鋭い目

 香はプリントアウトした地図と手書きした部屋番号などのメモを見ながら、アパートの表札を見て回っていた。

(最近は用心してるのか、表札に自分の苗字とか出さない人も多いからねえ…こういう時は美里の情報が本当に頼りになるわ……っと)

 香は表札に「河野」の表示を見つけて舌なめずりをした。

「みーつけた……!」

 香はにんまりと笑んでそうつぶやく。隣部屋は既に美里の手配で借りてあるらしい。香の服装はというと、今日はモダンな配色のボーダー柄の入ったタイトなニットワンピースの下に、少し薄まった紺のデニムパンツを合わせ、茶髪も下ろしている。メイクも大人っぽい普段用のものに変えている。香はバッグの中にあるビデオカメラを、慣れた手つきで器用に取り出さないまま操作すると、隠し穴から映像を隠し撮りできるようにして、河野家の呼び鈴を鳴らした。

「……はーい」

 やけに陰鬱な雰囲気を帯びた声がドアホンから聞こえた。

(あれ~……?聞き込みによるとこの誘拐犯さん、愛想はいいはずなんだけどなあ……)

「はじめまして~、隣に越してきた片桐と申します~、今日はご挨拶にと思いまして~」

 もちろん偽名だ。メイクやファッションやらの変わり映えもあって、今の香はまるで普段の探偵としての姿とは別人のようだった。

「……今開けますね」

 少し間が合って、カチャカチャという鍵を開ける音がした後、ドアが開かれた。達夫の顔は少し目鼻が腫れていた。

(花粉症……ってわけではなさそうね。こりゃあ弱ってる……漬け込むチャンスかも)

 にっこりと笑みを浮かべて香は言った。

「改めてはじめまして~、205号室に越して来ました片桐です~。どうぞよろしくお願いします~」

 見た目は美人でとても優しそうな雰囲気に見え、スタイルも良い香の姿が目に入って、思わず達夫の表情が緩む。すかさず香が片脚を上げ、そこに紙袋やバッグを置いて、「粗品」と書かれたタオルを取り出して渡そうとする。

「こっこちらつまらないものですが……ぁ~っ!」

「おわっ?!」

 香がバランスを崩して玄関の中まで倒れ込んで来る。思わずそれを抱きとめる達夫。

「だ、大丈夫ですか……?」

「え……ええ……!すいません、お恥ずかしい所をお見せしてしまって……」

 香は自然と胸を達夫に押し付けるようにする。意識をそらすためだ。達夫が頬を赤くして目をそらす。その間にバッグを上手い位置に置いて、ビデオカメラに部屋の中がよく映るようにする。

(あはは、男相手の仕事って本当らーくちん……♪)

 すると、その様子を睨んでいた子供がいた。京である。見た目は女の子に見えるが、服装はイマイチ垢抜けない。

(この子が例の……)

「……お姉さん、今わざと倒れ込みましたよね……?」

「えっ……?!」

 香は焦った。

「そっ……そんなわけな」

「京っ!」

 達夫はひざまずいて京の手を取って笑顔を浮かべた。

「お前……話せるようになったんだな……!?」

 達夫の目には涙が浮かんでいた。京の目線は相変わらず香に突き刺さっていた。その目はまるで親を殺された……いや、自分の恋人を盗まれた女のような……

(いや……まさかそんな……5歳の女の子が……)

「達夫さん、気を付けて……このお姉さん、嘘をついてる」

 香の背筋が凍りついた。ゾクッとするような鋭いまなざしと言葉だった。達夫は申し訳なさそうな顔で香に向き直って言った。

「す……すいません……この子、いま弱ってて……疲れているので……こっ、こちらはありがたく使わせて頂きますね……それじゃ……!!」

「あ!ま、待ってくださ……」

 香はそのままバッグと紙袋とを渡され、ドアを手早く閉められた。

(まさか……私に限って一発で部屋に上がれないとは……ちょっと今回のは……)

 冷や汗を流しながらも、香はニヤリと攻撃性を含むような笑みを浮かべた。

(……面白いじゃないの……ッ!)

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誘拐犯物語 不二式 @Fujishiki

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