第2症 沈む太陽と降り続ける魚


 みーちゃん、今見てたのは夢ですよ。ヌイグルミのボクが言う。言うが、言葉にならないし、体も動かない。だからやっぱりあれは夢だったのだ。みーちゃんは、ゆっくり目を開け、しばらく、カッターナイフが突き刺さったままの天井を眺めている。

 みーちゃんがなにを考えているのかボクにはわからない。なにか言ってくれないと、ボクは人の心を読むことができない。不便だと思う。ニーソは心が読めるらしい。すごく羨ましい。みーちゃんの太ももにくい込めることよりも、心が読めることの方が何倍も羨ましい。みーちゃんの白くぽてっとした太ももにくい込めるのも、魅力的ではあるんだけど。

 でも、穴があいたらポイされるのは厭かなぁ?ボクなら穴があいても、ちゃんと糸で縫ってもらえる。ボクの体は、縫い目だらけだ。その縫い目の数だけ、ボクはみーちゃんに愛されていると思う。残念なことに、一番みーちゃんが愛しているのは、みーちゃんを神の視点から、いつも優しく見守っている〈オモヒカネ〉さんだ。

 みーちゃんの行動は逐一、この〈オモヒカネ〉さんが記録していく。もちろんボクの行動も。みーちゃんに関係するすべての事象を、〈オモヒカネ〉さんが叙述していく。

 ほら、誰の言葉でもない箇所があったでしょ?あれも、〈オモヒカネ〉さんが叙述してたんだ。だけど、誰も〈オモヒカネ〉さんの姿は見えない。一番愛しているみーちゃん本人さえも〈オモヒカネ〉さんは見えていない。心の中で、きっと美しく擬人化されてるんだとボクは思うんだけどさ。って、今だって、これもぜんぶ〈オモヒカネ〉さんが記録してるんだ。なんだか不思議な気分。

 あ、あんまり変な説明するもんだから、ボクはしばらくお休みらしい。まぁいいや。素敵な夢の中で、自分の足で歩くこともできたのだから、少しの間ボクはただのヌイグルミに戻ろう。

 じぁあ〈オモヒカネ〉さんあとはよろしくお願いしますね。



 みーちゃんは、五分ほど天井を見て、そのあと、右に一回、左に一回寝返りをうって、それから、ノソリと起き上がった。寝癖で、後頭部の髪がピョコンと飛び出している。イチゴの形をした目覚まし時計を見ると、もう午後三時をまわっていた。

 もう一度寝て、そのまま夜を向かえようかと、みーちゃんは考える。でも、もうちっとも眠たくないので、起きて、パジャマを脱いで、他所いきの恰好に着替えることにする。ベッドの下は、ほとんど足の踏み場がないほど、雑誌や、お菓子のゴミクズや、脱ぎっぱなしの下着やらで埋め尽くされている。みーちゃんは、足で、ガサっと、ゴミの山を部屋の隅に寄せる。


 下着姿のまま、みーちゃんはクローゼットを開ける。中には、黒い服と、白い服と、ピンクの服しか入ってない。どれも、ヒラヒラのレースの装飾がされている。中には、大きな安全ピンが、わざと何十個も付いている服もある。

 しばらく考えて、みーちゃんは、白い、フリルがいっぱいついたワンピースを取り出した。

 透けるかなぁ?と少し迷ったが、着て、姿見の鏡で確かめると、別に大丈夫そう。みーちゃんは、クローゼットの下にある引き出しから、白とピンクのボーダーのニーソックスを出して履いた。


 ゴミは避けたが、変わらず乱雑に物が散らかったままの床にポスンとお尻を下ろし、おままごと用の小さい鏡付きの化粧台に、顔を突き合わせ、百円ショップで買った、みーちゃんの趣味にはぜんぜん合わない、無愛想なビニール製のポーチの中から、何個かの化粧道具を取り出して、お化粧を始めた。

 ファンデーションは塗らない。いきなりアイライナーで、目じりに太い枠を入れ、長いつけまつげを付ける。まゆは書かない。あとは、ピンクのリップを塗って、すこしだけ頬にシャドーを入れて完成。お化粧は簡単だが、思い切り太く塗ったアイライナーのおかげで、みーちゃんの瞳はぱっちり大きくなった。

