最終症 ÅアパテイアÅ
ペインは吸った。吸って吸って吸い尽くした。あの化け物の女はたぶんみーちゃんの母親なのだろう。人間じゃないのは分かった。でもそのくらいでおれは驚かない。化け物なのはおれも一緒だ。人間にあるべき心が無いのだから、それは力の有無関係なく人外と言って言いだろう。
ペインが勝手にやったことだと思っていた。
よくよく考えるとペインを創ったのはおれだ。
ペインの意思がおれの意思であると気づくのにずいぶん時間がかかってしまった。化け物以前におれはバカだ。基本的な人間教育を受けてこなかったせいだろうか。
そもそもこれって教育などで培う物か?自然と授かる物じゃないのか?
まぁいい。こんな頭だから、いくら考えても無駄なのだ。
ペインは嬉しそうに飛んでいる。きっとおれも嬉しいのだろう。そのわりにちっとも心は晴れやかでなくずっと靄の中にいる。
女は追いかけてはこない。ペインが皮になるまで中身をすべて吸ってしまった。こんなくらいであいつが死ぬとは思えないが、追ってこないところを見ると、本当に死んでしまったか、すぐに回復できないほどのダメージをくらったのか。どっちにせよ、おれは逃げ切れたようだ。
気がかりなのは、おれの足元に転がっているこいつだ。
完全に死んでいると思う。最初から顔が半分消し飛んでいた。こいつも人間じゃないのだろう。
こいつも「事象」の類か?だいたいおれは「事象」についてあまり詳しく知らない。いや、一般市民のほとんどが「事象」を理解できていない。天変地異、クリーチャー、都市伝説、これまで目にすることのなかった悪夢の光景がある日突然現実の世界に出現した。
かといって、日常が180度変わったわけでもない。最初のころはマスコミも世間も、こんなおれでさえも驚きを隠せなかったが、最近は「事象」ですら日常になってしまった。
流石に先日の、国土消失事件は大きなニュースになったが、あれほどのニュースも一週間経ったころには誰も口にしなくなった。
バカなのはおれだけじゃない。みんな等しく頭が狂っている。自分自身が死ぬまでは、死を意識したくないのだ。
実際に死体をみたわけじゃないし。消失と破壊とは少しだけ意味合いが違うようだ。
で、この転がっているオッサンは何者なのか?最後まで教えてくれなかった理由はどこにあるのか?なぜおれを助けてくれたのだろうか?
「?」だらけで、どこから片づけていいものやら困る。
ペインはどう思う?
クソが。肝心な時は無視かよ。
ペインはおれになどなんの関心もないようで、相変わらずグルグルと旋回している。
おれは教室の小さな椅子に腰を下ろした。
「痛って!」
腰を下ろした途端、尻に電撃が走った。おれは飛び上がって、床に前のめりに転んでしまった。尻に手を当てつつ、飛び上がった勢いで数メートル先に滑っていった椅子を見ると、座る天板の部分にびっしり画鋲が貼り付けてあった。
なんだよこれ。
画鋲が全面に貼られていたおかげで血が出るほどではなかったが、尻がヒリヒリと痛む。
おれを無視していたペインがキキキキと変な笑い声を発している。
「ふざけんな。ペインおまえがやったのか!」
ペインは、ぼくじゃないよ。知らないよ。と白を切った。
確かに、ペインがこんなくだらないことをするわけはない。そんな暇もなかったはずだ。じゃあ誰がこんな小学生のいじめみたいな罠を仕掛けた。
ここまで死地を掻い潜って逃げてきたのだ。この程度の子ども騙しにまんまと引っかかって、おれは腹がたった。
ペインは笑いながら言った。
この学校が本当の学校かどうかも怪しいよ。さっきそのオッサンが言ってたじゃん。ここにはもう一人居るって。
おれは政府の施設かなにかに閉じ込められたのか。例えばすでに廃校になった学校に追い込まれて、おれを狙うエージェントがいて…。
違う。きっとそうじゃない。もし政府なら、単独で殺しに来るわけはない。だいたいおれが政府に狙われる理由もない。
みーちゃんの仕業か。まさか。
だけど、あの化け物の女がみーちゃんの母親だとしたら、みーちゃんにだってなんらかの力があって不思議ではない。
おれはそこまで恨まれるようなことをしたのか。しかしあれは、仮におれの無意識な部分が現れたとしても、やはりペインが勝手にしたことだ。
もうよく覚えていないが、最後のキスだって無理矢理じゃなかったはずだ。あの子はおれを受け入れる顔になっていた。
一瞬の気の迷いであったとしても、おれの行為を否定しなかったのは事実だ。
おれだってそうでなけりゃあんなことはしなかった。
「そうよ。あなたのせいじゃない。二人ともそこのボロ布の術に嵌まっただけだよ」
みーちゃんだ。今、みーちゃんの声が聴こえた?
どこにいる。どこから声がした?
おれは慌てて周囲を見回した。どこにもみーちゃんの姿はない。
ふふふ。やっぱりここは学校じゃあないようだね。アスカ、ボクが守るから今すぐ窓を破って建物の外に飛びだすんだ。
ペインの体が少し膨らんだような気がした。黒板のチョークがカタカタと震えて鳴った。
どういうことだ?建物じゃないって、どう見ても学校じゃないか。
いいから、すぐに飛び降りろ!でないと死ぬぞ。
ペインがこれまで発したことのない低い声で、耳元で囁いた。おれは考えるよりも早くガラス窓に走りだしていた。
催眠術にでもかかったようだった。躊躇もなかった。
ガシャアアアァアアン!
