはあるまい。

 どちらにせよ、そうなれば場外に出たということで失格となる。離脱の選択は不可避だ。

 何より――卓越した狙撃手の打倒を望むのであれば、接近してから白兵戦を仕掛ける以外に道はない。これはあらゆる戦場における定石である。故に、彼女を再び見失う愚は避けねばならなかった。この場は追わなければならない。―――喩え、それが敵の思惑通りだったとしても。


 度重なる挑発と心理的誘導。


 敵手の行動を読み、絶えず先手を打ち続ける戦略。戦術。悪魔的なまでに徹底した盤上支配ゲームメイク。実に優れた手腕だ。舌を巻かずにはいられないほどに。

 しかしそんな内心はおくびにも出さず、巌の如き無表情のまま、アランは地表へ向けて数百メートルの距離をダイブする。


 眼下には小型の硬式飛行船。


 低く地面の近くを飛ぶ、薄い金属板で形作られた白い気嚢。カルティエがそこに着地する心算であるのは明らかだった。

 アランは姿勢を低くする。大型の肉食獣が力を貯める動作。

 次の瞬間、少年は黒い弾丸となった。

 網状に変化して行く手を阻む液体生物の隙間を擦り抜けて、凄まじい速力で空を飛ぶ校舎から離脱する。その後をシャーロットが追い掛けるが、全く間に合わない。

 アランは先に飛び出したカルティエをも追い抜き、僅差で飛行船の屋上に着地した。そして勢いに委ね姿勢を低くしたまま、頭上の敵に対処すべく構える。


 着地点は抑えた。

 後は、空中の無防備な瞬間を捉えるのみ―――


 足か、もしくは首に腕を引っ掛けて絡ませ、体勢を崩させる。後はそのまま捕縛すればいい。それがこの場・この状況における最適解だ。―――その筈、だったのだが。


「―――――ッ!?」


 アランが驚愕する。

 時間にして一秒か、それ以下の攻防があった。結果としてアランは上下逆様に、空中へ放り投げられてしまったのである。格闘技の達人である彼が――他でもない、武術の心得など一切ない碩学の少女の手によって。あっさりと。


 手順としては、こうだ。


 接触する寸前にカルティエは持っていた銃を放棄。巧みな重心の移動によって空中で体勢を変え、足を捕らえようと伸ばされたアランの右腕を、必要最小限の動きで蹴り弾く――だけに留まらず。カルティエは彼の腕に足を絡み付かせ、動きを封じた。

 腕を拘束すると同時に、カルティエはもう一方の足をアランの首に引っ掛ける。そして落下の勢いに乗って、アランの首を軸としてぐるりと回転した。

 当然、腕の拘束は外れるが問題ない。相手が反応する前に事を終えてしまえばいいのだ。

 カルティエは伸ばされたままのアランの腕――その手首を両手で掴み、彼の肩を踏み台として前転の要領で跳び上がる。そして着地と同時に振り被るようにして踏ん張り、思い切り前傾。右肩にアランを背負い、そのまま全力で投げた。

 それは、実に見事な背負い投げだった。


 ―――油断した。


 アランは己を激しく痛罵する。


 相手は技術畑の人間だと見縊っていた。体術の心得などないに違いないと早合点し、結果としてだ。

 とはいえ、それも無理からぬことではある。

 多くの格闘家がそうであるように、素人と経験者の違いを見抜くことは容易だ。歩行から呼吸法、その他の些細な所作から正確に看破できる。その点でいえば、カルティエは間違いなく『素人』だった。

 実際、カルティエは武術の薫陶くんとうを受けたことなど一度もない。

 それでは――何故。何故、彼女は街中を飛び回る大立ち回りを演じ、あまつさえ、格闘家として超人的な技量を持つアランに一本取ることができたのか。

 その理由といえば、実に単純である。嫌になる程に。

 才能だ。

 カルティエ・K・ガウトーロンには天賦てんぶの才がある。それは頭脳だけではない。彼女は思い描いた通り、正確に、自分の身体を動かすことができるのだ。

 己の手足を、指先の末端に至るまで。正確に認識し、ナノメートル以下の誤差で精密に動作させる。これはあらゆる武術における基礎的な技術であり、そして最も習得が難しいテクニックだ。それこそ凡人では一生掛けても会得することが叶わないほどに。

 それを、カルティエは生まれながらに可能としている。補助として普段からハーネスベルトを愛用しているが、それこそ誤差のようなものだ。

 あとは通常の身体運動学の範疇はんちゅうだ。人間に可能な動きの全て――あらゆる選択肢を脳内で計算し、取捨した上で、相手に対して最も的確な運動を実行する。ただ、それだけのこと。


 ならば、カルティエはアランよりも強いのか?