 それに、エメラルドグリーンのカラーコンタクトを入れると、みーちゃんは、もうさっきとは別人だ。

 みーちゃんは、ドクロの刺繍の入った、斜めがけのバックを持って、部屋から出た。

 家はしーんとして音もなく、誰もいないらしい。ママは仕事に出かけている時間だった。みーちゃんが階段を降りる、ギシギシという足音がやけに大きく、家じゅうに響く。

 玄関まできて、みーちゃんは、ゲタ箱から、木のソールがぶ厚い赤い靴を取りだして、ヒモを苦労しながら足首に結え、五分ほどかけて履いた。ヴィヴィアンウエストウッドのロッキンホースバレリーナという靴だ。この靴で、みーちゃんは何度も転び、一度は、駅のホームへ続く長い階段の一番上から転げ落ち、危うく死に掛けたが、カワイイので、懲りずに履き続けていた。

 アルバイトの時だけ、ボロボロのコンバースのデッキシューズを履いていたが、今はバイトも辞めたので、もう油にまみれた汚いデッキシューズは、公園のゴミ箱に捨てた。


 みーちゃんが外に出ると、地面に何匹もの魚が、ビチビチ跳ねていた。みーちゃんは魚類には詳しくないので、その魚が、どういう名前か、また、海の魚なのか、川の魚なのか、分からない。

 尾びれに背びれ、鱗に、エラに、瞬きしない目。見れば、それが完全に魚であることは事実だった。ビチビチと跳ねている魚は、ほんの数匹で、家の敷地を出て、道にずっと続いている、ずっと向こうの方に見える黒い塊も、たぶん魚だろうと、みーちゃんは思った。足元に、もう動かなくなって、半分干からびた魚の死骸が、何百匹と転がっていた。

 みーちゃんは驚かない。それがパパの仕業だと知っているからだ。もしパパでなくても、パパの使い魔がやったのだろうとみーちゃんは考える。

 みーちゃんは一旦家に戻り、真っ黒の日傘を持った。これで、降ってくる魚は防げるだろう。

 もう一度外に出ると、すぐに傘をさした。その途端、ビタン!と音がして、傘を持つみーちゃんの腕に衝撃がはしった。すぐ続いて、ビタン!ビタン!ビタン!と、三回同じ衝撃がきた。

 足元に、魚が落ちて、まだ跳ねている。みーちゃんは慎重に、その魚を踏まないようにまたいで、歩きだした。

 魚はいつまでも降り続けた。街行く人たちも、同じように傘をさしている。街の人がさしている傘は、みーちゃんがさしているような普通の日傘ではなく、チタン合金と、衝撃分散ラバーで作られた、対魚専用の傘だった。

 みーちゃんは、あんな傘ぜったいに可愛くないし、クソよ。と、自分流を曲げない。一応、手で握る部分だけ補強はしてあるが、魚が傘に当たるたびに、みーちゃんは、その衝撃で、歩みを止めなければならなかった。街じゅう、生臭い。

 みーちゃんは、気持ち悪くなって、歩道わきに、二度吐いた。地下道に入る階段に辿りつくと、急いで階段を駆け降りた。魚のヌメリで、滑りやすくなったロッキンホースバレリーナは、案の定、駆け降りる階段の途中で滑って、足を踏み外したみーちゃんは、そのまま尻もちをついたまま、階段の下まで滑り落ちた。

 イタタタタ。

 みーちゃんは、お尻を押さえて、なんとか立ち上がった。せっかく、みーちゃんの白くプっくりした太ももにくい込んで、気持ちの良かったボーダーニーソは、膝までずり下がってしまって、一気に不機嫌になった。ゴメンゴメン。みんなパパが悪いのよ。パパを恨んでね。パパを呪いなさい。と、みーちゃんはニーソをなだめて、また太ももまでたくしあげた。白とピンクのボーダーニーソは、それじゃあしょうがないと、納得した。

 みーちゃんは、地下道は大嫌いだった。そこから続く地下鉄も嫌いだ。満員だったら尚更嫌いだ。だけど、魚臭い道を歩くよりはマシだから、しかたなく、地下道を歩くことにしたのだ。

 地下道には、魚を避けて、魚宿りしにきた人たちで、犇めきあっていた。やっぱり外出などせずに、家で寝ていた方が良かったなと、みーちゃんは後悔した。

 でも、みーちゃんが、魚止めのボタンを押さないかぎり、集中豪魚は止まないのだ。この仕事というか、役目があるおかげで、バイトを止めて、家でいつまでもゴロゴロしていても、学歴が高校中退でも、誰からも咎められず、生活できるのだ。