ガラスの割れ散った音と、風を切る音が耳に届いた時には、おれはもう空中にいた。教室の中から見た外の景色は、青い空が広がる普通の外界の景色だった。だが、ガラスをぶち破り飛び出した世界は、おれの知っている世界じゃなかった。
落下していくはずだった。頭の悪いおれだってそれくらいはわかる。なのに、おれの体は宙に浮いたままだ。
ペインが助けてくれたのかと思ったがそうじゃなかった。
ペインはまだ教室に残されたままだった。
どうしたペイン。早く出て来い。
ペインは何度も窓に向かって突進しているが、見えない壁に弾かれて外に出られない。
おれは、宙を漂った。空間が歪んだようになって、天地がどちらかもつかめない。無重力空間とはこういう状態を言うのだろうか。
三半規管がどうにかなりそうで、頭がグルグルと回って気持ち悪い。目に見える景色に空も地もなかった。
紫色の空間に巨大な校舎ごと浮かんでいて、おれの体と同じく宙に漂っていた。
どこだここは。クソ。これも事象なのか。
おれは自由を奪われ、なす術なく空間を流されていった。ほんの数秒しか経っていないはずなのに、巨大な校舎が拳ほどの大きさになってしまった。
ペイン!ペイン!
何度もペインを呼んだがペインは来ない。あの校舎に閉じ込められたままのようだ。
紫の空間に、彼女は浮いていた。
みーちゃんだ。
会うのは一年ぶりくらいか。相変わらず、ニーソが可愛いと思ってしまった。ゴムが太ももにくい込んで、ぷっくりしている所が特に可愛いと思った。白い太ももが、ワンピースからほんの数センチだけ露出していて、つやつやと光っていた。一度でいいから膝枕をして欲しかった。こんな状態なのに、おれはなにを考えているのだか。
久しぶりに会うみーちゃんは、バイトに来ていた時よりも凛々しくなったように感じた。あのころはもっと、ぼんやりとした表情で、なにを考えているのかつかみどころのない顔をしていた。
目だってぜんぜん合わせてくれなかった。
今は違う。じっとこちらを睨んでいた。
たぶんカラーコンタクトだと思うが、みーちゃんの瞳は蒼く鈍い光を発していた。いや、これもなにかの力なのかもしれない。
無茶苦茶な状況であるのに、これだけ冷静な気持ちになれるのは、おれがみーちゃんを好きだったからだ。
血が繋がっていないとは言え、おれとみーちゃんは兄妹だ。だけど、おれはいつしかみーちゃんに心奪われていた。
特に理由があったわけではない。もちろん見た目の可愛さだけでもない。この子には他の人間にはない圧倒的な魅力がある。
人など好きになったことのないおれが、生まれて初めて心を掻き乱されたのだ。
きっとペインはバカにするだろう。
「それはみーちゃんの呪いだよ。ふふふ」なんて笑いながら。
呪いかもしれない。単純な恋愛がどういうものか、おれははっきりとは理解できていない。この気持ちは恋愛などではないかもしれない。どっちだっていいのだ。
呪いだろうが幻だろうが、おれの心が動いたのだから、どんな悲惨な結末を迎えようがかまわない。
こうして再び逢えただけで、おれの気持ちは靄が晴れていくように幸福感でいっぱいになった。
みーちゃん。あの時は本当に悪かった。おれは君を傷つけようとは思ってなかった。心を通わせたかっただけだ。
おれはくるくると宙を回りながら、ありったけの大声で叫んだ。
みーちゃんはずっとおれを睨んでいた。
2
まったく「質の悪い」というのはああいうクソ野郎のことを言うのだろうね。自分が悪だとは微塵も感じていない。と言うか「悪」自体がどれほどこの世界に害を及ぼすのかを理解できていない。今すぐ光の矢になってあいつをズタボロに貫いてもいいかい?我々はもう我慢の限界だよ。これじゃあ消滅したバイトシフトも浮かばれないよ。
まだ待てって?みーちゃんの命令なら従うしかないけども、それにしてもあいつを殺したくて殺したくてゴムが千切れそうだ。
あいつの側らにいたボロ布人形は殺してもいいよね?あいつは我が同胞を汚したうえに嬲りものにした。あいつだけはぜったいに許せない。同じ布で出来た存在とは思えない。鬼畜の所業だ。
みーちゃんの創り出した「バスケットケース」に、何足か仲間を飛ばしてやれないですか?仇を討ちたいのです。
みーちゃんは我々の力ではあいつは倒せないと言いたいのですね。
それでもいいです。たとえ灰になってでも、あいつに一撃を喰らわせたいです。
我々はみーちゃんの心が読めるはずなのに、この事に関してだけはみーちゃんの考えが分かりません。
結局は、あいつを殺すのでしょう?だったらそこまで迷う必要がありますか?これまでだって、同情すべき「事象」はたくさんあったのに、みーちゃんはなんの葛藤もなく滅ぼしてきました。
あのアスカっていう男にだけなぜそこまで執着するのですか。
やはり兄妹だからですか?
兄妹と言っても、ほとんどみーちゃんとは関係のない人間でしょう?出逢ったのだって偶然だし。アスカとの思い出といったら、油にまみれたバイト先だけの思い出でしょう?
