ハーブショップ

 千歳烏山駅の近くに停めておいた車に戻り、甲州街道から井の頭通りに入って渋谷に出た。東急デパートの裏近くのパーキングに車を入れ、適当な喫茶店に入ってサンドウィッチとコーヒーを頼んだ。土曜日の昼時で、遠くから渋谷まで遊びに来たらしいカップルが何組もランチを注文していたが、ウェイターの機嫌が悪くなるほど混雑しているわけではなかった。

 昼食をとった後、私は東急デパートの横を抜けて、『ランブルオン』の近くまで歩いた。道路の反対側でしばらく様子を伺っていると、しばらくして赤帽君がエレベーターから降りてきた。信号機が大好きなのか、今日は赤い帽子に青いトレーナーという格好だった。ビルの前で少し思案した後、赤帽君は通りまで出て、地下にあるラーメン屋の階段を下って行った。本日のランチメニューのことで頭がいっぱいの赤帽君は、昨日と違うカジュアルな服装をしている私には気づかないようだった。

 赤帽君が降りた後、一階で停止していたエレベーターにそのまま乗り込み、四階のボタンを押す。ビルはかなり古く、エレベーターは各階を通過するたびにゴゴッ、ゴゴッと音を立てて上下に揺れた。扉が開くと短い廊下があり、横にすぐ非常階段、奥に小さな流しとトイレがあり、正面がショップの入口になっていた。店の中から、昔のレゲエ・ミュージックが聴こえてくる。入口の扉は鉄製で、ビルの外側の窓と同じようにサイケなポスターがベタベタ貼られていた。扉の真ん中あたりにOPENの札が吸盤で吊るされていた。

 ドアノブを回して扉を引き、中に入ると、右手にレジカウンターがあり、若い長髪の男がこちらをギロリと睨んだ。やせ形で、肩まであるロングヘアは裾の方にウェーブがかかっていて、片目が完全に隠れている。フードのついたカーキ色のパーカーを羽織っていて、ゴツいシルバーのリングをした節の目立つ長い指で、何かの台帳をつけていた。

 男はこちらを睨んだまま「いらっしゃいませ」と低い声でいった。

「効くヤツがあるって聞いてきたんだけど」

 私はそういいながら、店の中を見回す。狭いフロアの半分ほどはパーティションで仕切られ、その向こうがどうなっているかは、こちら側からはわからない。ショップ部分には、真ん中に厚手の木製のテーブルがひとつ置かれているだけで、その上にプラスティックの陳列ケースがあり、隙間なく商品が並べられていた。商品は様々なハーブだった。ハーブは十センチメートル四方ぐらいのアルミ製の薄い袋に入っていて、印刷されたラベルが貼られていた。ラベルは、店内のポスターと同じように極彩色のサイケなデザインのものが多く、中には明らかに性的な興奮を連想させるパッケージもあった。

「ウチでは吸うヤツは売ってないよ。帰んな」

「お香って書いてあるけど、吸うと効くんだろ」

 男は立ち上がってテーブルに手をドン、と突くと「ふざけんな、とっとと帰れコラ。ないっていってんだろ」声を荒げ、顔にかかった髪の毛を手で払いのけると、両方の眼で私を見据えた。カン違いした客とはいえ、客に対する態度としては、ほめられたものではない。この店は、商売をしようという気が全くないようだった。

「後藤さんにここで買えるって聞いたんだけどな」

 それを聞くと、男は逆に冷静になり、フッと脱力したように椅子に腰を下ろした。

「そんなはずはない。どうぞお引き取りください」私の眼を見ずに「聞こえませんか、お引き取りください」

「わかった、そうするよ」

 私は男に向かって軽く手をあげ、後ろ手にドアを開くと、そのまま店の外に出た。

 十中八九この店は、裏で危険ドラッグを売りさばいている。危険ドラッグは、例えばハーブ類に混ぜ込んで吸引することで、大麻や覚せい剤のような効果が得られる合成薬物を指す。規制薬物の化学構造を一部変えて法の網をくぐりぬけているため、脱法ドラッグ、合法ハーブなどとも呼ばれている。しかし最近では行政の取り締まりが厳しくなったため、普通にショップで売るのは難しい。この店は警察対策のためのダミーで、売っているハーブも害のないただの乾燥植物だろう。同じパッケージで合成薬物を混ぜ込んだホンモノの商品は、この店ではなく、別の経路で秘密裏に流通している。さっき店番の男は、後藤の名前を出すと「そんなはずはない」といった。後藤がこの店の商品と無関係なら、そういう返答にはならない。後藤は危険ドラッグの販売にどこかで絡んでいる。そして、後藤の娘が田柄の家に投げ込んだ一千万円は、その取り引きに関係している危険なカネだ。


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