勇気

 達夫は会社で引き継ぎを進めていた。達夫は契約社員で、2年の雇用契約がちょうど切れたのだった。必要な書類を跡を引き継ぐ社員に渡し、色々と細かい説明をし、パソコンのデータも機密以外は(といっても2年契約社員の達夫に渡された機密情報は少ないが)社内の共有フォルダにコピーした。達夫はあまり器用ではなかったが、残業したりして努力で足りない部分を補う社員だった。達夫の上司が来て言った。

「河野くんがいなくなると寂しくなるねー。いつでも戻ってきたくなったら言ってくれよ!」

 達夫は笑顔で言った。

「ありがとうございます」

 達夫は内心ではこう思っていた。

(何が寂しくなる、だ。いつもいつも「いつ人事にかけあって辞めさせてもいいんだぞ」と脅して無茶なスケジュールでばかり仕事させておいて…。戻ってきたくなったら言ってくれよ、だ?散々、「このプロジェクトが成功したら正社員になれる」とか、「契約期間が延びる」とか言って期待させておきやがって…人事にかけあったら、再契約だって無理じゃねえか!嘘ばかり言いやがって…!)

 達夫はぎゅっと拳を握りしめて怒りをこらえた。


 昼、京はゲームをポーズして、弁当をわくわくしながら開けた。のりたまごはんの入った弁当箱と、卵焼きと炒めたたこさんウィンナー、かにさんウィンナー、カリっと焼いた油揚げに醤油をかけたもの、塩胡椒で炒めたキャベツ、ミニトマトなどが入った弁当。京は小さな声で言った。

「いただきます」

 京はさっそく気になっていたタコさんウィンナーを食べた。プリプリした食感が口の中で弾ける。ほんのり甘い卵焼きとよく合う。のりたまごはんものりたまがしっとり馴染んでおいしかった。京は次に醤油のかかった焼いた油揚げを食べた。香ばしさと醤油の風味が効いていてごはんが進んでとてもおいしかった。塩胡椒で炒めたキャベツもしっとりしていて少し甘くておいしかった。ミニトマトも少しすっぱくて甘くてみずみずしくておいしかった。京はあっという間に弁当を全部平らげてしまった。弁当箱はそんなに大きくもないのに、とても満足できた。京はまたテレビを付け、ゲームキューブでピクミン2の続きを始めた。


 上司は言った。

「よし、じゃあ今日、仕事が終わったら近くの居酒屋で河野くんの送別会をしよう!予約は取ってないけど、ま、大丈夫だろ!」

 達夫は荷物をまとめてにこやかに言った。

「大丈夫です。自分は今日は弟の見舞いに行くので、送別会には出られません。お心遣いありがとうございます」

 上司はさも残念そうに言った。

「そうかー残念だなあ。じゃあね、頑張ってね、河野くん!」

 達夫は鞄を持って会社から出ると、駅前の本屋へと行った。本屋で弟の好きな作家の新刊を手に取ると、レジで金を払って買い、その本が入った袋を畳んで鞄に入れ、電車に乗った。電車に揺られながら達夫は別に持っていたライトノベルをカバーを付けて読んでいた。達夫は大学病院の近くの駅で電車を降りると、バスに乗り、またライトノベルを読むながら移動し、大学病院へと着くと、歩いて病院に入り、弟のいる共同の病室へ入った。達夫の弟である勇気は小説を読んでいたが、達夫に気付くとみるみる笑顔になって小説を置いた。勇気は言った。

「お兄ちゃん!来てくれてありがとう!」

 達夫も微笑んで言った。

「よう、勇気。調子はどうだ?」

 勇気は困ったように笑って言った。

「時々発作が出るけど…まあ、お兄ちゃんが来てくれたからそんなの吹っ飛んじゃったよ!」

 達夫は鞄から本を出した。するとぱああとさらに勇気の表情が輝いた。勇気は本を受け取り、嬉しそうに笑って言った。

「ありがとう!お兄ちゃん!この作家さんの小説大好きなんだ!ずっと楽しみにしてたんだよ!」

 達夫は笑顔で言った。

「そりゃあよかったよ」

 達夫は勇気のベッドの横に色んな果物の入ったカゴがあるのを見つけて首を傾げて言った。

「また見舞い持ってきてくれたのか…一体誰なんだ?嬉しいけどさ」

 勇気は言った。

「カゴを受け取った看護婦さんによると、優しげなおばさんらしいよ。誰なんだろうね、本当?」

 達夫は言った。

「勇気、リンゴ好きだったよな。切ってやるよ」

 達夫は果物の入ったカゴの包装を取ると持ち歩いていたゴミ袋に入れ、鞄から果物ナイフを取り出すと、リンゴを手に取り、リンゴを剥き始めた。綺麗にリンゴの皮だけを剥くと、勇気にそれを渡した。勇気はそれを手に取り、かじって言った。

「うん。みずみずしくて甘くておいしい!ありがとうね、お兄ちゃん!お見舞いをくれたおばさんにもお礼したいね!」

 達夫は微笑んで言った。

「そうだな」

 勇気は笑顔で言った。

「お兄ちゃんもリンゴ食べる?」

 達夫は笑んで言った。

「ああ、もらうよ」

 達夫は勇気からリンゴを受け取り、ひとかじりして、また勇気に渡して口をハンカチで拭いながら言った。

「本当だ。甘くて美味いな」

 勇気は笑って言った。

「でしょー?えへへー」

 勇気は言った。

「お父さんにも食べさせたいなあー」

 達夫は勇気から体を背けて眉根を寄せて言った。

「あんなクズの話はやめろ」

 勇気は困ったような顔で言った。

「クズだなんて言うのやめようよ。お父さんだって働いてるんだし」

 達夫は憎しみに顔を歪めて言った。

「実の息子が心臓病で入院してるってのに金をまるで落とさず息子に金を払わせていて、その癖パチンコとタバコと酒はやっていて借金だらけなクズをクズと呼んで何が悪いんだよ!あんな奴親じゃねえよ!」

 勇気は寂しそうな顔で言った。

「お父さんが借金だらけなのにパチンコやめなかったから、お母さん出て行っちゃったのかな…」

 達夫は言った。

「さあな。でもだからって子供二人置き去りにする神経がわからねえよ。あれだって親じゃねえ。あんな連中のことは忘れろ」

 勇気は悲しげな顔で言った。

「そんな言い方ないよ…」

 達夫は苦しそうに胸を押さえて、無理に笑って言った。

「済まん…言い過ぎたな。勇気…お前は何も悪くないんだ。俺が悪かったよ」

 勇気は寂しそうな顔で言った。

「お兄ちゃん…」

 達夫は鞄にナイフなどをしまい、言った。

「悪かったな。嫌な気分にさせちまって…もう行くよ。またな、勇気」

 勇気は立ち上がりかけて言った。

「お兄ちゃん!待って!」

 達夫は共同病室のドアを閉めて、苦々しい顔ですぐ手前の壁に両手をついて、崩れ落ちた。するとそこに立っていた看護婦が達夫の近くへと来て言った。

「河野さんのお兄さんですね?」

 達夫はゆっくりと立ち上がり、看護婦の方を向いて笑顔を作り言った。

「はい、弟がお世話になっています」

 看護婦は冷たい表情を変えずに言った。

「弟さんのことで先生が呼んでいます。診察室まで来てくれますか」

 達夫はすぐに暗い顔になり、言った。

「はい…」

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