まさか、アスカの面影に死んだ父親を重ねているとでも言うんじゃないでしょうね。あんなやつぜんぜん似てないですよ。
我々はみーちゃんの本当のパパも知っています。
あいつとはどう見てもまったく似ていない。
暴力ばかり振るうひどいパパでしたが、それでもパパにはちゃんと心が在った。
アスカには人間と呼べる心がありません。あいつの心を読もうとしても、真っ黒なヘドロしか見えません。
あいつはこの世に存在しちゃいけない人間だ。
ある意味「事象」よりも無意味な存在だ。
どうしてみーちゃんはそんな哀しい表情をしているのですか?我々はなにがあってもみーちゃんの味方ですよ。
世界を救うのに、たった一人の人間の死に対して罪悪感など抱く必要はないです。それに、みーちゃんの手を汚させはしません。我々がこの身を犠牲にして、あいつの命を奪います。
ニーソの代わりなどいくらでもあるのですから。
ICBMたちは、バイトシフトが消滅してからずいぶん気性が荒くなった。目標となる敵がはっきりと判明したせいもあると思う。ICBMは生まれた時から使い捨ての宿命を背負っているので、死を微塵も厭わない。自分達の死に疑問も抱いていない。
その点は可哀想な気もする。
ボクは自分自身をなんにも知識のないバカなヌイグルミの出来損ないだと思っていたけど、ICBMたちだって充分バカだ。
命を知らない存在が、簡単に死を口にしちゃいけない。
ICBMたちも、アスカと同じく心が無いのだ。
人の心が読めるから、自分たちに心が宿っていると勘違いしているだけだ。本当に心があれば、死を厭わない行動をとったりなどしない。もっと死に対して抗うはずだ。
だけど、ボクに彼らを責める資格はない。
ICBMは、自分達が背負った宿命を生きているだけで、なにも悪くはない。本当に悪いのは、未完成な命を吹き込んだやつだ。
やはりあの魔王の仕業なのだろうか。
魔王は、みーちゃんのママによって潰されて、それでもしぶとく生きてて、アスカのところに辿り着きやっと死んだ。
あいつがなにをしようとしていたのかボクは知らない。
みーちゃんの敵だったのかも、今は確かめようもない。
ママも、ここに来る途中で、皮だけになって死んでいた。
ボクはみーちゃんがもっと泣き叫ぶのだと思っていた。
みーちゃんは、皮だけになったママを確認すると、短い溜め息を吐いて、あとはもう振り向かなかった。
ICBMたちのほうが、怒り狂って、何足かはその場で千切れ飛んでしまった。よっぽどショックだったのだろう。
ボクだって哀しかった。みーちゃんのママは、みーちゃんでは修理できないボクの耳の部分や目玉を直してくれたことがあった。
そりゃあ、みーちゃんに縫ってもらうほうが嬉しいけど、ママの裁縫はすごく丁寧で、事象との戦いの中でも、ママが縫ってくれた部分はなかなか破れなかった。
いつもはリビングで寝ころんでドラマばっかり見てたママだった。でも誰よりもみーちゃんを心配していたはずだ。
実はボクはみーちゃんのママが人間じゃないことはずっと知っていた。あの魔王のパパと同じ匂いがするんだもん。
みーちゃんも薄々は勘づいていたのだと思う。
だから、皮だけになったママを見てもそんなに驚かなかったのだろう。と、ボクは勝手に推測したが、しょせんボクはバカなのでみーちゃんの真意がどこにあるのか見当もつかない。
みーちゃんの立ち姿があまりにも凛としていたから、慰めの言葉も掛けられなかった。
たぶんなにかを「覚悟」したに違いなかった。
みーちゃんが初めて自分の意思で「事象」を消滅させた時も、同じ目をしていたのだ。
哀しい目だった。その時は、ボクはまだ「哀しい」という感情を手に入れてなかったので、ずっとあとになってから、あの瞳の意味を知ったのだった。
ボクだってICBMと同じく戦う受命を持って生まれた存在だ。どんな最期を迎えるとしても、天命を全うするまでだ。
どこまでだってみーちゃんに憑いて行くつもりだし、それしか生きる理由はない。それでも自分自身を哀れだとは感じない。
布と綿の塊が、こんなに人の気持ちに近づけたのだから、ボクはとっても幸せなはずだ。
みーちゃんはいつもボクたちを可哀そうだと言ってくれる。心配されるのは大事にされているのと同じことだろうから、みーちゃんの言葉は素直に嬉しいよ。でも、ボクからしたら、やっぱりみーちゃんがこの世で一番可哀そうな運命を背負わされている。
ヌイグルミもニーソも油も、結局どう生きたって、生きなくったって、末路は廃棄されて終わりなんだから、こうしてみーちゃんと戦えるのは幸せなことなんだ。
みーちゃんはまたこんなこともよく言う。
もっと世界を疑いなさい。君の感じた幸せは、本当は幸せじゃないのかもしれないよ。
その言葉を聞くたびに、ボクたちはどれほどみーちゃんを不憫に想ったことか。
みーちゃんはきっと戦いの無意味さに押し潰されそうなんだ。
大丈夫だよ。ボクたちだってちゃんと解っているつもりさ。幸も不幸もこの世には存在しない。けれど、命が在ることが当たり前でないボクたちにとっては、命がたとえ苦しみを生むとしても、同時に喜びも感じずにはいられないんだよ。
喜びに形が無くてもそれは嘘じゃないはずだ。
みーちゃんにだって喜びはあったでしょ?