 答えは否。断じて否。

 そのことはカルティエ自身が誰よりも理解している。

(一度切りの騙し討ちはなんとか成功しましたか)

 緊張で全身から大量の汗が溢れる。彼女は心中で重々しく溜息を吐いた。

 今回の作戦は、『アランが手加減してくれること』と、『アランがカルティエには格闘技の心得が一切ないと思い込んでいること』を前提として立案されている。そして一度実行したならば二度と通用しない、使い捨ての策だ。

 カルティエがことを知ったなら、当然アランはそう弁えた上で戦術を組み立てる。そうなった場合、自分に勝ち目はないだろうとカルティエは判断していた。


 実際の所、アラン・ウィックに白兵戦で勝てる人間などこの世に存在しない。唯一人の例外を除いて。


 もっとも――その例外も、つい先日に死んでしまったが。


 兎にも角にも。


 切り札を切ったのだ。アランを捕まえる、これ以上ない好機である。


「―――シャーロットちゃん! 今ですッ!」

了解Ia―――――――――――――――ッ!」


 飛行船の気嚢の上に、黒い少女が着地する。

 彼女の手には、何故か黒いギターケースが握られていた。


 シャーロットは着地と同時に踊るように跳び上がり、空中で反転。右足を畳み、左足を横に大きく伸ばして腰を落とし、両手でギターケースを右肩に担ぐ奇妙な姿勢を取って、今まさに宙へ放り投げられた直後のアランの方を向く。

 ギターケースの先端は、正確にアランへと突きつけられている。

 その奇怪な構えを直視した瞬間、とある映画のワンシーンが彼の脳裏に翻った。


「―――――クソッ!」


 瞠目し、口汚く罵る。

 そんな彼に向けて、シャーロットは実に楽し気に告げた。


「Let's Play!」


 唱えた言葉を合図として、ギターケースから小型の誘導弾ミサイルが発射される。煙の軌跡を残す燃焼剤の炎と、その反動で爆裂的に推進する筒状の爆弾。それが瞬きの内に、アランを目掛けて接近する―――!


 反射的に、アランは両腕を交差させて防御の姿勢を取った。


 ミサイルが爆発する。黒々とした爆炎が辺り一面に飛び散った。

 間を置かず、煙の中から黒い少年が飛び出る。彼に怪我をした様子はない。何故かといえば、そもそもミサイルは直撃しなかったからだ。接触する手前で爆発し、その勢いに煽られてアランは吹っ飛んでいる。

 アランは為す術もなく、地面へ向かって真っ逆さまに落ちていく。

 その両腕には白い塊が纏わり付いていた。カルティエ特製の取り餅だ。ミサイルの中に仕込まれていたもので、アランの両の腕を固く拘束している。

「なんだ、これはッ」

 落ちながら――取り餅から逃れようと、アランは四苦八苦する。腕力だけでなく魔術も行使したが、取れない。それどころか段々と硬度が増していき、外すのがより難しくなる始末だ。


 黒い少年が、落ちていく。地面に向かって、垂直に。

 しかし、不意に停止する。彼は空中で浮遊していた。


 下方から強烈な風が吹き上げている。その勢いは竜巻も同然で、人間を地上から二十メートルもの距離を浮き上がらせるに足るほどだ。

 逆さで浮いたアランは、顎をげてを見る。そして、納得した。

 彼の直下には、幾つもの巨大な扇風機があった。

 扇風機を囲う形で、四角く建物の壁が伸びている。アランはその中にいた。

 屋外式垂直型風洞装置。空挺兵の訓練用に誂えられた軍事施設である。端的に表すなら、スカイダイビングの真似事をするための代物だった。

 それが今――アランを捕縛するための、不可視の檻として用いられている。

「―――予め言っておきたいのですが」

 不意に、横から声が聞こえた。

 アランは胡乱な眼差しを向ける。すると、もう既に見慣れた少女の顔が映った。

 カルティエとシャーロットのもアランと同様に、空中に浮いている。

「魔術を使用するのは控えて下さいね。その取り餅は特別製でして、摂氏二千度まで熱量が上がらなければ融解しません。まあ、それ自体は、貴方なら問題なく達成できるのでしょうが――ですが、この状況では問題があります」

