第20話リアリティ (文章技法)

 リアリティというのは難しい。それはファンタジーだから、SFだからというような話ではない。虚構において、あるいはノンフィクション、ドキュメンタリーにおいてすら難しい。

 ただ、言ってしまうのは簡単ではある。「」というだけのことだ。こう言い換えただけで、わずかばかりではあってもなんとなく、どうすればいいのかが見えるようにもおもう。

 では、文章技法としてはどうなるだろう。たとえばこんな例を考えてみよう。なお元ネタは虚構新聞だ:

   私は両足を揃えて立った状態から、右足を30cm前に出し、

   それととも重心もそちらに移しながら、右足を地面につけた。

   続いて左足を60cm前に出し、それとともに重心もそちらに

   移しながら、左足を地面につけた。…… 私は右足を60cm前に

   出し、それととも重心もそちらに移しながら、右足を地面につけた。

   続いて左足を60cm前に出し、それとともに重心もそちらに移しながら、

   左足を地面につけた。……


 これがたとえば30分の移動中や散歩の間にずっと続いたとしよう。まぁ、リアルであることを否定する人はいないだろう。では、そこにリアリティはあるだろうか。実験文学や、ほかのものであっても特別な条件をつけなければ、あると答える人は…… まぁ変わり者だろう。

 これはあくまで文章技法の話だ。それもとても単純な部類の。だが、文章技法においては、リアルに書くことがリアリティに繋がるわけではないということはわかる。

 ではどうするのか。抽象化するか書かないかだ。たとえばこのように:

   私は30分散歩した。

 あるいはこのように:

   私は駅についた。


 実際にどうおもわれるかは知らないが、上のものよりもコッチのほうがリアリティはあるだろう。

 これは「形容と説明、描写は悪手」で書いたこととも通じる。書けばいいというものではない。むしろ、いかに書かないかが重要だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る