そうだね。例えば、ママが作ってくれたウインナーのおにぎりは喜びだった。暴力ばかりだったパパが、たまに見せてくれた優しさや、真実の言葉も今思い返せば喜びだった。
新しいニーソを履く時も、モコちゃんにカワイイ色の糸を縫ってあげる時も、あれだって喜びだったわね。
たいして楽しくもなかったけど、短い間恋人ごっこをしたあいつとの初デートだって、わたしは喜びを感じていたはずだ。
あいつがバカみたいな死に方をして、むしょうに腹が立ったのは、ちょっとはあいつを好きだったからなのかもしれない。
アスカ…。アスカとはどうなのかな。アスカにはどんな感情をぶつけたらいいのかな。
ビチクソから生まれた魔王が死ぬ間際言ってたね。
ちょっと信じられない話だった。けど、本当の話だろうね。
アスカを創ったのは自分だ。時を遡って、みーちゃんの持つ力をそっくりそのまま、適当な女の腹に宿した。
父親も誰でもよかったが、もう一人のみーちゃんを創りだすにはやはりみーちゃんと同じ父親が適任だろうとワシは考えた。
どう見てもただのチンピラにしか見えない冴えない野郎だったが、命の種はどんな人間に植え付けても結果は同じだ。
重要なのは、みーちゃんとの繋がりだ。
この繋がりがやがて、みーちゃんを強く成長させる試練になってくれるだろう。
アスカは、みーちゃんを成長させるための礎となるのだ。
我ながら峻峭な選択と思う。これでいいのだ。なぜならワシは神でも天使でもない。魔王だからだ。クソから生まれた粗末な魔王に相応しい惨い選択肢を自らあえて選んだのだ。
みーちゃんには申し訳ないことをした。しかし、ここまでやらないと、きっと本当の敵に気づかないまま、みーちゃんはこの国の人間の血脈に根付いた犠牲の精神を抱き、やはり美徳として行動に移してしまうだろう。
ワシはみーちゃんの父親になる資格などない。魔王は魔王らしく、みーちゃんの言葉を借りるなら「ビチクソ」のままで滅びるべきだ。
みーちゃんのパパになれて嬉しかった。
ワシはもうそれだけでいい。
アスカを倒した時、みーちゃんは真実を知るだろう。
ねぇ、これどう思う。
わたしはよく意味がわからない。アスカを倒したら真実が見えるってどういうことだろう?アスカはわたしなの?
だいたいわたしはアスカを殺したいほど憎んでいなかった。
バイト先でされたことだって、あいつに悪意があったわけじゃない。心が魚よりも無いのは認めるわ。だけど、バイトシフトやICBMほど、わたしはあいつを嫌いじゃない。
心が無いのはわたしも一緒だもの。
ママが皮だけになって死んでた。
あれがアスカの仕業だとしても、わたしの心は動かない。アスカに憑いているあのボロ布人形にはムカついてるけど、どうしてもアスカを殺す気になれないの。
アスカを殺すことは、わたしを殺すことのような気がするのよ。
わたしってなにを言ってるんですかね?
でも、とりあえずこれも仕事だと思ってやってみるわ。
アスカを倒せるのかどうかもわからないし。
あぁあ。こんなことになるのなら、わたしがパパの代わりに食べられてビチクソになったら良かったなぁ。
死ねないのって辛いなぁ。
3
みーちゃんがこれほどの力を持っているのなら、もっと早く中身を吸っておけば良かった。
みーちゃんが串カツ屋でバイトしてた時は、こんな力を秘めているとは考えなかった。ぼくの姿が見えたのだから、本当は油断しちゃいけなかったんだ。なんとなく、アスカに似ているから無意識のうちに同情していたのかもしれないな。こんなぼくにも心はあったんだな。今頃になって気づいてももう遅いか。
せめて、ぼくを創ってくれたアスカにぼくの持つ力を届けてやりたい。みーちゃんに対してはなんの恨みもないよ。
アスカだって、みーちゃんに好意を寄せていたのだろう?
家族のいなかったアスカにとっては、唯一の家族みたいなものだ。可哀そうに、アスカの気持ちはみーちゃんにはまったく届いていなかったようだが、アスカに一時でも多幸感を与えてくれたみーちゃんに、ぼくは感謝しなくちゃいけないな。
アスカはぼくを友達だと言ってくれた。ぼくもアスカしか友達はいない。だけど、ぼくはアスカになにもしてあげられなかった。
命を救ったのは当たり前のことだ。だって、アスカが死ねばぼくも同時に死んじゃうから、あれは自分の身を守ったにすぎない。
ただの雑巾でしかなかったぼくに命を与えてくれたアスカに、ぼくもお返ししよう。みーちゃんに恨みはないけど、アスカを守るのがぼくの天命だからこれは仕方がない。
ぼくは生まれた瞬間から、こうなる運命を背負っていたんだ。
ここをなんとかしてぶち破らないと。
ぼくの絞り汁、一滴でいいんだ。一滴だけ届けば、アスカは真の力に目覚める。
ああ!今、いい案が浮かんだぞ。この中には、ぼく以外の大きな力が残っていたじゃないか。そいつを使おう。
もしかして、そのためにこいつはここまで来たのかな?
