第12話

「なんなんだ、あいつらは!」

 ――飲み干すのと同時、どんっとジョッキをテーブルに叩き付ける。

 おかげで縁についていた泡が頬に飛んできたが、ヘイルはただ「落ち着け」とだけ言って彼女をなだめた。

 夕食時。酒場での食事を終えると、二人は今日の出来事を振り返っていた。

 とりあえず、人質になっていた女性は大した怪我もなく、脱獄犯も怪我こそ深いながら、診療所での治療の甲斐あって大命に別状はないらしい。

 ヘイルはそれにひとまずの安堵を得たのだが……アデルの方は不服だったようだ。

 苛立ちの中で自分のジョッキが空になっていたことに気付き、さらに落胆を大きくさせる。未練がましく逆さまにしたりして、辛うじて残った滴までも飲み干そうと苦心していた――単なる炭酸水にそうまで執着する者を、ヘイルは初めて見た。

「あんな奴らが勇者を名乗るなんて……ヘイルの方が本物なのに!」

 悔しそうに叫ぶアデル。

 なんとなく波乱を引き起こしそうな言葉ではあったが、幸いにも聞きとがめた者はいないようだった。というより、聞こえていないのかもしれない。

 宿と食事処を兼ねるこの酒場は、夕餉時ということもあり常に騒がしく賑わっていた。

 そして――彼らの話題の多くに、例の勇者を名乗った男たちが登場している。「今日も勇者様が凶悪な脱獄犯を捕まえ、人質を救出した」というものが大半だった。

「本当はヘイルなのに……」

「人助けは手柄の問題じゃなく、助けられたかどうかだ。それに一応、あの『勇者』が脱獄犯を無力化したのは事実だ」

「むぅ。お前はそういうところで古臭い勇者になりすぎだ」

 たしなめる言葉に、しかしアデルはそれでも不服らしい。当の勇者は、どうということもなく軽くあしらったが。

 しかしふと、ヘイルは思い出したように呟いた。

「というか、アデルがそこまで怒ることもないだろうに」

「え? だってそれは――」

 不意に言われ、アデルはすぐ言葉を返そうとした。

 返そうとしたが……その先が思い浮かばず、虚空を見上げて首を傾げる。

 考えてみれば彼の言う通り、そうまで自分が憤慨する理由はないように思える。屈辱を受けたはずの当人が平然としているのだし――なにより自分は元々、その勇者と敵対し、耐え難いほどの苦痛を味わってきた身だ。

 今ここで勇者のために激昂し、肩を持つ必要はない、はずだ。

 はずだが……

「……と、とにかく腹立たしいからいいんだ! 本物はこっちなんだから、怒るのが普通なのっ!」

 アデルは答えが見つけられないまま、しかし怒りの感情がおさまることはなかったため、そう言って強引に押し切った。

「本来活躍した相手を褒めるのが常識というものだ。手柄を攫われたのだから怒らなければ!」

「お前が常識を語っていいのかどうかは疑問だけどな」

 冗談めかして言うと、少女はそっぽを向いてしまった。

 だが実のところ、ヘイルたちについての話も多少は聞くことが出来た。……「勇者様の足を引っ張った旅人がいるらしい」とか、「勇者様の手柄を横取りしようとした不届き者がいたと聞いた」とか、例の勇者を際立たせるための役目としてだが。

 幸いなことに、アデルは頬を膨らませ、木製のテーブルに顎を乗せて不満を主張することに手一杯なようで、それらの会話を聞いてはいないようだった。しかしその分だけ、彼女は勝手に落ち込んでいく。

「今日はいい日だと思ったのに……」

 懐から飴の袋を取り出し、見つめる。中身は相変わらず白色の辛い飴ばかりだが、アデルは時折、怒りを発散させるために噛み砕いていた。最も安らぎの効果を与えるはずの、幼い少女から貰った飴玉は、脱獄犯とぶつかった際に失くしてしまったらしい。それがまた落胆を大きくする要因でもあったのか。

