第21話

 夜になり、創一と繭羽は自宅のアパートへと戻ってきていた。


 パンタレイから帰還後、教師に見つからないように校舎の内外を隈なく調べ回ってみたものの、結果的には魔術的な痕跡を発見することは出来なかった。無論、最初からそんな物は存在していなかったことも考えられるが、リリアの発言から察するに、彼女が学校を利用して何か計画していることは間違いない。


 創一と繭羽は共に夕食を済ませると、今後のリリアの動向や対処法について話し合っていた。


「とにかく、リリアが学校内に現れていた以上、今後は日中の学校内でも気を引き締めて警戒する必要があるわ」


「そうだね……。それにしても、なんで学校なんかに現れたんだろう。場の下見とは言っていたけれど、何か都合が良いのかな」


「どうでしょう……。ただ、場の下見ということは、恐らく何かしらの儀式場を築こうとしているのではないかしら。今日は特に魔術的な痕跡は見られなかったけれど……。今後、仕掛けを施していくつもりかもしれないわ」


「儀式場……か。やっぱり、魔術にも、こう……神殿みたいなものを築いた上で、発動させるものもあるのか?」


「ええ、勿論。大掛かりな魔術を発動させる際には、場をそれに適した状態に整えることによって、魔術発動の補助機構として扱うものも多くあるわ。有名なところでは、天使を降ろしたり悪魔を召喚したりして、その霊能を利用したりする召喚魔術ね。他には、巫女が神懸りする際にも、神を招く為に神殿を築いたりもするわ」


「そうか……。だんだんと話が大きくなってきたな」


 リリアが何を為そうとしているのか分からないが、もし学校を儀式場にしようと考えているのであれば、何か大きな魔術を発動させようとしているに違いないだろう。果たして、その時にどれほどの被害が出るのか。それが非常に気がかりなところだ。


「儀式場を築こうとしているか……もしくは学校と言う特殊な環境に目を付けているのかもしれないわ」


「どういう意味?」


「一カ所の閉鎖的な場に、何百人もの人間が生活しているからよ。ディヴォウラー同様、幻魔にとっても、人間は力を得る為の捕食対象よ。時間と共にどうしても劣化してしまう自身の肉体を再構成する為でもあるけれど、何より魂を食らって霊的な力を補給する為でもあるわ。幻魔が魔術を行使する際、私のような魔術師同様、破魂術によって異界の法則を引き出さなければならないわ。だから、より強大な魔術を発動するには、それだけ多くの魂を調達する必要がある」


 創一は背筋にひやりとした冷たいものを感じた。もし、リリアが学校で何か大きな魔術を為そうとすれば、それに見合うだけの学生が襲われ、捕食されることになる。そうすれば、当然ながら、創一のクラスメイト――心陽たちにも被害が及ぶことは十分に考えられる。


「……絶対にそんなことはさせない」


 創一は自分の両手を見詰めた。


 パンタレイにおけるリリアとの戦闘を思い出す限り、この両手には、神狩りと同じ特性――触れるだけでディヴォウラーや幻魔の体を消し飛ばす不思議な力が秘められている。いつの間にそのような異能が宿っていたのか疑問であるが、それはさして重要なことではない。自分の力によって、守りたい者を守れること。その事実が創一の心を奮わせた。


「創一、その手のことなのだけれど……神狩りの特性を帯びているのは、両手だけなのかしら。腕や肩にも、似たような力は帯びていなかった?」


「どうだろう……。ゾンビに押さえつけられていた時は、特に触れていたゾンビの手が消し飛ぶようなことは無かった。まあ、肌に直接触れていなかったからって可能性も考えられるけれど……。たぶん、両手だけだと思う」


「そう……。本当になんなのかしら、その特性は。寵愛者という訳でもないようだし……そんな特殊な力を自然に身に付けた人なんて、未だかつて見たことも聞いたこともないわ」


「僕の特性は神狩りに似ているんだろう? その幻魔と何か関係があったりは……しないかな」


「神狩り……ね」


 繭羽の声音が急に陰を帯び、表情が険しくなる。前にも同じことを感じたが、どうやら繭羽は神狩りに相当の嫌悪や憎しみを抱いているようである。それだけ、魔術師にとっても神狩りの存在は脅威なのかもしれない。