「……ダウンバースト?」

「その通り! 極めて高温になった風が上空で急激に冷やされ、強烈な下降気流となってこの辺り一帯に吹き付けます。この場合、地面に激突した後に広がる衝撃も含めれば、最小でも半径四キロメートル以内が甚大な被害を被るでしょうね」


 涼し気な表情で、とんでもないことをさらりと言ってのける碩学の少女。

 その横で、シャーロットは平気で疑似スカイダイビングを楽しんでいる。


 彼女の言葉に嘘はないだろう、とアランは考える。

 アラン自身、状況によっては自ら下降気流による災害ダウンバーストを引き起こして攻撃に転用することもあるのだ。解説されなくとも理解はできる。取り餅の融点についてもではないだろう。

 空中で拘束された状況。如何に優れた格闘家であれ、無限熱量を持つ生物兵器であれ。こうなってはどうしようもない。非の打ちどころのない『王手』だ。

「……なるほど。よく考えたものだな」

 感心半分、呆れ半分といった心地で言う。

 カルティエは得意気に胸を張った。豊満なバストが強調される。

 そして徐に、彼女は大胆にライダースーツの胸元を開き、中から愛用の懐中時計を取り出した。蓋を開き、時刻を確認する。

「ふふん、どうです? 私もやるものでしょう? ―――イベントの終了まであと十分を切りました。このまま大人しく終わるまで待っているか、それとも降参して負けを認めるか。貴方の自由です。どうします?」

「…………」

 アランは答えない。

 無言で視線を流し、シャーロットの方を見る。

 今の彼女は液体生物を連れていない。空中から絶えず強烈な風を吹き付けられる状況では、液体生物の活動が著しく制限されるが故だ。形を保てず、散ってしまう。

 故に、アランの拘束には液体生物を使わないことをカルティエは決めた。

 その判断自体に間違いはない。別けても、カルティエが事前に得ていた情報が全て真であった、という場合においては。

 アランが、答える。

「降参はしない」

「やっぱり負けず嫌いですね、アラン君は。それならこのまま、終了時間まで私達と遊びながらお喋りでもしますか。ちょうど話したいこともありますし―――」

「正しく意図が伝わっていないようだな。俺はまだ負けていないと言ってる。確かに『王手』は掛けられたが、まだ『詰み』じゃない」

「…………」

 アランの言葉を受けて、カルティエの表情が一気に険しくなる。

 それが負け惜しみではないことは直ぐに分かった。だがこの状況で、彼に出来ることなど何もありはしない。それは確かだ。確かなのだ。故に、天才の碩学少女は混乱する。

 まだ彼が負けていないのだとすれば。

 それは、そもそもの前提条件が間違っていたことを意味する。

 だがアランの魔術は触れたものにしか作用しない。光、気体――そして音。これらに干渉できないが故に、最強の怪物アラン・ウィックにとってそれが弱点となるのだ。

 今のアランに触れられるものは何もない。

『詰み』である筈だ。

 頭の中を全てひっくり返して、カルティエは考える。だが答えは出ない。

 一方で、アランは淡々と言葉を続ける。

「そもそも君は何も分かっていない。このまま無様を晒し続けるだなんて、俺は御免だ。そんなことを許すくらいなら、喜んで街なんてぶっ壊してやるさ。君達諸共にな。……まあ、今はそれ以外にも勝ち筋はあるからやらないが」

 調子を確かめるように、アランはゴキゴキと首や肩の関節を鳴らしている。

「それに何より、君に入れ知恵した奴を賭けに勝たせるのは酷く癪に障る」

「―――――っ! な、なんのことでしょう……?」

「……まあいい。―――さて。では、今度は俺が講義しよう。

 俺は熱量操作の魔術をこの身に宿している。その特性上、俺が『触れた』と認識できないものの熱量は操作できない。だから光と気体、そして音。この三つには対応できないと言われる訳だ。それで前の事件の時は酷い目に遭った。だが――何事にも、例外はある―――――」


 ―――――瞬間、アランの身体が不自然に上昇した。


 風に運ばれて、急激に斜め上の後方へ。その様を目撃したカルティエは、アランが言わんとしたことを電撃的に悟った。

「しまった……!」

 あまりにも簡単な話だった。自分の迂闊さを散々に罵倒したくなる程に。

 気体――空気は常に触れているものだ。だが、触れていることを認識できる者は稀だろう。カルティエのような、特殊な五感を備えていない限りは、それを自覚することはまずない。しかし――『何事にも、例外はある』。