だとしたら、このクソもなかなか賢いやつだ。
上手くいくかどうか、いや、どっちにせよこれしか方法はないようだ。
アスカ、待っててくれよ。
直接さよならが言えないのは寂しい。ぼくの命を、最期の手紙だと思って受け止めてくれ。
じゃあな。さらば、愛しき友達よ。
生んでくれてありがとう。楽しい一生だったよ。
ペインはまだ「バスケットケース」に閉じ込められたままだ。魔王は最後までクソ以下だったが、ペインを閉じ込めてくれたのだから、その功績は讃えてあげようじゃないか。
みーちゃんはまだ「刻の穴」には到達しない。
アスカがいなければもうとっくにとどいていただろう。アスカが心の障壁になって、みーちゃんはまだ迷いの中にいる。
私はいつまでも待ちたいし、みーちゃんはきっと辿り着けると信じている。だが「刻の穴」はもうずいぶん開いてしまった。
時間が無いのだ。
一度開きだしてしまった「刻の穴」は、この私の力を持ってしても止めることはできない。
完全に開いてしまったら、みーちゃんの持つ光だけでなく、余計な闇の世界のクソ達まで吸いだされてしまう。
魔王には「刻の穴」からこの世界に闇が押し寄せると嘘を教えてやったが、真実はその真逆だ。闇は穴のこちら側にある。
この世界は滅びの世界であり、パンドラの匣なのだ。
みーちゃんだけが、滅びの激流によって研磨され、光輝くダイヤとなった。「刻の穴」から出ても良いのは、みーちゃんただ一人。その他は、たとえ塵一つ、ハエ一匹たりとも許されない。
みーちゃんを苦しめたお詫びに、このオモヒカネも穴の内側に留まるつもりだ。
ただし、元々滅びる運命を持ったこの腐った世界に対して詫びるつもりはない。本来なら、闇しか存在していなかった世界を、それなりに人の住める世界に創ってやったのだから、むしろお礼をして欲しいくらいだ。
誰も真実は知らぬのだし、知らせても理解できないだろうから、私の個人的な思惑は心にとどめておこう。
みーちゃんが来ればそれでいい。
問題は、みーちゃんの分身と言っても過言ではないあの、アスカという男と、ボロ布人形のペインだ。
もし、仮にあいつらがここに到達してしまったら、これまでの私の苦労がすべて無駄になってしまう。
みーちゃんの流した血も涙も烏有に帰してしまう。
どうか、みーちゃんよ、あいつらだけは倒してくれ。
悪は滅びなくてはならんのだ。
もう私はみーちゃんを助けることはできない。滅びの女王だったママも今はいない。みーちゃんは自力で戦うしかない。
ダ二朗もICBMも大した力にはならんだろう。
みーちゃんが覚醒するしかない。
時は満ちた。あとはみーちゃん自身が迷いを無くすだけだ。
私は最後まで信じているよ。
と、オモヒカネさんは言ったそうですが、わたしは終ぞ聞くことはありませんでした。
オモヒカネさんの真意を知ったのはずっとあとのことです。
誰が教えてくれたって?実はよく解らないのです。
温かく懐かしい声でした。懐かしいと言うのは、なんとなくそんな気がしただけです。記憶がないのに懐かしく感じるなんておかしな話でしょ?自分でもおかしいなと思います。
さて、時間は少しだけ戻ります。わたしはアスカとの対決の行く末を伝えなければなりません。
アスカは、不安や恐怖からそんな表情になっているのか、それとも単に、体勢の前後左右を失って気持ち悪かったからなのか、今にも泣き出しそうなくちゃくちゃな顔で紫の空間を漂っていました。
この不思議な空間は、わたしが創り出した物ではありませんでした。魔王であるパパが、死ぬ間際に最後の力を出して創りだした亜空間でした。
どこにも街は見えません。街がどうなってしまったのか、わたしも知りません。
「バスケットケース」を発現させて、アスカとペインを閉じ込めることに成功しましたが、ここに魔王のパパが来ていたのは誤算でした。
どうやら、ママがハエ叩きで潰してくれたようですが、魔王だけあって簡単には死にませんでした。
アスカは魔王のパパがわたしの力を混ぜて創ったそうですね。これもあとで知りました。
もし最初からすべて知っていたら、わたしはもっと迷っていたと思います。
ただ、どんなに迷ったとしてもやはり結果は同じでした。
アスカが善人でなくてほっとしています。
ほっとしたのは正直なわたしの気持ちです。
善人か悪人かで言えば、わたし自身も、決して良い子ではありません。オモヒカネさんも、ママも、クソの魔王も、わたしを良い子だと言ってくれましたが、どう考えても、わたしは、この滅びゆく世界に等しく「悪」なのです。無価値な存在なのです、
復讐とはいえ、わたしは人を殺しました。
かつて人間であったと知りながら、事象化したクリ―チャー達をたくさん殺しました。事象を完全消滅させられるほどの力がわたしにはなかったので、むごい殺しを何度も繰り返しました。
ほとんどは、わたしの仲間であるダ二朗、ICBM、バイトシフト、バスケットケースが遂行してくれましたが、命令したのはわたしです。
あんなにぐちゃぐちゃに殺す必要があったのでしょうか?
安らかな最期を与えることは出来なかったのでしょうか?
滅びゆく世界に興味などないこの気持ちは、ずっと変わってはいません。心さえ動かさなければ、世界はすべて夢幻のままです。
カワイイ格好をして、行くあてもなく街を歩けば、わたしだって喜びを感じられます。
ビチクソの世界であっても、ニーソはカワイイし、うまい棒は美味いし、モコちゃんは愛おしいのです。
だけど、平行するように「悪」であるもう一人の自分もまた、同じ喜びを感じて許されるのでしょうか?
死んで終わりだったら、こんなに悩む必要も無かったのかもしれません。不死であるわたしに終点はありません。
「刻の穴」に辿り着いてなにが変わりなにが終わりますか?
世界が滅び、わたし一人が生き残って、新たな世界の創造主になる…。なんて本気で言うつもりじゃないでしょう?
