第14話

「あの鳴き声――繭羽が追いかけたキマイラの雄叫びか?」


 陽太を路地まで運び終えた創一の耳に、獣の雄叫びのような轟きが聞こえて来た。

 

 この声の発せられた場所で、繭羽は懸命に闘っている筈だ。


(さて……これからどうしようか)


 取り敢えず、心陽たちを路地まで引きずる作業は終わった。その流れのまま、今度はセーヌ結界の外まで運び出すというのも一つの選択肢だ。


 しかし、心陽たちを路地まで運び終え、ひとまずの安全をもたらすことが出来た時点で、創一の関心は別のものへ移っていた。


(繭羽……無事なんだろうか)


 繭羽の実力の程は把握していないけれど、あのキマイラは、かなり強敵だと感じた。巨体もさることながら、様々な獣の特徴を持っているので、それだけ攻撃が多彩で身体能力が高いと思える。それに比べれば、リリアのような人型の幻魔は、凶暴性や身体能力も低そうなので、幾分か闘いやすい筈だ。


 繭羽は苦戦を強いられているのだろうか。それなら、何か自分に出来ることはないだろうか。たとえば、どうにかしてキマイラの注意を引きつけて、その隙に繭羽が致命傷を負わせるような囮役なら、非力な自分でも果たせる筈だ。


 それがどれだけ危険な行為であるかは承知している。けれど、自分が誰かの役に立ち、助けになれるなら――それを成し遂げたい。


 創一の心の中に強烈な感情が湧き起こる。その感情は、去年の夏にとある事故を経験してから、創一の心の中心を占めるようになった、一つの脅迫観念だ。


 創一は路地から出ると、雄叫びの聞こえた方へ走った。耳を澄ませば、遠くの上方から、何か重い物が落ちる地響きのような音が断続的に聞こえて来る。恐らく、そこで繭羽とキマイラが闘っているのだろう。


 創一は意を決すると、その音が鳴る方へ向けて駆けだした。


「――やあ、そんなに急いで、君はどこへ行こうとしているのかな?」


 不意に、横合いから声を掛けられた。


 創一は声の掛かって来た方へ振り向く。


 そこには、街路樹に凭れ掛かる一人の青年の姿があった。ジャボの付いた白いシャツの上に青いジャケットを羽織り、頭にはシルクハットを被っている。額に掛かる髪の毛は、天然のものとは思えない青味を帯びた銀灰色をしている。顔立ちは青年期特有の幼さを残しつつも、妙に大人びた印象を受ける。青年の右の目元には、羽根飾りの付いた洒落た仮面が嵌(はま)っている。


 奇妙な外見の様子とセーヌ結界内で活動出来ていることから、創一はその青年が一般人でないことを容易に察した。


「こうして形式上では初対面となる出会いは、これで何回目だったかな? 久しぶりと言うべきか、初めましてと言うべきか。毎度のことながら、実に悩むところではある訳だけれど、君の立場を慮(おもんぱか)るならば、やはり初めましてと言うべきだろう」


 青年は訳の分からないことを言うと、くつくつと独り可笑しそうに笑い出す。


「……あんた、何を言っているんだ? あんたも幻魔なのか?」


 創一が尋ねると、青年は芝居掛かった動作で嬉しそうに述べる。


「前回と同じようなことを尋ねられたのならば、前回と同じように答えるのも筋というものだろう。君への答えは、こうだ。近かりしも遠からず。幻魔という表現は、私の本質を突いている。しかし、別の観点から見れば、神と表現しても差支えない。いや、神が世の理に縛られると言うのならば、神を超越する道化者と表現しても、それは真理だ。私は気ままな旅人だ。時を渡り、世界を渡り、次元すらも渡る。あらゆる場所に遍在する代わりに、あらゆる場所に局在する。故に、私は自由なる旅人だ」


 創一は話にならないと思った。


 ある意味において、この青年は自分の問いに答えているように感じられる。しかし、迂曲な言い回しが多すぎて、回答をはぐらかされているようにも感じられた。


「……結局、あんたは幻魔なのか?」


「そう考えても差支えない。しかし、我ながら、自身を幻魔と称するには、少しばかり異質であるとも感じている。故に、幻魔でもあるし、幻魔ではない……そう答えよう。それが的確な表現だ」


「……分かった。じゃあ、もっと根本的な部分から訊いておく。あんたは敵なのか?」


「どちらでもない。私に立場というものは存在しない。だからと言って、中立という訳でもない。時には創造し、時には破壊する。時には理に則り、時には理から外れる。時には正義を称揚し、時には悪を増長させる」


「つまり、問いに答えるつもりは……ないと受け取ればいいのか?」


「私の答えに対する君の苛立ちは理解出来る。しかし、私は何かと問うこと自体が無意味なのだ。あらゆる可能性を示唆せざるを得ないのも詮方無いことなのだよ。概念の枠組みに嵌め込み、定義によって桎梏(しっこく)を付けようとするだけ徒労に終わる。それこそが私だ」


 創一は青年と会話を続けるだけ無駄と判断して、繭羽のもとへ向かおうと駆け出そうする。青年からは害意を感じられないので、放置しても問題ないだろう。


「待ちたまえ。君が白子(しらこ)の巫女のもとへ赴いたところで、何かに役立てる訳でもない。そもそも、神性を蔵する巫女と寄せ集めの獣では格が違う。負ける道理は無い。……故に、君には他になすべきことがある」


「それはどういう……」


 突如、創一は近くに莫大な違和の塊が出現したことを感じ取った。


 どこからともなく、狼の遠吠えのような高音の鳴き声がセーヌ結界内に轟き渡る。


「なっ!?」


「ほら、早速、君が漂わせる魅魔の気に誘われたようだ」


 謎の遠吠えから間を置かずして、近くのビルの屋上に何か大きな物影がよぎる。


 創一が上を見上げようとした直後、目の前に巨大な何かが降って来た。

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