 風だ。

 気体の動き。それは時に肌を撫で、刺すように吹き付ける。それは『

 故にアランの魔術の対象となる。

 アランは自らの体に当たる風の熱量を操作し、急激な上昇気流を生じさせて空中を移動したのだ。

 四方を囲む壁に、アランが接触する。

 彼は既に拘束を脱していた。肩から指までの関節を外し、あるいは筋力によって骨を砕き。脱皮するようにずるりと、手袋と上着から抜け出る。

 脱臼と骨折は即座に完治した。

 腕に残る痛みはおろか、風で飛ばされた服にすら目もくれず。アランは壁を蹴った。

 もう何度も繰り返された、弾丸そのものの跳躍。それは凄まじい勢いでカルティエの身体を攫った。更に彼は少女を連れたまま風洞装置の建物外へと飛び出して、地面の上に降り立つ。

 アランはカルティエの首に腕を巻き付け、淡々と告げた。

「三秒やる。。一、二―――」

「―――ッ! 降参! 降参です! 降参しますッ!」

 万歳をして訴える。すると、アランは腕の力を緩めて、カルティエをゆっくりと下ろして地面に座らせる。

「さて、こんなところか――おっと!」

「YIPEEEEEEEEEEEE!」

 液体生物を伴い、気勢を吹いて飛来するシャーロットを、アランは寸での所で回避した。

「……お前、まだやる気か」

「ふふ、とうぜん! 私はまだまだ遊び足りないもんね! まだ時間も残ってるんだし、最後まで遊ぼうよ! それとも降参して私に五千兆点くれる?」

「まさか」

 言葉とは裏腹に、酷く気怠そうにアランは答える。それでもシャーロットは喜色満面で笑った。

「よぉしっ! じゃあ――征っくよぉ―――――!」

 開戦の布告。

 それと同時に、二人の黒い影が激突する。

 アランとシャーロット。二人の怪物にとって、学園都市というリングは狭い虫篭のようなものだ。攻防の度に、激突する回転駒の如く、彼等は縦横無尽に飛んで行く。その姿は既に遠くで、カルティエの眼にはもう見えない。

「……むぅ」

 置いてけぼりにされたカルティエは、少しだけ拗ねていた。

 そんな彼女の背後に迫る影が一つ。

「―――捕まえた」

「うひゃぁっ!?」

 肩に手を置かれ小さく跳び上がる。

 振り返ると、そこにいたのは灰色の少年――ウィルバー・ウェイトリィだった。

「ウィルバー君ですか、驚かせないで下さいよ。……その、大丈夫なんですか? お顔が潰れていますが」

「ハハハッ、前が見えねぇんだなコレが」

 陥没した顔面のまま軽薄に笑う。

 ウィルバーは自分の顔を両手で捏ねた。すると、ゴム製玩具のように、元の端整な貌に戻る。

「ハイ、これでイケメンフェイス復活!」

「…………」

「なんだよどいつもこいつもノリ悪いなぁ。まあいいけどさ。……うっし、今ので俺にもポイントが入ったな。これで二位だ」

 取り出した携帯端末を操作し、目当ての情報を得たウィルバーがガッツポーズをする。

「……意外ですね。貴方がゲームの順位を気にするだなんて」

 服に着いた汚れを払いながら立ち上がり、カルティエが言う。

 ウィルバーは朗らかな笑みを浮かべて答えた。

「そりゃあもう、金儲けのチャンスなんだし逃すワケないじゃ~ん? しかも順位予想が当たりゃぁ、配当金もマシマシと来てんだぜ? やるしかないっしょ、不正行為! アラン・ウィックが一位になんのは確定だから、後はその下を操作できればいいんだし。選手側の俺ならそれも簡単ってな。いやー、楽に儲けられるって最ッ高だネ!」

 下品に親指と人差し指の腹を擦り合わせ、ウィルバーは悪魔じみた笑みを浮かべた。

「………………………………」

 呆れて言葉も出ない。

 無意識に蔑んだ目を向けてしまうが、当の本人は柳に風と受け流している。けろりとした表情で、けらけらと嗤っている。その笑みの醜悪さを例えることは難しい。あえて表現するのなら――人肉を食む山羊だろうか。

 彼は、実に、美味そうに貪っていた。


 ―――チクタク、チクタク


 時刻は十七時、丁度。

 無駄に派手になってしまった祭りが、漸く終了した。

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