テンゴク

 一面真っ白の空間で、僕はひたすら前に歩いていた。

 コートもスーツもぐしょぐしょで、とても冷たい。


 携帯電話が圏外になってもうどれくらい経ったろうか、そろそろ目的地に到着するはずなのだが、いっこうに景色が晴れず、吹雪に見舞われているせいで見当もつかない。いったいなぜこんな雪山に足を踏み入れたのか。仕事だからに決まっている。課長に言われれば雪山でも踏み込むのが平社員の仕事だ。

 スラックスが水を吸って重い。これでビジネスもなにもあったものじゃないのだろうが、給料がもらえなくなるよりはマシだ。お金さえ手に入れば、体裁はおろか本質だって、どうでもいいことだ。

 僕はただただ前を歩く。だんだんと身体が熱くなってきた。雪山の環境に対応してきたのかもしれない。思わず服を脱ぎそうになるが、コートを脱いでしまったら雪をよけることができずに先に進めない。熱くて仕方がないが、すべて着たまま、ただ前に進む。

 だんだんと景色が白に滲んでいく。

 ここは、どこだ。

 僕は。

 ぼくは。

 なにを。



 扉を開けると、そこには妻の顔があった。長時間にわたる家事労働で疲れきった妻は、それでも僕の姿を見るとほほえんで、「おかえり」と言ってくれる。そのボサボサに傷んでしまった髪や、硬くなってしまった指先は、妻が若い頃、まだただの娘だった頃にはなかった独特の色気がある。僕と自分自身のために若さと精気を削っていくその献身をセクシィと言わずなんと表現するのだろうか。

「今日も一日、ありがとう」

 僕の言葉はいつものように届かない。妻はもう台所で冷えきってしまった食事を暖めてくれている。できれば僕も暖めて欲しいところだけれど、そんな贅沢は許されない。僕は仕方なくネクタイ、上着、ベルト、スラックスの順に服を脱いでいく。まるで囚人にまとわりつく鎖のように、それらはどさりと生々しく重い音を立てて落ちた。

 不意に彼女を抱きしめたくなった。鎖から解き放たれたからかもしれない。血が煮えたぎり、息はあがった。喉はひりつくように痛い。


 痛い。


 目を覚ました。

 ここは、どこだ。

 宮殿の一室のような、豪奢な部屋に寝かされていた。もちろんベッドは天蓋もカーテンもある。この内装は、たしかロココ様式だか、ゴシックだか、そんな感じだ。あの中世フランスのような、それでいて古代ギリシャに迷い込んだような、そんな風景。

 ひんやりとした質感の石であしらわれた豪華絢爛な内装と、繊細な肌触りのベッドがなんだか非現実的で可笑しい。どんな客先でも、ここまで丁重にもてなされたことはない。僕はこらえきれずんふふと忍び笑いを漏らした。

「目が覚めたのね?」

 ふと、やや遠くで少女の声がする。バベルの塔の頂上にある鐘の音を思わせる澄んだ響きのなかに、どことなく幼さを連想させるような甘い匂いのする声だった。

 足音もなく、少女は僕の腕をとった。急に現れたので、心臓がばご、と変な音をたてた。

 彼女は陶磁器で出来た人形のようだった。小さな頭にはやわらかい一重まぶたと小さな鼻、薄い唇の右端とおだやかな表情を形作る目元にそれぞれ、清楚な顔にそぐわない煽情的な黒子が上品に収まっている。健やかな黒髪はしなやかで柔らかく、くるくると渦を巻いて顔の両側を装飾している。

「雪の中で倒れていたから、心配だったの」

 少女の子供じみたやわらかい肉質の指が、僕の腕をしっかりととらえる。少女は全身を純白の、レースのフリルが大仰に装飾された豊満なドレスを着ていた。

 ロリイタ。

 ふと脳裏にこの言葉がよぎった。甘いキャンディのような、ふわふわと妖精らしいそのいでたち。すべて白で構成されているのに、それは光と影を巧みに操り、妙な艶めかしさを秘めていた。

