第19話読むとはどういうことか

 「解釈・理解」とも関連する話です。

 私なんかが書く必要はこれっぽっちもないことなのですが。


 読むという行為は、受動的な行為ではありません。それは「読もうとする気持ち」というような話でもありません。

 読むという行為は、作者やその背後にいる人々との対話であり、議論です。

 これはさんざん言われていることです。何回も何回も言われていることです。

 読むとは、その対話や議論を楽しむことです。

 書かれていることに、「いや、違うだろう」とツッこみ、あとで「おっと、そう来たか」と聞き、「だけどな」とさらにツッこむ。

 読むとはそういう行為です。

 その根底にあるのは、受け入れるという精神ではなく、批判的精神です。読む対象が小説であろうとも。


 書き手であろうと読み手であろうと、そういう「読む」という行為を否定するなら、ただ流れていくものと考えるなら、何も残らないでしょう。

 何も残らないことこそが娯楽だという考え方もあるでしょう。それはそれで立派な考えだと思います。あなたが死の床につくとき、あなたには何も残っていないことを受け入れているのですから。

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