「……古くから受け継がれる信仰として、凡庸な人間が異能を獲得する方法が存在するわ」


「異能を獲得? どんな方法なんだ?」


「端的に言えば、その者の肉を食らうのよ」


  創一は、全身に冷水を掛けられたような気分に陥った。


「鬼を食らえば、その者もまた鬼となる。古くから、異能を持つ者を食らえば、その異能を獲得できるという民間信仰は、どこにでもあるわ。人魚の肉を食らって不死性を獲得した八尾比丘尼のように」


「まさか……」


 繭羽は首を横に振った。


「可能性の話よ。それに、そんなことはありえないわ。神狩りは魔術師や幻魔が軍を編成したところで討滅することの出来ない化け物よ。近接戦闘の能力の高さは尋常ではない。創一が一人でどうこう出来るような相手ではないわ」


「……そうだよね。そんな幻魔を僕がどうこう出来る訳がないよな」


 創一もそのことは重々理解していたが、自分の過去の記憶は失われているので、も

しや以前に何かあったのではないかと思ってしまった。


「……ああ、そうだ。今更だけれど……。創一、今日は申し訳なかったわ。私があなたの特性を調べようと言ってパンタレイに入ったばっかりに、危うい目に遭わせてしまって」


「いや、別に謝るようなことじゃないよ。僕自身も危険な場所だと教えてもらった上で同意したんだから。それに、僕はパンタレイへ行ってみて良かったと思う。あんな幻想的な景色も見られたし、まるで冒険物語の主人公になったみたいで、凄く胸が躍ったからさ」


 創一は両手に視線を落とし、それを何度か開閉する。


「実際にディヴォウラーやリリアと闘ってみたから、僕は自分に秘められた不思議な力のことを実感することが出来た。また一つ……自分が誰でどんな役割を持っているのか、分かったような気がするんだ」


 この神狩りに似た特性を身に付けていることに、いったいどんな意味があるのかは分からない。しかし、それがどんなものであれ、自分とは何かを探し求める上で、それが重要な手掛かりになるに違いないだろう。


「……繭羽、一つ聞いておきたいことがあるんだ」


「何かしら?」


「もし、無事にリリアを倒すことが出来たとして、ひとまず街の安全を取り戻すことが出来た時……繭羽はどうするんだ? また、ここに来る前のように、新たな幻魔を求めて、放浪の旅に出てしまうのか?」


「それは……」


 その質問は繭羽にとって非常に答えづらいものであったのか、彼女は眉根に皺を寄せて、しばらく黙り込んでしまった。


「……すぐには旅立たないと思う。学校編入に関する後始末をつけておく必要があるから。それでも……ほんの数日で始末を終えることは出来るだろうから、その時には、この街に留まる理由は……無くなるわ」


 繭羽は視線を下に落としたまま呟いた。


「……そっか」


 創一はソファーの背もたれに体を預けて、何気無く天井を見上げた。


 室内に重苦しい静寂が満ちる。


 その静寂を創一が先に破る。


「……もしさ、繭羽」


 繭羽の顔が上がる。


「これは僕の我が儘なんだけれど……。もし、旅支度が終わっても、黙って僕の前からいなくならないで欲しいんだ。心陽たちには無理だろうけれど、せめて、僕には一声掛けて欲しい。短い間だったけど、繭羽には世話になったんだ。送別会くらい……それが駄目でも、最後に別れの言葉くらい言わせて欲しい」


 繭羽は逡巡を見せた後、静かに頷いた。


「……分かった。約束するわ。創一にだけは、ここから旅立つ前に、別れの挨拶を必ずしていくわ」


「ありがとう。もしさ、いつかまた、この街の近くを訪れることがあったらさ、遊びに来てよ。その時は歓迎するから」


「……そうね。もし、そんな機会があれば、またこの街へ訪れてみようかしら。短い間だったけれど……この街には、妙に愛着めいたものが出来てしまったから」


 繭羽は何かを懐かしむかのように視線を宙に彷徨わせると、自嘲に似た小さな笑みを浮かべる。


「ふふっ……やっぱり駄目ね」


「何が?」


 創一が尋ねると、繭羽は困ったような笑顔を浮かべた。


「こうならないように、行く先の人々に深く関わらないようにしていたのに……私もまだまだ未熟だわ。精進しなきゃ」


 そう言って独り笑う繭羽の表情は、哀切めいたもの匂わせながらも、何か憑き物が落ちたような清々しいものであった。

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