 だから、簡単に放棄するわけにはいかない。みーちゃんにしか止められない事象が、この世界にはたくさんあるが、それはまた追々、語ることにしよう。

 この役目を担った日に、みーちゃんは、高校時代に自分をレイプした男を、報酬として殺してもらった。殺し方は、みーちゃん自身が執行人にお願いした。ちゃんと、みーちゃん自筆のカラーイラスト付き説明書を執行人に渡して、その通りに殺してもらった。まず○○○○に○○を付けて、×××の檻の中に放り込んだ。運良く、男は死ななかったので、今度は、強めに魔女の呪いをかけて、裸のまま街を歩かせた。

 あとは、倫理的観点から、記述はしないでおこう。

 結果、男は、骨と皮だけになって、悶えながら絶命した。みーちゃんは、思ったよりも残酷な死に方ではないと、ずいぶんガッカリした。これでは報酬とはいえないと駄々をこね、駄菓子一生分を得ることに成功した。ただ、一生分の駄菓子は、一ヵ月も食べ続けたらもう飽きてしまったのだけど…。



 あっ、お久しぶりです。突然現れて、混乱させてしまい申し訳ありません。まだ憶えていてくれてますでしょうか?私は油です。みーちゃんは、事象停止の報酬に、レイプ男を惨殺して欲しいと頼んだそうですが、では、それならなぜ、あのクソ油店長も、その時一緒に殺してくれなかったのでしょうか?私は納得がいきません。私の命をかけてもいいから、あいつを、熱した二百度のラード油につけて、骨までカラっと揚げてやりたかったのに。

 みーちゃんを疑いたくはありませんが、あの店長には、少しでも気を許していたのでしょうか?もしそうなら、私はショックで、水と混ざってしまいそうです。そう、絶対に混ざらない水に、混ざってしまうくらい哀しくなります。

店長は相変わらず、私に、ブタ臭いラードを混ぜて、これが美味さの秘訣だなどと戯れ言を、ニラ臭い口から発しているのです。

 みーちゃんがバイトを辞めたあとに入った新しいバイトの子も、最悪でした。要領が悪いのは、仕方のないことですが、何度クソラード店長が注意しても、私の体がまだぬるい、百五十度ほどで、串カツを入れてしまうのです。ジュワともシュワとも言わせてもらえない串カツも哀れですが、そんな、死に体の串カツを泳がされる私も悲惨です。ジワジワと、串カツの中身の、あれはたぶん玉ねぎでしょうか?あの、生ぬるい体液が浸み出してきて、私の海は、途端に腐ってしまいます。私が神なら、きっと、怒り狂って、空から生きた魚の大群を降らせるでしょう。

 空から降る魚がいるそうですね。私はいつもフライヤーの中なので実際に見たことはありませんが、魚を降らせている神の気持ちはきっと私と同じなのではと思います。

 だから、ちっとも仕事を憶えようとしない新しいバイト君も、やはり二百度の油で、揚がってしまえばいいのです。

 みーちゃんはきっと店長のことを忘れているだけだと信じたいです。早く思い出して、今度はクソブタ野郎を、始末して頂きたいと、切に願うばかりです。

 いきなり登場し、混乱させてしまい、重ねがさね、お詫びを申し上げます。ごめんなさい。



 みーちゃんは地下道を抜けて、再び地上への階段を上がった。その階段を上がると、今はずいぶんシャッターの閉まったままのお店が増えてはいるが、長いアーケードの続く商店街に出るのだ。ここのアーケードは、対魚用に改装されているので、傘を差さなくても歩くことができる。みーちゃんが地上へ出ると、アーケードの中も、人の渦が出来ていた。空からの落下は防げるものの、やはりアーケードも生臭かった。

「あっ、みーちゃんだ!」

「みーちゃん早くしとくれ」

 みーちゃんの姿に気づいた通行人が、みーちゃんに話しかける。あんたらは私を知ってるかもしれないけど、私はあんたたちの名前も物の考え方も、人生だって、なに一つ知らないのよ。気安く話かけないで。と、みーちゃんは無表情で、カツカツ靴を鳴らしながらアーケードを抜けた。

 魚はだいぶ小降りになっていたが、そのぶん一匹が大きい、みーちゃんから三十メートルほど離れて歩いていた男性に、カジキマグロが直撃して、ゴリンと首の骨の折れた音が、みーちゃんのいるところまで聴こえた。