もしもオモヒカネさんの思惑がそうであったのなら、わたしはオモヒカネさんをこれまでで最大級のビチクソだと断罪します。
「バスケットケース」に閉じ込めたボロ布人形は、魔王の血を使い、絶対に破られるはずのない校舎を粉々に粉砕しました。
紫の空間が歪むほどの衝撃波は、わたしやアスカにも届きました。わたしは着ていた服がボロボロに消し飛び、校舎の破片で体を貫かれました。でも、やはり死ねませんでした。
アスカも全身にガラス片をあびて、いたるところから出血していました。普通の人間なら致命傷でした。
アスカも死にません。ぜぇぜぇと息は荒いですが、出血はすぐに止まりました。ガラス片が体に刺さったまま、アスカの体はなんだか膨らんだようになりました。傷口から、新しい細胞がヘビ花火のように盛り上がってくるのが見えました。
ああ、アスカもやっぱりそっち側だったかと、わたしは諦めに似た焦燥感に包まれました。
アスカの心臓の音でしょうか?
わたしからだいぶ離れた場所で浮いているアスカの体内から、ドクンドクンと太鼓を打つ音がわたしのいるところまではっきりと聴こえてきました。
アスカは膨らんでいきました。刺さったままのガラス片は、アスカの肉塊に飲み込まれて見えなくなりました。
服もすべて消し飛んでしまって、アスカは全裸でした。
男の裸を見るのはパパを除けばこれで二人目でしたが、もはやアスカの体は人間の物ではありませんでした。
あのボロ布人形が、自分の命と引き換えにアスカになにかをしたのだと思います。
もう、バイト先で一緒に働いていた時のアスカの面影はありませんでした。
なぜでしょう?わたしは泣いていました。
声は出ないのに、両方の瞳からいくらでも涙が溢れてくるのです。
もうやめようよ。
わたしはそう言おうとしましたが、声が出ません。
命令していないのにICBMが光の矢になって、一斉にアスカであったはずの肥大化した腫瘍に向かって飛んで行きました。
辛うじて指先のような部分が肉の先に見えました。
指がほんの少しだけ動くと、たったそれだけでICBMたちは全て破裂してしまいました。
わたしの持っていたニーソはぜんぶ無くなりました。
ねぇ、だからやめようよ。
やはり、吐息ほどの声しか出ません。
今度は、ダ二朗が巨大化しました。いつもなら五メートルほどしか大きくならないダ二朗が、いつもの倍ほど膨らみました。
糸が千切れそうでギシギシ鳴っていました。
特注の青い目玉も、顔から飛び出してしまいました。それでも構わずダ二朗は、周りが震えるほどの咆哮を発しながら、アスカに突進して行きました。
白い綿が無数に飛び散って、空間は雪景色のようになりました。
ダ二朗は怯まずに自分の拳を、今や人の原型を留めていない巨大な腫瘍と化してしまったアスカにぶつけました。
白い綿に、アスカの鮮血が滲みこんで、わたしはダ二朗の剥き出しになった拳が氷いちごみたいだなぁと一瞬思いました。
そういや、わたしのパパはわたしがすぐにお腹を壊すのを知らずに、機嫌のいい時は必ずわたしに冷たくて甘い物を買ってくれました。
冷たくて甘い物さえ与えれば、わたしが一番喜んでくれるだろうと勝手に思っていたのでしょう。
わたしはパパが優しく笑ってくれるのが嬉しくて、お腹が痛いのを我慢して、冷たく甘いかき氷やアイスを頑張って残さず食べました。水は飲めないのに、不思議と氷なら大丈夫でした。
きっと甘くてキレイな色のシロップのおかげで食べられたのだと思います。
なぜ、こんな時にパパとの思い出がふと甦ったんだろ?
ダ二朗は必死になって戦っているというのに。
目の前に見える光景は、氷いちごとは程遠い、地獄絵図だというのに。
アスカの肉片の粒が、わたしの顔に当たりました。
わたしの顔は真っ赤に染まりました。
ダ二朗がいくらアスカを叩いても、いくらでもアスカの体は膨らんでいくばかりでした。
このままいけば、この紫の空間すべてがアスカで埋まってしまうのじゃないかと心配になりました。
もう一度だけ、わたしは言いました。今度はさっきよりも本気で、力を込めて言いました。
もういいよ。終わりにしよう。みんなおうちに帰ろう。
やっと、みんなに聞こえるくらいの声が出せました。実際には、音として発したわけではなく、心に直接届く声でした。
少しだけ泣き声も混ざってしまいました。
わたしは哀しくて、哀しくてしょうがありませんでした。
4
ありがとう。みーちゃん。私はあなたを信じていました。
ついに、滅びゆく世界を捨て「刻の穴」に辿り着きましたね。もうこれからは、私もあなたのことを気安く「みーちゃん」などとは呼べなくなります。
最後にちょっとした邪魔が入りましたが、すでにみーちゃんの敵ではありませんでしたね。
ママのことは可哀そうなことをしました。
みーちゃんにとっては、唯一の味方であり、残された家族だったのに、クソの魔王の仕業で大切な命を失ってしまいました。
私にとっても大きな痛みです。
滅びを呼ぶための女王が、滅びゆく世界で一時の幸せを得られたのがせめてもの慰めですね。みーちゃんも、ママに愛されて本当に良かったです。
オモヒカネは嬉しそうに、その醜いブヨブヨとした人間の脳ミソソックリの体を揺らした。
目的が達成され、みーちゃんの気持ちなどもうどうでも良かったのか、オモヒカネはみーちゃんがその時、毛が逆立つほどに怒っていたことなんか微塵も感じていなかった。
