第17話

予期していなかった言葉に心臓が跳ね上がった。

まさか彼は僕の嘘に気づいているのだろうか……。

顔からサッと血の気が引く。


しかし、そうではなかった。


「減りが少ないし、前のページはいつも俺たちが前回話したことで終わっている。だから、きっと普段用のものと俺と会う時用に分けているんだろうなと思って」


僕の手の中におさまっているメモ帳を愛おしげに見つめる彼の言葉に、嘘がばれているのではないことを知り、ほっと胸を撫で下ろした。

しかし、それと同時に総毛立つような不気味さを覚えた。

ページの減りなどそんな細かい所まで見ているとは思いもしていなかった。

今回は都合のいい勘違いをしてくれたが、その鋭い観察眼がいつ僕の嘘をとらえるか分からない。

僕は甘い雰囲気に緩んでいた気をきゅっと引き締めた。


『よく分かりましたね』

「明日香のことだからな」


当然のことである風に彼は答えて、さらに続けた。


「つまり、そのノートには明日香が俺に向けた言葉だけが詰まっているんだ。そんなノートを捨てるなんてもったいない。明日香には不要なものかもしれないが、俺には大金を積んだって欲しいくらいのものだ」


冗談めかした口調だったが、しかし言葉から滲み出る歪な熱を隠すことはできていなかった。

もし僕がこの汚い字と嘘で埋め尽くされメモ帳と引き換えに、どれほど高い金額を提示したとしても、彼は躊躇うことなくその大金を支払うだろうと思わせるほどの執着を感じさせた。

彼の言う通り、僕にとって使用済みのメモ帳など不要なものだ。

しかし彼にこれをあげてしまうのは、抵抗があった。

このメモ帳を渡すことは、彼が垣間見せた執着を受け入れることになってしまうのではないかという警告にも似た不安が胸中を過った。

けれどさっき捨てると言ってしまったため、いらない物をあげない理由も他に思いつかず、僕は結局そのメモ帳を渡した。


「ありがとう」


黒羽さんは頬を綻ばせ、まるで壊れ物を扱うかのような丁寧さでそれを受け取った。

そして静かにページを開いた。

紙の上の文字を辿るその視線は、メモ帳を受け取った時と同じくらいの丁寧さでゆっくりとしかし確実に、僕の文字を拾い上げているように見えた。

彼の目は、思い出の詰まったアルバムを見るような懐古に浸る穏やかさを湛えながら、一方で一文字たりとも取り零しを許さないとする厳しさもあった。

声を掛けるのも憚られるほどの真剣さで、僕の文字を目へ、いや血肉、あるいは脳の奥底へ取り込もうとするその行為は、一種の神聖な儀式にすら見えた。

次第に、文字を通して自分を見られているような錯覚さえ覚え、膝の上で握った拳にじとりと汗が湿った。

お皿の上では、とうに冷えてしまい、少しずつ少しずつ水分を失いしなびていくパスタの、声にならない喘ぎが響いていた。


彼がメモ帳を閉じた時、僕らが食べ始めた頃に入ってきた隣の席の客は、とうに姿を消していた。

あの儀式にどのくらいの時間を要したのかは分からないが、しかし重要なのは時間ではなく、ともかくあの息苦しい時間が終わったということだった。

メモ帳が閉じられたと同時に、全身から緊張が抜けた。

手の平に食い込むほどに強く握っていた拳も緩み、湿った空気が拳の外に漏れ出る。

彼は閉じたメモ帳の縁を、指先でなぞった。

その動きは、いつか僕の耳の縁をなぞったあの動きと似ていた。

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