第四十三話 Let's Play!1

 時刻は十六時四十五分。

 アランがダーレス等を退けてから既に一時間。夕方の空は黒の濃度を増し、着々と夜を迎えつつある。


 壊滅的な被害を被った某区画を除き、学園都市オルガン・アカデミーは平常運転を続けていた。街路は五限目の講義を終えた学生で溢れている。あと一時間もすれば全体的な終業を迎えることもあってか、早めの帰途に着く者の姿も珍しくない。

 そんな有り触れた風景の中――明らかに浮いたものが一つ。

 石畳で舗装された歩道を行く黒い少年、アラン・ウィック。その足取りは平素と変わらぬものだが、しかしこれといって計画的な意図は見受けられない。何処に向かうでもなく、フラフラと街を散策しているようだ。

 彼の周囲には、一定以上の開けた空間が出来ている。

 先刻の騒動が大々的に広がった結果だ。アランの顔を見るや否や、通行人達は談笑を打ち切ってそそくさと離れて行く。無理もない反応だ――と、アラン自身も正しく理解していた。

(……あのおどけものオーギュストに当てられたか。幾ら何でもやり過ぎた)

 そっと左目を覆い、口の中に湧いた苦虫を噛み潰す。

 眼球からビームを撃つ技は、そのリスクの大きさと攻撃時に生じる被害規模から、アランにとって事実上の禁じ手である。無闇に使うものではないと、師であったエレナ・S・アルジェントからも口を酸っぱくして言いつけられていた。にも拘らず、その場の勢いに任せて使用してしまった事実に、自己嫌悪が止まらない。

 そもそも我慢強いのが己の長所なのだと彼は弁えている。軽率な暴挙は、あまりにも自分らしくない振る舞いだった。

 箍が外れている。

 善くない傾向だ。

 自省、自省。重ねての自省。

 執拗に自らに言い聞かせる。それでも安心はできない。何故ならまだ祭りは終わっていないからだ。

 斜め後方――宙空に浮かぶ撮影機ドローンが、アランをレンズに捉えている。

 彼の様子はリアルタイムで配信されていた。最早隠れる気も失せたようで、堂々と姿を晒している。あまりにも大胆不敵な構えだが、しかしそれは虚勢ではない。歴とした自信と経験に裏付けされたものだ。

 アラン・ウィックは怪物だ。誰にも制御できない。

 無論、何事にも例外はある。彼の手綱を操れる者はいた。彼の師だった女性だ。しかし、彼女はもういない。他でもない――アランが自らの手で殺したのだ。

馬鹿騒ぎイベントの終了まで、あと一時間と十分とちょっとか。あの二人が仕掛けてくるならそろそろだな)

 携帯端末で時刻を確認しつつ、今後について思考を巡らせる。

 このまま何事もなく時間切れを迎える可能性については慮外だ。あのお転婆シャーロットが大人しくしている筈がない。確実に騒ぎに便乗して厄介事を起こすだろう。彼女のことを誰よりもよく知る実兄・アランには、その確信があった。

「…………」

 無言のまま進んでいた足先が、にわかに向きを変える。

 片側四車線の広大な道路。その中央に設けられた島式型のバス停留所へ。

 先に並んでいた者達が列を成していたが、彼等は近付いてくるアランの姿を認めるや否や、皆そそくさと立ち去って行った。斯くして不本意ながらも簡素な停留所を陣取ったアランは、徐に懐から携帯端末を取り出す。

 件の特設サイトを開き、状況を確認しようとした時だった。

 背後から、何者かが近付いてくる。

 黒い人影。見る限り背丈はアランと概ね同等。その者は驚くほど自然体だった。敵意も戦意もなく、気ままに散歩している風。あるいは実際にその通りなのかもしれない。何の気なしに街へ繰り出し、特に意味もなくここへ現れた極普通の通行人に違いない。