 これもどうせ後で私のせいにされちゃうんだろうなと、みーちゃんは道に横たわって動かなくなった男性を横目に、憂鬱な気持ちでいっぱいだ。どうにもできないので、黙って男性を放置して、みーちゃんは先を急いだ。もう傘は差していない。このくらいの小降りなら、気配で魚を避けることができる。それにボタンはもうすぐだった。

 ここを曲がれば公園があって、公園のもともと噴水があった場所に天空まで伸びたピラーが建っていた。

 事象は、このピラーの内部にあるボタンを押せば、魚は止まる。ピラーには強力な結界が張られていて、みーちゃんでなければ突破できない。自衛隊が、どんな火力を持ってしても、結界は破れない。なんのために、こんな物を建設したのか?みーちゃんはパパの仕業だと考えていたが、真相は誰にも解からなかった。世界のなにかが狂ってしまった。それが唯一、人々が出した答えだった。解決の方法はない。

 人の生活において、迷惑な事象であることに違いはないが、それがもとで、世界が終焉を迎えるほどでもない。

 人が死ぬ場合もあるが、その他の、これまで人々を苦しめてきた異常気象よりも深刻かといえば、みーちゃんがいるおかげで、事象は止めることができるし、去年この国を襲った、数々の天変地異に比べたら、国が杞憂するほど、市民達は事象に恐怖はしていなかった。ただ、鬱陶しいなぁ程度の事象。

 みーちゃんもそれを知っているから、最初からやる気なんてない。なんなら、感謝されるどころか、さっきみたいにたまに人が死ねば、怨まれたりする。みーちゃんは、ただ静かに暮らしたいだけなのだ。



 パパ嫌い。パパ死んで。パパ嫌い。パパ死んで。


 みーちゃんはブツブツ恨み節を呟きながら、ピラーに近づいていった。


 あーあ。ほらやっぱり。今回も、またあいつらがいる。意味わかんない。死んで欲しい。消えて欲しい。ホント意味わかんない。


 みーちゃんは前方に、三体のなにかを発見し、心の奥からウンザリする。これでもう何度めだろう。ロッキンホースなんて履いてこなきゃ良かった。ビチクソでも、穴あきスニーカーにしとけばよかった。これお気に入りなのに…。

 そのままシカトしてくれて、ピラーに入れてくれないかなぁ?

 みーちゃんは、望みが薄いことを分かった上で、一応、三体に目を合わせないように、結界近くまで歩いていった。



 はい、無理でした。ね?いつものことだもん。分かってたわよ。と、自分の前を塞ぐように立ちはだかった三体のなにかと対峙して、みーちゃんは覚悟を決める。


 水と反発する力を持っているのは油。


出ておいでカワイくてブサイクなわたしのバイトシフトちゃん。


 みーちゃんは言い、肩から下げたドクロのバッグから、茶色の小瓶を取り出した。小瓶の、コルクで出来た蓋を抜くと、中から、黄金色の液体でありながら上半身が人の形を保っている半透明の物体が空中に、渦を巻きながら飛び出した。



 ヌルヌルヌルヌル。

 ヌルヌルヌル。

 ヌルヌルヌルルルルー。


 みーちゃんの前に立ちはだかった三体が、ゴムを擦り合わせたような奇妙な声で、なにやら会話をしているようだ。


 みーちゃんの出した黄金色のバイトシフトちゃんと呼ばれた物体は、じょじょに七色に体色を変化させながら、完全な人型に成っていった。


ごめんね。また余計な仕事させちゃって


 みーちゃんはバイトシフトに手を合わせて謝った。

 でも、当の本人はなんだか嬉しそうだ。クルクルと宙を廻りながら、三体の物体に突進していった。


 三体は顔は魚に似ていた。開けっ放しの目が緑色に光っている。硬そうな牙も生えている。頭から背中にかけて、背びれのようなギザギザの突起物が突き出ている。全身ヌメリがあって、テラテラと鈍く光りを反射している。だが手も足もある。人のそれではないが、ちゃんと指も生えている。手の平には水掻きが見える。


あんたらキモいよ。なに?半漁人?どうでもいいわ。早く弾かれて消えてくださいな。


 みーちゃんがそう言うと、バイトシフトは突然、体を鋭利な剣の形に変化させて一気に三体纏めて貫いた。



 ヌルヌルヌル…。

 ヌルヌル。

 ビチャビチャ!