ボクも怒っていた。こんなやつのために、世界は無茶苦茶にされ、みーちゃんの心も無茶苦茶にされ、大勢の数えきれないほどの人間の魂も、みんな無茶苦茶にされた。
あのクソから生まれた魔王でさえ、ボクは哀れだと思うんだ。
ただの安物のヌイグルミだったボクに、運命がどうとか関係のない話かもしれない。ボクはどうせ廃棄されるだけの存在だから。
ボクが怒っているのは、一人一人違う感情を持って産まれてきた人間が、たった一人の神を創り出すために利用されたことだ。
人はそれを「事象」と名付けたけれど、事象なんて最初から無かった。みんな滅びゆく世界に強制的に植えられたみーちゃんの栄養源だった。死んでいった人間もそうだ。
みーちゃんはオモヒカネに心を滅ぼされたんだ。
みーちゃんは最後まで迷っていた。アスカを殺したくなかった。
なんでもいい。なにか、殺すに値する理由が必要だった。
アスカはきっとなにも知らなかったはずだ。
だけど、みーちゃんの流す涙を見て、アスカはボクへの攻撃を止めた。
アスカは言った。
「串カツ用の油。サラダオイルとラードとを、一対一で入れるのが店の拘りだったのは覚えているよね。あのラード、なにで出来ていたか知ってる?あれは豚でも牛でもないよ。あのラードは人間の油で出来ていたんだよ。だからあんなに美味しい串カツが揚げられたんだよ」
こんな話、嘘っぱちだってボクでもすぐに分かったよ。
なのに、みーちゃんは泣くのを止めて、最高の笑顔でこう返したんだ。
「それは酷い話ね。そんな物で串カツを揚げたら、お客さまに申し訳ないわ。お仕置きしなくちゃね」
みーちゃんは、上に向かって手を翳した。
この力をボクは前に一度だけ見たことがあった。あれは大きなビルを一瞬で煎餅にしてしまった「ぺしゃんこの事象」と戦った時だ。
ボクはあと時、全身をボロボロにされ、立っているのもやっとだった。相変わらずICBMは役立たずだし、物理攻撃には向いていないバイトシフトも小瓶の中だった。
政府の援護射撃もなんの効果もなく、みーちゃんは見えない高圧力に押し潰されそうになった。
みーちゃんは不死ではあったけど、苦痛は普通の人間と同じで、骨が次第に折れていく音に、気を失いかけていた。
ボクも頑張ったけど、もう限界だった。
その時だ。
たぶんみーちゃんはすでに意識がなかったと思う。みーちゃんは瞳を閉じたまま、袖が破れて露わになった白く細い腕を、空に向かって翳した。
急に空がひび割れたようになって、本来なら太陽の光が射すはずなのに、真っ黒な影の刃が天空の割れ目から地上へ降り注いだ。
この一回きりの攻撃で「ぺしゃんこの事象」は、紫の煙になって消えてしまった。
政府は、ボクが事象を倒したのだと決めつけていたけど、あれは紛れも無くみーちゃんの力だった。
その力を、みーちゃんは自分の意思で発動させた。
みーちゃんは心の迷いをすべて断ち切った。
空間に穴が開いた。そこから、あの時と同じに、真っ黒の刃がすごい早さで射し込んできた。
黒い闇ではない、あれは黒い光だった。ボクだってたくさんの人間の心を自分のコレクションにしてきたのだから、闇の光など存在しないことくらいは知っていた。
光によって影が出来るのは解るけど、光そのものに闇は存在しない。でも、よく考えたらどうして夜空はあんなに明るいのだろう。
太陽の光が届くはずのない遠くの宇宙もずっと光っている。
ボクはやっぱりバカだから上手く説明できないけれど、きっとみーちゃんが使った力は、宇宙の成り立ちに関係する、闇の光に違いないとボクは思った。
どんな強力な力もゼロにしてしまう力をみーちゃんは持っている。みーちゃんと同じく不死であるアスカを消滅させるには、この力しかなかった。
あとは、みーちゃんが闇の光を使いこなせるかどうかだけ。
果たして、闇の光はアスカを血の一滴も残さずに消滅させてしまった。消える間際の、刹那の感情すら許されずに、アスカは逝ってしまった。
ボクはみーちゃんがどんな表情でアスカを見送ったのか見たかったのに、みーちゃんの顔を見る前にヌイグルミに戻されてしまった。
魔王が創り出した空間は、アスカの消滅と共に消えた。
青い空と蒼い海が水平線の彼方まで続いていて、見渡す限りなんにも残ってなかった。みーちゃんの暮らした街も大地もなんにも…。
みーちゃんは宙に浮いたままだった。
突如、オモヒカネさんの声が聴こえて、みーちゃんは何処か別の世界へと吸い上げられた。
滅ぶために創られた世界はこうして滅んだんだ。
4
なんやおまえ、えらいオッサンになってしまったな。
こないだまであんなちっこいガキだったおまえが、もう大人の男か。
それはあんまりな言い方だ父さん。あんたのせいでおれがどんなひどい人生を送ったか。ずっと恨んでいた。
ああ、悪かった。悪いおもてる。ただ、わしもあんまり覚えてないんや。ずっと頭ん中に重たい鉄球がゴロゴロしてるみたいな感じがしてたんや。
分かってる。父さんは魔王に操られていただけなんだろ?
魔王?ああ、みーちゃんの新しいパパになったやつか。あいつはどうなったんや?
魔王は、みーちゃんのママに潰されて死んだってさ。死ぬ間際におれを助けてくれたけど、その時はそいつが魔王だとは知らなかった。ペインがあとになって教えてくれたんだ。
ペインて、そこでさっきから飛んどるボロ布の人形のことか?