 通行人は自然にアランの背後――バス停に並ぶ列に加わる。そして携帯端末を取り出し、電話を掛けた。


 鳴り響くコール音。


 アランの携帯端末が、着信音を鳴らしている。

 特に訝る様子もなく、アランは通話に応じた。


「―――シャーロットか?」

『ご名答! こっちも端末を別のに変えたんだけど、一発でよく分かったね~! 流石はお兄ちゃんだ! ―――それはそうと、お兄ちゃん? あのさ、大丈夫? さっきはずいぶんと派手に暴れてたみたいだけどさ、降りかかる火の粉を払うにしてはちょっとやり過ぎじゃない? らしくないよ? ボケちゃった?』

「……そうだな。柄にもなく熱くなり過ぎた。今後は自重するよう心掛ける」


 気安く寄りかかって来る背後の通行人。

 辺りは無人。今この場にいる人間は、アランとだった。


 背中合わせに立ち、わざわざ電波を介して二人は言葉を交わす。


「とはいえ、手心を加える気は毛頭ないが。俺に対し敵対行動を執る者は必ず排除する。どんな事情があるにせよ、どんな相手であろうと。例外はない。それがたとえお前でもだ」

『ふふっ、コワ~……―――さて! 時間も押してるし、そろそろ始めよっか!』

 明るく笑って茶化し、普段と変わらない態度のまま――しかし、確と闘志を弾ませてシャーロットが告げる。

 異存はない。

 携帯端末を耳に当てたままの、有り触れた学生然とした立ち姿。アランはあくまでも自然体で戦に臨む。

「……位置について」

 前を向いたまま応じる。

 決して振り返ることはない。今は、まだ。まだその時ではないのだ。

『よーい……―――』


 ―――ドンッ!


 同時に叫び、それを合図にして二人は走り出した。

 目指すは前方。

 さながら肉食獣の如く、鞭のように撓り躍動する肢体。最高速度で疾走する。バス停を始点にしてきっちり十メートル進んだ所で――合図があった訳でも、事前に取り決めていた訳でもないのにも拘わらず、彼等は全く同時に前後を反転させた。

 バス停を挟み、二十メートルの距離を隔てて相対する。

 睨み合う二つの黒い影。

 一方はアラン・ウィック。対するのは――だった。

 機械油オイル膜を連想させる、無機的な玉虫色の光沢を帯びた漆黒の人型。一応服を着ているが、それだけだ。ソレはどう見ても生物ではなく、また、既存の生物学的な観点に照らし合わせても、生物などとは到底言えたものではない。しかしその一方で、それは歴とした生き物だった。

 液体生物――クラーク・アシュトン・スミス三世。

 其はシャーロット・ウィックのはらに宿りし邪神、その奉仕種族。彼女が有する最大にして最強の戦闘手段である。


 アランは固く拳を握り締め、振り上げる。


 鉄槌の如く叩き落とされる右拳。それは地面を強烈に撃ち、更に爆ぜさせた。

 無限熱量の魔術が発揮した暴威。拳を起点とし、前方十メートルもの範囲の地面がそのまま爆弾になった。それはあたかも活火山の噴火現象めいて、アスファルトを破裂させ、ヒュペルボレオス全体を震撼させる。

 天高く伸びる火柱と黒煙。

 それは巨大な龍のあぎとのようだった。赤く燃える灼熱の土石流が、一切の容赦なく――敵を呑み込み粉砕するべく迫り来る。

 黒い人型が呆気なく飲み込まれる。

 千度を超える溶岩の波濤に襲われて無事な生き物などいない。―――しかい、何事にも例外はあるものだ。

 黒い人型は生きていた。そして走っている。

 紅蓮に燃える土石流の中を突き破るように、アラン目掛けて荒れた道路を疾走していた。

 あらゆる液体は、一定の温度を越えた場合に気体となり、その逆に一定の温度を下回れば固体となる。

 しかし液体生物アシュトンには沸騰点も凝固点もない。温度自体は変化するものの、一千五百万度の太陽に激突しようが、マイナス二百七十三・一五度の絶対零度に晒されようが、一切構わずに液体であり続け流動し続ける。そういう特異な性質を持った生き物なのだ。