「よくよく考えれば、あの子だってあんまり喜んではいなかったんだ……貰わされたから仕方なくお礼をすることになって……それなのに私は舞い上がって」

「見知らぬ人だったから感情を抑えただけで、内心は嬉しかったと思うぞ」

「でもきっとあの子の親からは、余計なことをした迷惑な奴と思われたんだ……」

「そう悲観的に考えなくても」

 慰めながら、しかし彼女がこうなってしまっては歯止めが利かないことも、ヘイルは薄々理解し始めていた。事実、アデルは自ら深い虚の中へ沈み込んでいく。

「だって私、怪しい格好してるし……きっとあの子も母親も、誘拐犯かなにかと勘違いしたんだ!」

「怪しいのは自覚してるんだな」

 黒いローブで街中を歩くのは、実際に怪しいだろう。勇者を名乗った男の仲間もローブ姿だったため、ひょっとしたら彼女を真似たものだと思われているかもしれないが。

「も、もしかしたら、今だって周りの人が私のこと笑ってるんじゃ……『ほら見て、あいつ気持ち悪い格好してるよ』とか言われて……!」

 考えすぎだとなだめようとするが、運悪く周囲から盛大な笑い声が沸きあがった。

「ほら、ほらぁ! 絶対笑われてる……こんな格好で人前に出ること自体が犯罪だったんだ!」

「じゃあ脱ぐか?」

「そんなことして私の正体がバレたらどうするんだ!」

 相変わらずアデルは一種、心的外傷のようなものを抱いているらしい。万が一にでも自分が魔王アデライードだと知られたら、再び人々から追われ、死の恐怖を味わうことになってしまうのではないか、と。

 魔王の顔を見たことがある人間は、現在の世の中にヘイル一人しかいないのだが。

 ともあれヘイルは席を立つと、必死に自分の身体をローブで隠すアデルを連れてカウンターへ向かった。店主に代金を払い、宿になっている二階へ上がっていく。

 今日はこの町に泊まることにしていた――というのも、どうしても気がかりがあるからだ。

 無論、例の勇者について。

 アデルのような怒りではないが、ヘイルも彼らについて真っ当な善良性を見出せなかったのは同様だった。

 実のところ、ヘイルがあえて酒場――人が多く、アデルが自虐性を発揮する可能性の高い店――を選んだのには、そうした理由も含まれていた。

 つまりは、あの二人組みについての様々な話を聞くためだ。

 食事中ですら、ヘイルは耳をそばだてていた。そして今はアデルを部屋に入らせてから、自分は引き返して酒場の人々に直接声をかけていく。

 彼らは――ヘイルらしき人物の悪評を口にしていた者ですら――ヘイルのことを知らなかった。ほとんどが噂で聞いたか、人垣と喧騒で状況を把握出来なかったということらしい。いずれにせよ、おかげでヘイルに対して牙を剥いてくる人物はおらず、調査が阻害されることはなかった。

 聞いたところ、件の勇者を名乗る二人組みは、魔王討伐の報せが届いた頃に現れ、自分たちがその勇者だと名乗って町に住み着くようになったらしい。

 最初は訝っていた住民たちだが、二人組みは巧みな剣術と魔法を駆使して数日のうちに悪漢や盗賊を撃退し、さらには近隣にいた魔物を退治したという話も聞かれるようになり、次第に猜疑心を消していった。それどころか、一躍真の勇者として英雄視されることになる。

 そんな彼らだが、後ろ暗い噂も聞かないわけではなかった。例えば彼らは何処かと裏金のやり取りがあるとか、町長を騙し町の支配権を得るつもりだとか――その中には、彼らの力に対する畏怖の念が存在しているのだろう。

 しかしそれらの大半について町の人々は「英雄に付きまとう、嫉妬が生み出した悪評に過ぎない」と評していた。そして少なくとも、二人組みを偽者と疑う住民は、陰湿な噂を語る人々の間にすら存在しない。

 いずれにせよ彼らが今日、人々の前で脱獄犯を捕らえたことは事実であるし、過去にもそうして賊を追い返し町を守った実績がある。

 その正と負のどちらを尊重するべきかは、外部から判別を付けるのが難しかった。まして彼らが町の人々を怯えさせるような、なんらかの計略を立てているのでない限り、彼らを止めるのは誤りだと言えるかもしれない。

 だがそうした中にも、気になる話はあった――彼らが賊を退治するでも、追い払うのでもなく、捕縛したのは初めてのことらしい。大半は追い払うに留まり、一部は殺してしまう。

 牢とはいえ賊を町に入れないよう気を遣っていたんだろうと、酒飲みの一人は語っていたが。

 それらの情報を整理しながら、ヘイルはやはりさらなる調査が必要であることを確信した。翌朝から再び彼らの情報を探ろうと決めながら部屋に戻り、眠りにつく。

 ……途中、一人だと寂しいと言って部屋に入ってくる弟子を、何度か追い払う必要があったが。

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