そうだよ。おれの唯一の友達だ。
唯一……。このボロ布が……。
ホンマに辛い人生やったんやな。
そうでもないよ。自分なりにちゃんと生きたから。後悔とかそういうのはない。母さんの事とか考えるとやっぱり父さんを心からは許せないけど、おれの人生はそんなに悪いものじゃなかった。
おれよりもよほどみーちゃんの方が辛い運命を背負って生きてきた。みーちゃんはこの世界から死ぬことも許されない体にされてしまった。
人が死ねへんのは辛いな。わしもあんな最低な死に方やったけど、少しだけ死ぬ時わくわくしたんや。なにするかわからん人間以外のもんが、街をうろうろしてるっておもろいやろ。そんなわけのわからんもんに喰われとる思ったら、みーちゃんを守ろうしとった自分をすっかり忘れとった。気づいた時はもうビチクソや。わはははは。
父さんはやっぱり狂ってるな。父さんも人間じゃないのかもと思うよ。
アホ。わしほど人間らしい人間はおらんわ。ずっと太陽が一番の敵や思ってたし…。
でも、まぁそうやな…。もしわしの声が届くなら、みーちゃんに言ってやりたいな。みーちゃんが生まれた日のことや、生まれた理由や、その他にもいろいろ話してやりたい。人間は言葉を覚えた時からもうみんなノイローゼやって言ってやりたい。救うべき世界なんてこの世にあらへん。
父さんはみーちゃんがなんのために生まれたのか知ってたの?
当たり前や。わしはあいつの父親やぞ。とっくに母さんから聞いてたわ。まぁ、最初はこいつアホか?って思ったが、わしが化け物に喰われた時にすべて本当のことやったって悟った。
もっと早く、せめてわしが生きている時に伝えたったらこんなふうにはならんかったかもしれんな。
だけど、もし真実をみーちゃんが知ってしまったらきっとみーちゃんは自殺してしまったと思う。
わしはそれでも良かった。死ねないまま地獄を見る生活よりは自分で死ねるほうがぜんぜんええ。
って、こんな考えの父親やから、みーちゃんもおまえにも苦労かけたんやろな。わしに父親の資格はないわ。
そうだね。最低だと思う。
ああ。おまえにそうはっきり言われた方が気も楽になるわ。ありがとな。
礼を言われることじゃないよ。ところでさ、みーちゃんに声を届けたいって言ったろ?
できるのか?
たぶん。やってみないとわからないけど、ペインが言うには、おれはどうやらみーちゃんと同じ力を宿されて生まれたらしい。おれとみーちゃんはどこかで意識が繋がっているってペインが話してくれた。
おれは自分の力をどうやって使っていいのかまだよくわからない。でも、みーちゃんのママならきっと力を引き出せると思うんだ。
ペインは、みーちゃんのママの本来の力をぜんぶ吸って、今は自身の布の中に閉じ込めた状態らしい。
なんやようわからん話やけど、確かに母さんならできんこともないわな。じゃあ母さんは死んでないんか?
ペイン!死んでないよな?
ふふふ。あの化け物女め、ずっとぼくの中で暴れ回ってるよ。もう布が限界だ。このままじゃぼくが腐っちゃうよ。ほら、もう出ていってください。
はぁー!もう臭い臭い臭い。最低な思いしたわ。これまで何度も世界を滅ぼした時よりも何倍も臭いんだもの。なによこのビチクソ雑巾は。
母さん!久しぶりやな。ずいぶん見た目は変わってしまったが「ビチクソ」って言葉で母さんだと分かったわ。
みーちゃんが最初に覚えた言葉が「ビチクソ」だったからな。
あらパパ。なんでパパがここにいるの?パパは普通の人間だったのに。
わしにもよう分からんのや。そういや、わしが死ぬ間際、一匹の蠅がわしをここに連れて来てくれたんや。
なんで蠅なんか知らんけど。だいたいここはどこや?
天国でないことははっきりしてると思う。
蠅?あははは。あいつも少しはマシな部分もあったのね。みーちゃんの可愛さにほだされたのかしら。
あいつって誰や?
誰でもいいの。パパには内緒。
なんや浮気か?まぁええわ、おまえにも苦労かけたから少々のことは許したろ。
パパもずいぶん丸くなったのね。
ここが退屈やったからな。おかげでのんびりさせてもらった。なんや急に騒がしなってびっくりしとるわ。
ああ、そうやった。そうやった。
母さん話は聞いてたやろ?みーちゃんはきっと今寂しい想いをしとる思うから、なんとか声を届けられんやろか。
そうね。これがみーちゃんのためになるのかわからないけど、アスカの力を引き出したら出来ないことはないわ。
別にみーちゃんのためにならんでもいいんや。わしはあの子の声を聞きたい。わしの言葉も聞かせてやりたい。家族なんやから、特別な理由なんていらんやろ。
それもそうね。家族なんだもんね。
あの子は一人じゃない。そう伝えてあげるだけで、あの子はきっとこれからも新しい世界で生きていけると思う。
あの…。おれは…。
アスカ次第よ。あなたがここに居たいなら、あなたも家族よ。罪悪感なんて持つ必要はないわ。
だって、ここにいるみんなろくな生き方してないから。
とっくに地獄行きの家族なんだから。
ほんまやな。これまで死んでいった人たちに対して懺悔の日々や。
それでええなら、おまえも一緒に償っていこうやないか。
それじゃあ懺悔の前に、パパの願いを叶えましょう。
本当は私もみーちゃんに声を伝えたいしね。
オモヒカネはビチクソだっ! てね。
おれもみーちゃんに謝りたい。
あの子、根に持つタイプだから許してくれないかもよ。
それでもいい。
ほならとりあえず、せーのでみーちゃんの名前でも呼んでやるか。
そうね。そうしましょう。アスカ、ちょっと目を瞑って深呼吸して。そう。みーちゃんの顔を思い浮かべて。そう。
うん、見えてきた。あの子の姿が見えてきたわ。
いくわよ!
せーのー!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます