もっとお話を聞かせて

久遠了

第1話

 リオの住む村は山を越えた先にある海に近い寒村だった。

 晴れた日が続けば漁で得た魚を近隣の村に売り、雨が降れば狭い畑を耕して麻や自分たちが食べる分の野菜を作った。麻で編んだ衣類は擦り切れるまで着て、着れなくなったらほどいて麻ひもに作り直し、いよいよ使えなくなったらかまどの火種に使われた。

 貧しい生活だったが、村人に不満は少なかった。

 それは語り部の語る話が生活の苦労を忘れさせたからだった。

 村には多くの語り部がいた。

 村人たちの生活は貧しかったが、それでも週に一度くらいは家族の誰かが話を聞くくらいの金はあったし、半年に一度くらいであれば家族全員で話を聞くことはできた。

 語り部たちは村人たちよりも貧しかったが、それで侮蔑されることはなかった。語り部たちは穏やかな笑みを浮かべ、果物や手作りの菓子を売り、買ってくれた村人たちに話を聞かせた。

 リオも語り部たちの話を愛する一人だった。両親は若くこの世を去っていた。育ててくれた叔父夫婦は貧しかったが、リオに幾らかのこづかいを与えてくれた。リオは近所の家々の仕事を手伝い、わずかばかりの賃金をもらった。その金とこづかいが貯まると語り部の話を聞きに行った。

 ある日、リオは一番好きな話を叔父夫婦に聞かせた。その語りは見事で、叔父夫婦はリオを誉めた。次の夜、リオは夫婦の自慢を聞いてやってきた隣家の者たちにも、同じように話を聞かせた。

 次の月、リオは馴染みになった男の話を聞きに出かけた。語り部に金を渡そうとすると、男は手を出すこともなく、首を左右に振った。

「おまえには話を聞かせられない」

 リオには男の声は冷たく聞こえた。

「なぜ?」

 男の口元が歪んで見えた。リオは涙ぐんだ。

「立ち去れ。二度とここへは来るな」

 男はそれだけ言うと、リオから顔を背けた。

「おまえ、あっちいけよ」

 一人の少年がリオの肩をこずいた。涙越しに見た集まった人の顔は迷惑そうに見えた。リオは泣きながら、その場所から離れた。

 話を聞かせない語り部は、その男だけではなかった。男も女も、若い者も老いた者も、どの語り部たちもリオが近づくと奇妙な表情を浮かべて顔を背けた。どれだけ哀願しても、リオに話を聞かせる者はいなかった。

 十六になると、リオは村を捨てて都会に出た。叔父夫婦は引き留めたが、リオは寂しげな笑みを浮かべるだけで応じようとはしなかった。

 三十年の間、リオは都会で働き続けた。その間に様々な場所へ旅に出かけた。恋をし、失恋もし、結婚し、離婚も経験した。何人かの子供が産まれ、彼の元で育ち、彼の元から去っていった。

 気がつくと、リオは公園で寝泊まりするようになっていた。彼の興した会社だけではなく、住む家も人手に渡り、リオのまわりに人はいなくなっていた。

 安酒の空瓶を投げ捨てたリオは、ため息をついた。

「ああ、帰りたいもんだ」

 リオは故郷を思った。叔父夫婦が数年前に亡くなったことを風の便りに聞いていた。故郷には親戚も親しい者もいなくなっていた。

 それでも、リオは死ぬ前に一度、故郷に帰りたいと思った。

 薄汚れたコートのポケットをさぐると、幾らかの金が出てきた。

「葬式代か」

 リオはその金で村に帰った。

 村に着くと、リオは八百屋に寄った。そこで、一番安いしなびかけたリンゴを二皿買うと、持っていた金はなくなった。

 リオは店の横に無造作に置いてある木箱を指差して尋ねた。

「あの木箱をもらえんかの?」

「何に使うのさ」

 店の太った女主人はけげんそうに聞き返した。

「いや、話をするのに椅子があった方がいいと思ってな」

「あんた、語り部かい。いいさ。幾つでも持って行きなよ」

 リオは礼を言い、木箱を一つもらった。

 リオが空き地で腰を降ろしていると、新しい語り部の噂を聞いた村人たちが集まってきた。リオは金を受け取ると、リンゴを一個渡した。

 最後のリンゴを手渡した手はしなびたような老人の手だった。

 ふと見上げると、見覚えのある顔だった。

 リオに話を聞かせなかった語り部の男だった。男はリオの視線に気づいて、はにかんだような笑みを浮かべた。

「話をきかせてもらっていいかな?」

「もちろん」

 リオは微笑みながらリンゴを渡した。

 男が腰を降ろすと、リオはゆっくりと話し出した。

「これはコスガイの海岸の砂浜の地下深くにたたずむ黄金宮殿と、そこに眠る王女を訪ねた騎士の物語……」

 リオは言葉を切ると、ゆっくりと人々を見回した。どの顔も聞いたことがない物語に顔を輝かせていた。

 あの語り部の男も……

 リオはゆっくりと話し出した。

 夕暮れが過ぎ、星が瞬き、月が傾いてもなお、リオの声は聞こえていた。


- 了 -

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もっとお話を聞かせて 久遠了 @kuonryo

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