 当然、アランの魔術によって熱量を操作されても平気である。


「―――YIPPEEEEEEEE!」


 叫び声が聞こえたのは頭上。

 アランは咄嗟に前方へ跳んだ。直後、彼が立っていた位置の地面が大きく陥没する。身の丈を越える程の巨大な黒い鉄槌ハンマーを持ったシャーロットが不意打ちで殴りかかった結果だった。

 急速に冷めていく溶岩の上を滑走するアラン。

 そこへ挟み撃ちの形で襲い来る二つの影。

 一方は、先の爆撃に挑み真っ向から突き抜けて来た人型のアシュトン。そしてもう一方は、武器の形態のアシュトンを従えたシャーロットだ。

 シャーロットと人型アシュトンは、巧みに連携しながらアランを挟撃する。

 鎚に、棒に、鞭に。次から次へと忙しなく形を変える二体の液体生物。千変し万化する得物を手繰る少女の技は鋭く正確で、舞踏の如く美しかった。

 一人と一体の攻撃は苛烈を極めた。多段に構えた、息を吐かせぬ多重攻撃。アランの手数を一とするなら、シャーロットのそれは十に届く。アシュトンと合わせれば更に倍だ。

 しかし――届かない。

 アランは一人と一体が繰り出す攻撃の全てを的確に捌き、躱している。絶えず立ち位置を変え、翻弄し、堅実な構えを崩さない。シャーロットとアシュトンの攻撃は、その全てが無駄に終わっていた。

 その様は歯車が噛み合い動く機構のよう。まるで芝居だ。予め決められた動きを知っていなければ出来ない、未来予知じみた的確な防御。

 聴勁チョウケイ

 卓越した拳士は相手の攻撃の起こり――呼吸、筋肉の動きなどを目視しただけで次の一手を看破することが可能だ。しかし更に優れた技術を持つ達人の中の達人は、視覚に頼る必要すらない。敵と己が触れた一合の瞬間に、相手の全てを識ることが出来る。

 それがよく知る妹となれば猶更だ。

(やっぱり、私じゃ歯が立たない―――!)

 戦慄する。しかし、

 シャーロットは笑っていた。獰猛な肉食動物の如く、白い歯を覗かせている。全く勝てる気がしないというのに楽しい。嬉しい。こうして兄とのが、愉快で、痛快で、どうしようもなく面白くて仕方ないのだ。


 対して―――


(……おかしい。。シャーロットが使役する液体生物に、ここまで精密な動きはできない。そもそも分裂させること自体、困難だったはず。……別の誰かが操ってるのか? だがどうやって?)

 シャーロットが操っているのとは別の――人型の形態を取り、独自に動いている液体生物。その存在に、アランは眉を潜める。

 彼の認識は正しい。

 シャーロットはアシュトンを武器や手足の延長として扱うことが出来るが、一個の戦力として独立させて運用するのは不可能だった。それは今も昔も変わらない。

(……シャーロットが首に着けてる機械。アレがか?)

 ここにはいない白い少女の顔が脳裏に浮かぶ。

 シャーロットはチョーカーと電極が一体になった形状の、見たことのない機械を装着していた。首の後ろに角を思わせる円筒形の装置が生えており、インジケーターランプが光っているのが見て取れるが、詳細は不明である。

 独立機動する人型のアシュトンと、武器型のアシュトンを操るシャーロット。二者の攻撃を凌ぐことは可能だが、逃走できない。戦線を離脱しようと動けば機先を制される。

 状況を変えるには功勢に移るしかないが――かと言って、妹に手を挙げるのは流石に憚られる。

(さて、どうするか……―――ッ!?)