「起きて。あなたに見せたいものがあるの」

 少女は僕の手を引いた。僕は促されるままに起き上がり、彼女に続く。

 ここで、僕は自分がスーツ姿ではなく病人着のような、真っ白なガウンを着ていたことに気がついた。

 少女自身は、服装とは裏腹にかなり成長していた。二十歳と言われてもおかしくはないが、しかし肌の質感は柔らかく幼かった。大人びた印象を受けたのは、彼女の表情にときたま差す陰のような、子どもにはない憂いの表情が混じっていたからかもしれない。

 妖精によって肉体を与えられた人形。

 なんとなく、そういった印象を持つことを禁じ得なかった。清楚にして華美、不安定にして精緻。それは、人間というよりも人形にあてはまる特徴だ。人間の欲望が体現されきった下品さを持ちながら、完成された芸術のような崇高さをも包含する。奥へと一直線に続いていくだけの空虚な廊下で、僕は操り人形のピノッキオのように可笑しく、悲壮な妄想を繰り返した。

「夢でも、見ているみたいでしょう?」

 少女は歌うようにそう言った。

「ここは、夢ではないのよ」

 彼女は僕の手を引いて扉の前で止まった。扉は分厚そうで、金銀とわずかな宝石で上品にあしらわれていた。この先には女王が眠っているのだろうと予見させるにふさわしい代物だった。

「さあ、扉を開いて」

 僕は促されるままに、扉に手をかけ、押した。扉は思った以上に軽やかに、音もなく開いた。


 そこは玉座の間だった。

 扉の先には赤いビロードの絨毯が続いている。その先にはおとぎ話のような輝かしい玉座があった。

 玉座に、ひとりの少女が座っている。奥には小さな窓があり、外が依然として吹雪に包まれていることがわかった。

 彼女は厳然たる漆黒のドレスを身に纏っていた。その装飾は実に質素だったが、それ故に彼女自身の持つ気品や威厳というものがより一層引き立てられている。

 僕は今一度、側にいる少女を見た。顔つきもからだつきも、玉座の少女と瓜二つで、なおかつ対極的な服装をしている。それは幻想的という表現すら烏滸がましい、微塵の隙も存在しない完全調和だった。

 白雪姫と雪女を僕は想像した。いや、雪女というよりは、鏡の女王かもしれない。どちらにしたって、僕の妄想ではあるのだけれど。

「待っていたわ」

 双子は、声を合わせて僕を歓迎した。

「ここは、いったい?」

 僕は彼女らに訊いた。無粋な問いであることはわかっているが、自分がどのような状況にあるのか、把握したかった。

 白の少女が僕を見上げた。上目遣いに一瞬意識が吸い込まれそうになる。

「……という答えじゃ、駄目かしら?」

 横から答えが聞こえたが、よく聞こえなかった。

 その方を見ると、黒の少女が僕の側まで来ていて、冷たい微笑みを浮かべた。

 双人の美少女に囲まれても、僕の中には喜びというよりはむしろ恐れの感情が浮かんでいた。

「怖がることは無いのよ」

 黒の少女が体を寄せてきて僕の肩に手をかけながら言った。ふと、意識が遠くなっていく……。






 一匹の蛙がいた。金色の鞠を持っている。

「この鞠をあげるから、私の夫になって」

 彼女は悲しげな微笑みでそう言った。

 仕方なく連れて帰ると、彼女は僕の服の中に入ってきた。ぺたぺたと、ぬるぬるした蛙の皮膚を感じるが、不思議と気持ち悪くはなかった。


 僕は頁をめくる。


 目の前に美しいお姫様がいる。胸の前に手を合わせて安らかに眠っているさまは、まるで死んでいるかのようだ。苦しみや迷いといった感情とは無縁の一重まぶたがぴたりと閉じて、長い睫までもが眠っていた。ただその表情は、ほんの少しだけ悲しみをおびた微笑みであった。

