第16話わかりやすさ (用語)

 とても大切な話だ。とてもとてもとても。とくにSFまわりを書く人にとっては、とてもとてもとてもとても大切な話だ。


 TEDでもほかの公演でも、あるいはNHK Eテレの白熱教室でも、同じくEテレの地球ドラマっチックでも、そういうのを見てもらえばわかる話だ。科学者がどれほど噛み砕いた、あるいは普通に理解しやすい話し方をしているか。そして仮に実際の理論や観測からはズレがあったとしても、それをどれほど小さいものにしようとしているか。

 サイエンス・コミュニケータという方々がいる。その方々が、どれほどわかりやすく、そして興味を持たれやすいように公演などを構成し、そして言葉を選んでいるか。


 もはや普通の感覚では大昔と言っていいだろう(私にとってはせいぜい一昨日ていどだが)。パルプ系の雑誌が氾濫していたころ、あるいはそれは今も続いているのだが、そのころ「それっぽさ」を出すためには面倒くさい言葉を使った。それだけで充分だったし、それ以上など書き手も読み手もできなかった。一部のちゃんとした書き手を除いてであることは言うまでもない。

 その面倒くさい言葉は、「なんとかかんとか云々装置」であったし、「なんたらニウムという新元素」であったりもした。それで充分だった。というのも、それは「」だ。ただ「何か出てるなぁ」で済んだものだったからだ。「何か出てるなぁ」を超えたものなど、読み手は期待していなかったし、書き手も考えることなどなかった。

 それでよかった。である。「なんちゃら装置」で科学っぽさになったし、読み手はそれを科学っぽいと思ったし(いや、思わなかったかもしれないが)、書き手もそれで充分だと思った。


 だが、それから100年、あるいは短いとしても50年がたった。今はそういう時代ではない。世のバカどもにも理解できるように科学者もサイエンス・コミュニケータも苦心している。

 「世のバカども」と書いたが、カクヨムユーザの皆さんだけを指しているわけではない。バカどものなかの割合からすれば、カクヨムユーザの皆さんの人数など、誤差にすらならない。日本の人口が130,000,000人として、カクヨムユーザが1,000,000人になったとしよう。さぁ、何%だろう。

 そういう状況で、科学者もサイエンス・コミュニケータもどれほど苦心しているかわかるだろうか。科学周りの人が10,000,000人いるとしよう。さぁ、何%だろう。科学周りの人は、孤軍奮闘どころではない、四面楚歌どころではない。世のバカどもと戦っているのではない。もはや絶望と戦っているのだ。

 もしかしたらあなたは、理系の一流の大学院(ここではとくに修士とする)に在籍する学生だから、バカどもの中には入っていないと考えるかもしれない。よし、あなたはバカの代表だ。先生方が、「どうやったら、バカから人間にしてやれるだろうか」と、おそらくは真剣に考えられているバカの代表だ。科学者にとって目の前に具体的にいるバカの代表だ。そして、幸運なバカでもある。ちなみに、博士(博士後期)課程にすすんだあなた。あなたは本物のバカだ。救いようがないバカだ。根っからのバカを相手にするということがどういうことかがわかっていない、本物のバカだ。だが願おう。幸あれと。

 世のバカどもは、それ以外だ。どうにかしようと考えるだけで呆けてしまいそうになる。絶望と戦っていると書いた意味がわかるだろうか。天文学のクラウス教授がこんなことを言っていた。「任期2年の議員に、どうやって2兆年の話を納得してもらうか」と。これは議員だけの話ではない。あなた方の話でもある。


 たとえば、現在の情報系の技術を見てみよう。まぁ、情報系がありとあらゆる分野を包含しようとしている現在、面倒くさい話ではあるが。あなたの目の前にある計算機やスマホは、あなたにとって何だろうか? 中で何がどのように動いているのか知っているだろうか。外と何をどのようにやって動いているのか知っているだろうか。知ってなどいないと書いておけば、まぁほとんどの人に対しての正解となるだろうから、そう書いておく。

 つまり、クラークが言った世界にあなたはすでに住んでいるのだ。ただ、「科学技術によってそれができている」と知っているのみである。ではそれは、「魔法によってそれができている」と知っているのみというのとどこが違うのだろう。


 パルプ系の用語は、まさにただの魔法だった。科学技術っぽいフレーバーを感じさせたとしてもだ。

 そして今、あなたは魔法世界の住人として、魔法としての用語を使っている、あるいは使おうとしてる。それによって科学技術っぽいフレーバーを出せるだろうと、もしかしたら考えているのかもしれない。


 これだけ書いて、やっと元々の話に戻れる。SFまわりであれば、用語によってそれっぽさを出す時代など、もはや恐竜がいた時代と同じくらいの過去だ。

 もはや現在の科学技術でさえ、世のバカどもの理解を超えている。SFまわりであれば、それをさらに超えるだろう。そこで必要になるのは、面倒くさい用語ではない。雰囲気づくりではない。そんなごまかしではない。

 科学者とサイエンス・コミュニケータが直面している絶望に対面し、その上で伝える言葉が必要だ。

 あるいは、こう言おう。ごまかし用語を使うのは、内容がないからだと。内容があるなら、内容を伝えるためにこそ、科学者とサイエンス・コミュニケータが向き合っているものと同じ、すくなくともよく似ている問題に向き合わなければならない。

 もし面倒くさい言葉を使っているのだとしたら、ただそれだけによってということを理解しよう。

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