 驚愕によって思考が中断された。

 右の蟀谷に痛烈な衝撃。

 その威力から大型銃器による狙撃と推察。騒音がほとんどない環境であるにも拘らず、銃声は聞こえなかった。消音器サイレンサーの使用が現実的でないことを鑑みるならば、発射地点は筒音が聞こえないほどの超々長距離。恐らく最大射程の限界――距離にして七キロメートル前後の凄まじい遠方。

 使用された弾種は大口径のゴム弾。

 制圧用の非殺傷兵器だが、直径一・五センチを超える大物ともなれば話は変わってくる。当たり所が悪――くなくとも、普通ならば骨折や内臓破裂は免れない。

 それを実用射程――どころか有効射程の外から発射し、見事狙い通りの位置に直撃させた射手の腕前は間違いなく称賛に値する。人類史上、これ以上の狙撃手はいないだろう。


 しかし、アラン・ウィックはそれ以上の怪物だった。


(射角と方角は読めた―――)


 飛びかけた意識を無理やり繋ぎ止め、正確に分析する。

 恐らく今のはではない。の射撃は百発必中。これからも要所要所で異常な精密狙撃を行い、シャーロットを援護することだろう。ならばまずはそちらから潰すべきだ――と、アランは即座に結論した。

 物理運動によって身体が傾ぐ勢いに任せ、地面を転がるような形でシャーロットとアシュトンの包囲を擦り抜ける。それと同時に両腕で地面を叩いて魔術を行使。爆裂の勢いに乗って、手近な建物に飛び移る。

 目標は七キロメートル先――遮蔽物のない、ビルディング状の校舎の屋上。

 アランは建物の影に身を隠しながら、パルクールの要領で狙撃手の許へ向かう。

 当然、後方からはシャーロットが追って来ていた。

「あれあれー、お兄ちゃんどこ行くのーッ! もう私とは遊んでくれないのかなー!? それとも今度は鬼ごっこ!?」

「―――――」

 シャーロットの挑発をアランは黙殺する。

 的を絞らせぬよう、魔術を連続使用。壁から屋根へ、屋根から壁へと不規則な軌道で迅速に移動する。ともすれば捉えることは困難だ。


 だが―――


 銃声が轟く。

 五キロメートル以上先からの狙撃。建物の隙間を縫い三次元的な機動をする相手に当てるとなれば、仮に最先端の技術で製造された照準器スコープを使用しようとも至難である。しかし、彼女はそれを成功させた。

 狙い通りに、校舎の壁面に着地しようとしたアランの爪先を撃ち抜いたのだ。

 バランスを欠き、アランは落下しかける。それでもなんとか残りの手足を動員して壁に貼り付くことが出来たが、しかしそれも解決にはならない。

 再度の銃声。今度は右手を撃たれた。

 弾がゴム製の非殺傷兵器であることに加え、魔術によって接触時に融解している。それ故、皮膚は貫けず、鍛え抜かれた筋肉が抉られることはなく、また骨が砕かれることもない。

 人体は破壊される度により強く、より堅牢に生まれ変わる。俗に言う超回復だ。幼少期から度重なり行われてきた過剰な虐待と修練により、アランの肉体は、文字通りに全身が鋼も同然になっている。

 しかし、それでも銃の威力は据え置きだ。

 肉体に損傷はなくとも、衝撃でコンクリートが爆ぜ、掌が勢いよく弾き飛ばされる。それによってアランの身体は壁から剝がされてしまった。

「―――ッ! 化け物め!」

 人外の化物ケモノをして口汚く罵らせる所業。それ程の離れ業である。

 そこに追い打ちを仕掛けるのは、実の妹。

「お兄ちゃーんッ! ハグしようよーッ!」

「断るッ!」

 玉虫色の光沢を帯びた黒い液体生物をけしかける妹の熱愛を、一言で斬って捨てる。

 アシュトンはシャーロットの動きに追随し、形を変えた。人型と武器型――両方を統合した液体生物はその体積を増している。人の掌を模した形態を取り、上下から挟み込むように網を広げた。

