第6話「アウルベアの洞窟」

 翌日、午前中から川沿いを歩いて、昼を回ったあたりで第五小隊は目的の洞窟にたどり着いた。


 あたりに他の小隊の姿は見えない。第五小隊が一番乗りのようだった。


 コルネの森のかなり深まったところにある洞窟は、縦五メートル、横七メートルほどに口を開けていた。

 奥は真っ暗でここからでは見えない。コォォ……と風が吹き抜ける音が、洞窟の鳴き声みたいで不気味だった。


 隊長を先頭に、隊は洞窟の中へと入っていく。

 ラクロがその隊長の肩を掴んだ。


「おい、ちょっと待て。洞窟に入るのは全隊揃ってからじゃねぇのかよ」


 隊長は歩きながらラクロのほうを向き、


「なに、そんなに心配することはないさ。相手は所詮アウルベアだ」


「でも、今回は数が数なんだろ? 最近のアンシーリーどもは様子が変だと聞くし……」


「うちの隊は他の隊よりも兵が多いから、大丈夫さ。……他の隊が来る前に、うちの隊だけで片付けて、子爵の評価を独り占めしてやろうぜ?」


 隊長はどんどん洞窟の奥へと進んでいく。隊長が止まらなければ、隊も当然止まらない。


 ラクロは呆れたようにため息をつき、小さく舌打ちして隊長から離れた。


 洞窟の中は湿っていて、ひんやりとしていた。中はすぐに日の光が届かなくなって、真っ暗になる。

 洞窟前で手渡された小型ランプを点灯すると、ぼんやりと光が広がったが、やはり見通しはよくない。


 それに、洞窟はかなり入り組んでいた。

 入ってからもう何度か分かれ道を進んでいる。


(もし一人ではぐれたりしたら、ここから出られなくなるかもしれないな……)


 セシルは洞窟に一人取り残され、寒さに震えながら餓死する自分を想像して身を震わせた。


 そんな想像を打ち消し、セシルは少し前を歩くラクロに声をかける。


「ねぇ、本当にこっちのほうにアンシーリーがいるのかな?」


「方向は間違っちゃいねぇよ。たしかに、やつらの巣があるのはこっちだ」


「……へぇ? まるで君、全部道覚えてるみたいな言い方だね」


 嫌味のつもりで言ったら、ふんと鼻で笑われた。


「覚えてんだよ。今隊長あいつが持ってる地図を作ったのは、事前に偵察した俺だからな」


 ……そのとき、「止まれ!」と押し殺した隊長の声が聞こえた。

 隊が動きを止める。


「五」という伝言が隊の先頭から回ってきた。

 五体いる、ということらしい。


 隊長が曲がり角先の様子を伺い、そして、


「……いくぞ!」


 駆け出した。隊がそれに続いて、傭兵たちは威勢のいい声を発しながら、熊のような身体にフクロウのような嘴を持ったアンシーリー──アウルベアに襲い掛かった。


 セシルは走りながら、うまく隊の後ろの方、アンシーリーと接触せずにすみそうな位置に陣取った。


 いくらアンシーリーといえど、五体では五十人強の兵士の相手にはならない。何人かの兵士はやつらに傷を負わせようとしたが、アウルベアは巨体に似合わず俊敏な動きで攻撃を避け、洞窟の奥へと逃げ出した。


