5年生 学年遠足

遠足が嫌いである。

歩くという行為がではない。

勝手に目標を設定して、時間内に歩けという押しつけが嫌である。

登山と同じで、また降りるのに何のために登るのか?

という疑問に答えてくれた人は未だにいない。

そんなわけで、一計を案じたのだ。


学年遠足 目的地 水源地

期日など、細かなルールは設定されているのに、目的が不明であった。

私は先生に、ホームルームで聞いてみたのだが、相手にされずに怒られた。

「行って、戻ることが目的だ」

まったく意味が解らない。

なにを試されているのであろうか?

私に限らず誰にでも、すぐ手を挙げる教師であった。

当然、この日も幾度か殴られている。

もちろん、この時も殴られた。


遠足当日、私は、例の廊下フレンズと、列を外れて合流をした。

クラスごとに2列になって、目的地を目指す。

私語厳禁という謎のルールが課せられているため、無言である。

笑ったりすると、叩かれるのである。

この殴られるという行為は、当時、当たり前の光景であった。

ゆえに、反抗心が芽生えるのである。

暴力が暴力を生み、さらなる暴力で押さえつける

いびつ三重奏ワルツである。

この謎の行進は、何を学習させるのだろう。

未だに疑問である。


私たちは、学校から電話でタクシーを呼んでいた。

時間を指定して、近くのスーパーの前に待機させていた。

スーパーに差し掛かると、タクシーに乗り込む。

その様子を後続の同級生が、先生に報告、発信前に先生が走ってきた。

結果、タクシーには帰ってもらったのだが。

その後、学校に戻るまで、先生の監視のもと歩かされるのである。

私語禁止なんだから、従うなら黙ってればいい。

道中、殴られるは、怒られるは、散々である。

自分で言ったのだ。

「行って、戻ることが目的だ」

徒歩だろうが、車だろうがプリントには書いてない。

屁理屈である。

力で勝てないから、理屈で勝ちたかったのである。

だから、満足でもあった。

一泡吹かせたという満足である。

帰りは、笑って帰った。

みんな顔は叩かれて、腫れていたが楽しかった。


思うに、生徒というものは、先生の想像を超えてはいけないのだろうか?


大人になって、姪(妹の子)の宿題を見ていると、明らかに問題が間違っていた。

私は姪に、先生に指摘しなさいと言うと。

妹に怒られたのである。

「先生に逆らうようなことを言うのは、禁止なの、先生が間違っているなんて、絶対言っちゃいけないの」

なぜだろうか?

私は、未だに解らない。

先生は、私のナニの先生だったのでしょうか?

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