 アランは咄嗟に壁を蹴り、脚力と魔術による爆発の推力を以ってして、包囲網を抜ける。

 それから何度となく同じことを繰り返した。

 地形上、やむなく射線上に姿を晒さねばならない状況では必ず狙撃を受け、追い付いたシャーロットに捕らえられかける。しかしその度に間一髪で躱し、どうにか逃げおおせていた。

 少しずつだが、着実に距離は縮まっている。

(あと二キロ―――)

 アランの肉眼で、狙撃手の姿が十分に目視できる距離。

 地面から数十メートル上の高所。一際高いビルディングの屋上に、彼女――カルティエがいた。

 手にしているのはやはり大型銃器。少女の華奢な身体には不釣り合いな、対物用の20mm狙撃銃。

 驚くべきことに照準器スコープの類は装備されていない。カルティエ自身は愛用のゴーグルを着けているが、それもあくまで風除けの為。彼女は素の視力のみであれだけの精密狙撃をやってのけたのだ。まさに化け物である。

 服装は今朝と同じライダースーツ。これはシャーロットも同様に着用している。そして耳にはインカムを着け、背腰には彼女愛用の携行式魔導書ライブラリを背負っていた。

(二人揃って防寒装備か。インカムで連絡を取っているのは分かるが……一体何を考えている? 狙いは何だ?)

 目を眇め、思考しながらもスピードは一切緩めない。

 ジグザグな機動で三次元的に動き回りながら、カルティエの許へ接近する。

 居所を悟られ、近接戦へ持ち込まれた狙撃手の末路など憐れなものだ。何もできずに盤上から落とされるのみである。―――しかし、それはあくまで狙撃手の技量が並みであった場合の話だ。


 カルティエ・K・ガウトーロンは違う。


 偉大なる一族クルーシュチャであるが故に。


 定点での狙撃はこれまでと判じ、カルティエは立ち上がった。

 大型の狙撃銃を肩に担いで踵を返し、手摺りを乗り越えて走り出す。ともすれば接近は容易だった。狙撃による妨害を気にする必要がないのであれば、アランなら数秒の内に一気に距離を詰められる。

 九十度の壁面を駆け上がり、二秒と掛からずビルディングの屋上へ。

 着地した時。丁度、カルティエが屋上の反対側の端へ移動した所だった。これならば王手だ――と確信した所で、本能が喧しく警鐘を鳴らす。

 カルティエが肩に担いだ狙撃銃の銃口が、しっかりとアランの方を向いていた。

「―――――」

 己の中の理論的・論理的な要素の一切をかなぐり捨てて、アランは咄嗟に両腕を顔面の前で交差させ、防御の体勢を取る。瞬間――衝撃に襲われた。


 衝撃は、物理的なものと精神的なものの二つだった。


 銃弾がアランの腕に着弾した。ゴム弾とはいえ大口径の弾丸を近距離で受けた為に、その場での硬直を余儀なくされる。

 しかしそんなことは些末だ。

 そう思えるほど、精神的なショックが大きかった。


「―――――」


 最早、罵声すら出てこない。

 目視すら必要としない狙撃。下手をすれば反動で肩が外れるような大型の銃器を無造作に片手で持ち、碌に構えもせず、背後の敵を正確に捉え――狙い撃つ。そして当たり前のように命中させる。そんなことは人間に出来て良い芸当ではない。

 認めなければならなかった。

 この戦闘では、役立たずの脳など全く以って当てにできない。


 ―――ぱき、ぱき、ぽき、ぱき


 無意識に指の基節を鳴らし、自己のスイッチを切り替える。

 アランは己の中から一切の思考を排除。自らを一つの機械として律し、を開始する。


 背後のシャーロットは無視する。現状――以上、脅威にはなり得ない。


 真っ先にカルティエを無力化すべきだ。


 アランはカルティエを追う。白い背中目掛けて疾走する。

 カルティエは一切の躊躇なく、屋上から跳んだ。文字通りの自殺行為。通常ならば困惑したかもしれないし、あるいは驚いたかもしれない。しかしアランは脳を停止させたまま全く意に返すことなく、カルティエの後を