「追え! 五体など簡単に殺せる! 仲間を呼ばれる前に殺すのだ!」


 頭に血が上った兵士たちが、雄叫びを上げながらアウルベアを追う。

 隊とはぐれてしまっても困るので、少し距離を置いてセシルもそのあとを追いかけた。


 入り組んだ洞窟の中を、隊はアウルベアの先導でぐんぐん進む。


 アウルベアと兵士たちが、横道に入った。


「おい、馬鹿っ! そっちじゃねぇ!」


 セシルの少し前を走っていたラクロが叫んだ。

 先ほどまで先陣を切って戦っていたラクロは、いつの間にか後退してこんな近くにきていたのだった。


 しかし、その声は興奮した兵士たちには届かない。彼らはアウルベアが駆けこんでいった横道に姿を消してしまう。


 舌打ちして、ラクロはその道に駆け込んだ。

 セシルも置いて行かれないようにそのあとを追う。


 何度か曲がり角を曲がった先で、


「……止まれ!」


 ラクロがセシルに言った。


 前方に隊の姿はもう見えない。

 兵士たちの興奮した声と足音だけが、二人きりの暗闇の中で微かに聞こえていた。


「こっちだ!」


「わっ……」


 ラクロはセシルを岩陰に引きずり込む。


「なにっ……?」


「静かにしろ。ランプを消せ」


 有無を言わせぬラクロの口調に、セシルは抵抗をやめて大人しく火を消した。ラクロのランプはすでに消えていた。


 灯りを消したら、当たり前だが洞窟の中は真っ暗になった。

 その真っ暗な洞窟の中で、


「なに……?」


「黙れ」


 ……何かが動く音が聞こえた。


 少しずつ目が慣れてきて、ラクロの輪郭がわかるようになる。

 彼はセシルの腕を押さえながら、岩陰から頭を出して隊が駆けて行った方を見ていた。


 セシルも同じようにそちらを見る。と、


「……!?」


 複数あるらしい(暗くてよく見えない)洞窟の横道から、熊のような巨体が数十体現れるのが、ぼんやりと見えた。


 あのずんぐりむっくりな体型は、アウルベアに間違いない。


 幸運なことにやつらはセシルとラクロには気づかずに、隊が消えた方へと向かっていく。


「まずいな……」


 やつらの姿が完全に見えなくなってから、ラクロがつぶやいた。


「この奥は行き止まりだ。いくら兵の数が多いとはいえ、あの数のアウルベアを相手にするのはキツイはずだ。……あいつ、だから他の隊を待てと言ったのに……」


 どうするか、とつぶやいて、ラクロはセシルに言う。


「おまえ、出口までの道、わかるか?」


「え? わかんないけど……」


「だよな……。じゃあ仕方ねぇ。あいつらのところに行くぞ。……ついて来い」


 ラクロは岩陰から出て歩き出す。隊を助けに行くつもりのようだった。


 暗闇の中で遠ざかっていくその背中に、


「……行って、どうするの?」


 セシルはぽつりと問いかける。


 極限まで小さく抑えられていたラクロ足音が、止まる。


「……君、道わかるんだろ? だったら、僕たちだけでも帰ろうよ」


 ……酷いことを言っているな、と思った。


「……僕たち二人じゃ、どうせ大した戦力にはならないよ。わざわざ死にに行くことないだろ? だったら……僕たち二人で帰っちゃおうよ」


 情けない、とも思っている。

 こんなことしか言えない自分が。


(でも、死にたくないじゃないか……)


 これが最善の方法なのだ。自分の命を守るためには。


 洞窟の奥に行ってしまった隊員たちの命と、自分の命。

 他人の命と、自分の命。


(そんなの、自分の方が大切に決まってるじゃないか……)


 自分がよければ他人がどうなってもいいなんて、そんな非情な考えにはなれない。


 だけど、自分が生きるためにはその非情な道を選ばなければならないことはたくさんあるのだ。


 戦争とか、貧富の差とか……そういうことがあるこの世界では。


 一時的な憐憫や同情で他人を助けて、その代わりに自分が死ぬなんて、馬鹿げている。


(だって、自分が死んだら、そこですべて終わりなんだから……)


 ……真っ暗な中、音は何も聞こえない。

 足音も、息遣いも。


 ラクロはもう、そこにいないのかもしれなかった。


 ズルいことを言うセシルなど置いて、もう行ってしまったのかもしれない……。セシルは自嘲的にそう思った。


「……いい性格してるじゃねぇか」


 はっ、とラクロが鼻で笑った。


「そんな弱そうなナリで今まで生きてこられたわけだ。……来い。おまえは死なねぇ」


 ラクロがセシルの腕を掴む。


 強い力で引っ張られて、セシルはよろめくみたいに歩き出す。


 行きたくなどないのに。

 死にたくなどないのに……。


(だけど……。だけど、本当は……)


 ──このまま隊の人たちを見殺しにするのも、心苦しくて。


 ラクロに引っ張られるまま、セシルの足は動いていた。


「ランプはいらねぇな。足元も平らだし。……こけんなよ」


 口調はぶっきらぼうで声音は冷たかったのに、どうしてかその声には人の温度が感じられて。


 ラクロに腕を引かれながら、セシルは洞窟の奥へと走っていた。

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