 三体のうち二体はその一撃でドロドロの緑色の液体に変わって地面に崩れ落ちた。だが、一体がまだ耐えていた。



 ビチャビチャ!


やっぱりバイトシフトちゃんだけじゃ駄目だったかぁ。


 みーちゃんはさして緊迫感のない声をあげて、短い溜め息をついた。


アリガト。もう戻って。次、しょうがないなぁ。ICBM!あのクソを包みこんで!


 みーちゃんは、履いていたボーダーのニーソを両方すばやく脱いだ。ニーソをICBMと名付けた経緯やらはまた追々。さて、みーちゃんは自分のロッキンホースバレリーナをすでに脱いでいて、二足とも、ぬちゃぬちゃに粘り気のある液体で汚れたコンクリの地面に、情けないかたちで横になっていた。


わたしのロッキン汚した罪は重いよ。


 みーちゃんが脱いだニーソは、ゴクウの使う如意棒のように、ぐんぐん伸びていって、半漁人もどきの体を縛りあげた。さっき、バイトシフトがつけた油がバチバチと音をたてて、そいつの体の肉を裂いていく。ICBMことニーソによって、体の自由を奪われたそいつは立ったまま一歩も動けず、やはりドロドロの緑色の液体になって崩れて消滅した。

 あたりには、小学校のころ誰もザリガニの世話をしなくなって腐った水が沼みたいになった水槽と同じ臭いが漂っていた。


もう!ビチクソどもが!果てしなくビチクソが!


 みーちゃんの口が少々悪くなるのも仕方がない。お気に入りのICBMことニーソは、もう洗っても臭いは落ちないだろう。だいたい触るのも嫌だ。


ゴメンね。ゴメンね。


 人が目の前で死んでも泣かなかったみーちゃんだが、お気に入りのボーダーのニーソが駄目になって、涙が溢れてきた。同時に恨みの感情も増幅した。その怒りに呼応するかのように、ピラーに張られた結界が赤く点滅して、人がちょうど一人入れるくらいの穴があいた。

 みーちゃんは、ピラーの内部に入り、中心に設置された台座に向かった。台座には、これ以上分かり易いボタンはないだろうというくらいの、まん丸い黄色のボタンが台座の天面に埋め込まれてあった。みーちゃんはすぐにボタンを押しこんだ。



 はい、お疲れさん。


 天空まで続くピラーのずっと上の方から、やる気のない大人の男性の声が聴こえた。


 みーちゃんはニーソを駄目にされたのと、大事なロッキンホースを汚された怒りがまだ収まらず、天井の見えないピラー内部のはるか上部を見上げてもう一度、ありったけの大声で、


 クソが!と叫んだ。


 みーちゃんの声の残響がピラー内部に虚しく響くだけで返事は返ってこなかった。


 そのあと、ピラーから出たみーちゃんはICBMことニーソのお墓を公園の一番大きな樹の下に作ってあげた。ロッキンホースは高かったのでなんとか洗って使えないかと一応家に持ち帰ったが、なんど漂白剤でつけ込んでも悪臭はとれなくて、これも仕方なく庭に埋めて供養した。

 ここ最近じゃ一番被害が多い戦闘だった。

 

 三日後、また集中豪魚が起こったが、みーちゃんはもう知らないと完全無視して、部屋で新しいワンピースにネット通販で買ったピンクのフリルを縫い付けていた。

 たぶん政府の人が何度か家のインターホンを押したが、みーちゃんは出なかった。ママも気に留めず、ドラマの再放送をリビングでずっと見ていた。

 その日の集中豪魚は三時間ほどで止んで、町は相変わらず生臭い悪臭を放ち続けた。幸いその日の死者はゼロだったとあとからニュースで伝えられた。


 どうせなにかあれば私が恨まれるんでしょと、みーちゃんは少しばかり自暴自棄になった。ずっと用量を守っていた安定剤も少し多めに飲んでしまった。

 その夜は珍しくママが気を使ってくれて、みーちゃんの好きなハーゲンダッツのストロベリー味を買ってきてくれた。


 いつまでこんな日が続くのかな?そう考えるとみーちゃんは憂鬱な気分になったが、冷たいアイスの甘さが幾分か、脳を柔らかくしてくれた。

 ハーゲンダッツのポテンシャルすげぇと、プラスチックのスプーンでカップを穿りながら、みーちゃんはこっそりと思ったのだった。

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