 屋上の柵を乗り越えて、飛び降りる。


 その瞬間、再び顔面に狙撃。

 空中で反転しながら、カルティエが撃ったのだ。そしてそれを察知したアランは難なく防いだ。

「―――――」

「―――――」

 ゴーグル越しにその光景を目撃し、狙撃手が目を丸くしている。しかし動きに淀みはない。

 彼女は腰のベルトからワイヤーフックを引き摺り出し、投擲する。フックは手近な位置を飛んでいた小型飛行船のゴンドラ――その底面にある非常用ハッチの取っ手に引っ掛かり、連動してフックの金具がワイヤーを噛んで確と固定した。

 ベルトに設えられた機構がワイヤーを巻き取ってピンと張り、白い軌跡が空中に鋭い弧を描く。

 ワイヤーを自切し、新しいフックを投げ、慣性と重力に従って移動する。

 ひたすらにこれを繰り返す立体起動。そんな馬鹿げた芸当を平然と成し遂げる身体能力と胆力もまた並外れている。

 その後を黒い弾丸が追う。

 魔術という反則技有りのパルクール。アランは壁や屋上を蹴って、カルティエへと肉薄する。しかし空中をならば、彼女にとっては良い的だ。

 パルクールとワイヤーアクションの技術を存分に駆使して逃げながら、カルティエは射撃する。無論、必中。一発として標的を外さない。そしてアランはその全てを真っ向から受け切っていた。彼は猟犬の如く執拗に獲物へと追い縋り、喰らい付かんと迫る。

「うわ~……」

 少し遅れて二人に追随しているシャーロットが、引き気味に呻く。

 それだけ彼等の戦闘は常軌を逸していた。

 そもそもアレを戦闘と称していいいのか疑問ですらある。曲芸や大道芸の類。あるいはその域を超えている。銀幕スクリーンの中でしかお目に掛かれない光景だった。

(事前に得ていた情報通り。……流石です。やりますね、アラン君)

 青黒い遮光レンズ越しに敵手を見やり、カルティエは微笑む。

 先の青空教会による大規模テロ事件時の戦闘。そしてつい先刻のダーレス達との戦闘。この二つの情報を得ていたが故に、ここまでの戦況は概ねカルティエの想定内だ。

 これもまた魔術。

 未来を測定し予知する、偉大なる一族クルーシュチャ特有の生態機能。それを存分に行使して計画を練り、方程式に従って導き出した結果が今だった。

「―――シャーロットちゃん。プランを続行。このまま彼を目標地点まで誘導します。そのまま後方を固めていて下さい」

『はいはーい。まあ、今更お兄ちゃんが方針を変えて逃げる――なんてことするとは思えないけどね~!』

「あはは……ですがまあ、一応、念のためにお願いします。それにほら、追ってこないことを不審に思われてしまったら、それこそ彼にとって方針を転換する理由になりかねませんから」

了解Iaー!』

 インカムを使用し、電波を通じて密かに会話する。

 会話は相手から口の動きが見えない角度の時にのみ行う取り決めだ。両者共に激しく移動している状況である以上、碌に口元など確認できない筈だが、相手は熟練の諜報員。唇の動きで会話の内容を悟られる可能性がある。用心に越したことはない。

 ワイヤーを手繰り、投げ、切断し、再び投擲して引っ掛ける。

 当然、射撃の手も休めない。弾倉を交換し、狙い撃つ。しかし依然として目標の進行速度に衰えはない。その後を着いてくるシャーロットも同様だ。

 付かず離れずの距離を保ったまま、アラン達三人は学園都市オルガン・アカデミーの北側へ移動している。軍事関連の教棟や設備がある区画だ。


 今の所――作戦は、順調に進行していた。

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