 僕は身体が次第に歪んでいくのを感じた。手や、足や、頭が次々と棘の鋭い茨に変わっていく。茨は部屋を覆うだけでなく、城全体をも覆い隠した。

 彼女の姿が遠ざかっていくのを、ただただ黙って見届けていた。


 僕は頁をめくる。


 気がついたら、ガラスの靴を履いた彼女を追いかけていた。舞踏会の誰よりも美しく、慎ましやかな気品を持つ彼女こそ、僕の妃にふさわしい。そう思った。

「待ってくれ」

 そう言っても彼女は逃げるのみ。

 ついに見失ったとき、夜半を告げる鐘が鳴った。

 僕は城の外を見る。悲しみをたたえた笑みを浮かべたまま、乞食のような姿の女が、門の傍らにたたずんでいる。傍には小さな南瓜が落ちていた。

 あまりにもみすぼらしすぎて、僕は声をかけなかった。

 かけていればよかったのに。


 僕は頁をめくる。

 


 海の底、亀に連れられてきた城の中の女主人と、僕は愛し合うようになった。彼女の髪はどんな海苔よりも黒く、その肌は人魚のそれよりも白く、まるで真珠のような輝きを持っていながら、海鼠のように柔らかい。その声は遠い国のセイレーンのような響きを持ち、それでいて海を統べる者としての気品を漂わせている。

 しかし、僕は陸の世界に置いてきてしまった子供たちが気になった。

「仕方がないですね」

 彼女はそう言いながら、漆黒の高級そうなつづらを差し出した。

「これで、陸に帰れるから」

 僕はそれを開けようとして、自分の手がひどく嗄れていることに気がついた。

「ごめんなさい」

 彼女は悲しげな微笑みを浮かべてそう言った。


 僕は頁をめくる。


 糸巻きを落として、女神に会いに行った。

 途中何かいろいろな物に話しかけられたが、僕は女神だけが見たかったから、全部無視した。

 ようやく彼女の家につく。彼女は姉の言ったとおり、長い黒髪を肩まで伸ばした魔女のようないでたちだった。その一重まぶたが、女神たる所以なのだろう。

 彼女はなぜか、影のある微笑みを僕に向けていた。

「そんな想いは、いらないの」

 そう言いおわらないうちに、僕はタールまみれになった。


 僕は頁をめくる。


「覗かないでと言ったでしょう」

 僕は凍り付くような寒さの中、畳の上の鶴に怒られていた。鶴の翼からは羽が抜け落ち、ぼろぼろになっている。 そう、彼女は畳の外では美しい女だった。肌は細雪のような白さと滑らかさを持っていて、髪は絹のようにしなやかで柔らかく、漆のような艶のある黒だった。一重まぶたから生まれる視線が、どこか和やかさをもたらしていて、まさに大和撫子というに他ならない風格だ。

 そんな女が突然僕の家にやってきて、機を織り始めたから不思議だとは思った。先日、鴨をとるのに作った罠にはまった鶴を救ったことと何か関係があるのかもしれないと薄々気づいてはいた。

