マトモじゃない金

 由名時探偵社は原則、年中無休なので、仕事があれば日曜日もオフィスに出社する。調査中の案件を抱えたまま日曜日にスウェット姿でテレビを見ているようなら、その探偵事務所は大赤字だろう。

 いつもよりゆっくり目に自宅を出て、ガラガラの道を運転し、オフィスに着いてコーヒーメーカーに粉を入れ始めた途端、電話の着信音が鳴りだした。後藤亜実の父親からだった。

「娘がまだ帰ってない」憔悴しきった声だった。

「娘さんは二、三日家を空けるといった。まだ二日経ってないですよ」

「今回は事情が違うといったはずだ」

「後藤さん、それでしたら本当のことを話してください。僕は僕なりに調査を進めていますが、知っている情報を教えてもらえないなら、これより先へ進むのは難しい」

「秘密は守ってくれるんだろうな」

「探偵には守秘義務があります。それに加えて僕には自分の信条があります。仕事中、時々エロティックな妄想はしますが、自分の選んだ職業に忠実でありたい、という信条です。ただし今回については、僕には最初の依頼人がいます。僕がその依頼人に報告すべきだと思ったことについては、伝えるつもりでいます」

 後藤はしばらく沈黙したあと「いいだろう……娘は一千万円の現金を持ったまま姿を消したんだ」

「高校生に一千万円は確かにマトモじゃない。しかし、あなた自身のお金だったとしたら、家族の間で解決するという道もあるんじゃないですか」

「私の金じゃない。君の好きな表現を借りれば、マトモじゃない金だ」

「危険ドラッグですね」私はいった。

「知っていたんだな……私は、行政がいうところの危険ドラッグを信頼できるルートに流して生計を立てている。まあここ二、三年のことだ。その前はまた別のマトモじゃないことをしてこの家を建てた」受話器の向こうで一息ついて「前に話したかもしれないが、私は組織や体制、といったものが大嫌いで、いつも一人で仕事をしてきた。今も組織には属さず、いわばフリーエージェントみたいな契約で組織とつながっている。その組織は、危険ドラッグをアジア各国から輸入して製品化し、日本で販売している。その一部を私が個人で担っているというわけだ。そしてあの一千万円は、その売上金だった」

「それをなぜ娘さんが?」

「私へのレジスタンスだよ。娘は時々無断で戻ってきて自室から冬物の衣料を持ち帰ったりしている。私はこの家の一室を仕事場にしているが、そこに保管しておいた金が、翌朝見たらなくなっていた。娘が夜中にやってきて、持ち出したんだ。私を困らせるためにね」

「部屋に鍵はかけておかなかったんですか」

「普段は私ひとりだからな。気が緩んでいたかもしれない」

「そしてあなたは、組織から支払いを催促されている」

「私のような立場だと、組織の掟に縛られないかわり、金額と期日は絶対だ。相手は中国系なんだ。娘が持っていると知ったら、娘から奪おうとするかもしれない」

「実はその一千万円はある人物のところにあります。おそらく組織とは関係のない人物です」

 予想外の言葉に後藤は声を荒げ「なぜ君が金のありかを知っているんだ。金はどこにある」

「それは今はいえません。先ほどあなたが心配されたように、依頼人の守秘義務がある。ただ、いえることは、組織は娘さんがお金を持ち出したことを知らないだろうということです。もし知っていたら、娘さんから別の人物に金が動くことはなかったでしょう。ですから娘さんは、いつものように気まぐれで放浪しているだけかもしれません」

「なるほど、少し安心した。で、その人物から金を返してもらうことは可能なのかな」

「娘さんは未成年だ。だからあなたは法定代理人として、許可していない金銭授受を取り消すことができるはずです。ただし、相手が法の手続きを経ずに潔く応じてくれるかどうかはわからない。時間はかなりかかると思った方がいいでしょう」

 後藤は小さくため息をついて「自分の力で切り抜けなければならないわけだ」と独り言のようにつぶやいた。

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