第2話 静かな街

「先々のことを考えてばかりいて、今目の前にあるものを守れないのなら生きていても意味がないと思うんだ。」


そう言いながら、いつも隣でギターを手に共に歌っていた兄貴が、スーツを着て都会のオフィス街に消えた。

兄貴のことだからうまくやっていくに違いないけれど、胸に沈殿するこの一抹のさみしさはなんだろう。このままではその重みに横隔膜のあたりがずしんと痛むので、俺は兄貴のことをつとめて忘れようとしている。

俺自身の未来はいまだみえない。


ここは世界の行き止まりみたいな風情の街だ。

正確に言えば、そんな街に成り下がってしまった。あるものと言えば田園風景と工場と線路。そしてシャッターの閉まった店ばかり並ぶ典型的な寂れたアーケード商店街。

閉塞感という言葉がしっくりくるが、何より、そこに住む人間は絶望的なくらい達観してしまっている。

IターンとかJターンとか流行ってるけど、今現在、この街に暮らしていて刺激的なことなんて正直言ってない。

そんな街だから、かろうじて存在する高校を卒業すると街の若者の大半は毎年、大挙して東京やら大阪やらへと出ていく。勉強のできる奴らは大学進学とかなんとか、都会に行く十分な口実をもっているわけで、多くの人間は彼らを羨望のまなざしでみているし、ある程度裕福な家の若者は仕送りを受けながら都会で暮らす特権を振りかざし自慢話に花を咲かせる。

他方で、都会から流れ込んできたもの好きな人間にとっては完全なる沈黙を思わせる静かな老人ホームのような場所だと思われているに違いない。再興を見込む人間はおろか、願う人間さえごく一部なのではないだろうか。


例えば、と思う。俺がお金持ちの人間だったり、勉強のできる人間だったりしたら。

今、彼らに反発を感じている俺だって彼らのように都会に”逃げ出して”いたに違いない。

結局のところ、自分を含めて吹き溜まりのようなこの街に残される人間というのは劣等感やら負け惜しみを持て余した”負け組”に分類されているのだ。そんなレッテルを貼られるのを覚悟の上で、自ら高らかに異端児を標ぼうし、堂々と音楽活動を続けた俺も、兄貴の転身にはさすがに気分が萎えてしまったのだった。

そもそも言い出しっぺだった兄貴がいなくなったんだから当たり前といえば当たり前なのだが。


これから死ぬまで、俺はこの街でもがき続けるのか。自分を表現するものとして音楽は続けていきたい。だけど、この街の外で多くの人々が、俺の歌を口ずさむようになるかというとそれは夢物語のような気がする。第一、今乗っているこの列車だって、近くの海までしか行かない。この歌が、この鈍行列車を音速で追い越し、海を越え山を越え、都会のビル街を闊歩する人々の胸を掬うのかと言えば、そこまで期待すること自体が野暮なのかもしれない。


なあ、兄貴。

俺はこの街にとどまるべきなのだろうか。愛するのには十分な無難な女を嫁に迎えて家族を作り、平坦な日常をただ漫然と過ごすのだろうか。兄貴は言っていたよな。この街に確かにある、その静かな佇まいをまずは知ることだと。

それはこの街に住んでいなければ感じることのできない物語なのだと。

この街を形容する「退屈」だとか、「平凡」だとか、そんな言葉は「諦めた」人間の怠惰な心が紡ぐまやかしなのだと。


でも…じゃあなんで兄貴は。

なんで兄貴は東京に消えていったのだ。


電車を降りた俺は、 ギターを背負いながら、いつもの浜辺へと向かう。

かつて兄貴と2人歩いた道は、1人で歩くと怖いくらいに無機質だ。

海辺に続く道だけではない。人を失っていく街全体が、死んでいってしまう。


どこかわざとらしい”街おこし”というスローガンは要らない。

でも、この街が死んでゆくのは残念だ。

それはこの街が俺の街だから。

どんなにつまらない街だといわれても、俺にとって原風景が詰まった街だから。

少なくともかつては、俺にとって確固とした美しさを持つ、唯一の街だったから。

兄貴の受け売りのようで、実際俺だってそう信じている。


これから先、俺はどうすればいいというのだろう。

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