 目の前の彼女があの時の鶴だとは、全然想像もつかなかった。

「なぜ、人間の姿になった?」

「鶴として恩を返すことはできませんから」

 鶴は女の姿に戻ってそう言った。

「それに、貴方は千年も生きられないでしょう……」

 そう言った彼女の顔は、とても切なく儚げで、僕は心臓をぎゅっと掴まれたような心持ちになった。


 僕は頁をめくる。


 雪がちらつくような、ひどく寒い夜のことだ。

 街をせわしなく行き交う中に、マッチを売る少女の声が聞こえた。彼女の声は甘く切ない。きっと、このマッチを売り切らないと家に入れてもらえないのだろう。

 思わず僕は彼女に声をかける。

 少女は僕を見上げた。悲しげな微笑みに閉ざされていた一重まぶたが、まるで求めていた助けがやってきたようにふわりと開かれた。折角の長い睫は凍りついていて、白い。

 願わくば、あのマッチが彼女の笑顔を照らしてくれるように。

 そんな祈りを込めて、僕は買ったマッチで煙草に火をつけた。


 僕は頁をめくる。

 すると、今までに読んだことのない童話を見つけた。


 男が雪の中、突如現れた城に助けを求める。

 城の中には双子の少女がいて、彼を優しく迎え入れた。

 ところは男は盗賊で、城の中に少女たちしかいないことを知ると、二人を殺して城の中の物を奪って逃げようとした。しかし、入るときは簡単な造りだったはずの城が、二人を殺した途端に突如として迷宮に代わり、死神や幽霊、鼠や鴉が盗賊を襲う。

 命からがら城から抜け出した盗賊だが、吹雪に囲まれてしまい身動きがとれなくなる。

 気がつくと、盗賊は城の中で寝かされていた。驚いていると双子が現れて、

「また最初からね」

 と言った。

 何度も何度も、盗賊は双子を殺して城を出ようとするが、城を出たところで、同じように城に引き戻される。

 結局気が狂うまで双子を殺した後、疲れはてた盗賊は自ら命を絶った。


 僕は頁をめくる。























 



















 目を覚ました。

 ここは、どこだ。

 宮殿の一室のような、豪奢な部屋に寝かされていた。もちろんベッドは天蓋もカーテンもある。この内装は、たしかロココ様式だか、ゴシックだか、そんな感じだ。あの中世……どこの様式だっけ。

 ひんやりとした質感の石であしらわれた豪華絢爛な内装と、繊細な肌触りのベッドがなんだか非現実的で可笑しい。さっき僕が寝ていた部屋だ。これではまるであの童話じゃないかと、僕はこらえきれずんふふと忍び笑いを漏らした。

「目が覚めたのね?」

 黒の少女が傍にいて、僕にそう言った。

「これは……」

「気にすることはないわ」

 黒の少女は妖しく微笑んだ。

「もうひとりは……」

「私よりあの子の方がいいのね」

 彼女は拗ねた様子で、扉の方を向いた。

 扉が開いて、白の少女が顔を出した。

「服しか、違わないのに」

 そう言いながら黒の少女は僕に近寄って頬にキスをした。力が少し強かったし、本当に妬いているのかもしれないと、僕は思った。

「なにを言ってるの。全部違うじゃない。同じなのは見た目だけよ」

 と、後ろから白の少女が言った。不服そうに口をとがらせている。

 僕から見れば、差は明らかにあった。それこそ、見た目はまるっきり同じだ。黒髪の長さや質感、顔の黒子の位置に至るまで、すべて。

 けれども、着ている服の色が彼女たちの性格というか、精神性に影響しているような、そんな気がする。黒の少女の方が大人びている。白の少女はほんの少しあどけない印象だ。

「いいえ。見た目が同じなら本性も同じ。人の行いは全て、身体に刻み込まれるのだから」

 黒の少女はそう言いながら僕の腕をとって起こした。

 僕は彼女の魅惑的な微笑みがなんとなく怖くなった。

 その途端、僕の中に倒れるまでの記憶が急に蘇ってきた。会社の上司や、本当にあるのかどうかわからない取引先、そして家で僕の帰りを待つ、妻。

 現実に帰らねば。


 そこで僕は思い出す。

 あの童話で、この城がなんと呼ばれていたのかを。


「なあ、僕はそろそろ帰らないといけないんだ」

「なぜ?」

 彼女たちは一斉に訊いた。ハーモニーではなく、ユニゾンだった。なぜか、そこには背筋の凍るような非人間的なものを感じた。有無を言わさず、僕をここに閉じこめる気だ。


 そう、この城は。

 この城そのものが。


「ここがテンゴクだから」

 僕がそう言ったとたん、彼女たちの目がぎらりと光ったような気がした。

「なぜ、それを」

「知っているの?」

 黒の少女が、白の少女が訝しげな目で僕に迫る。

 気がついたら、右側を黒の少女、左側を白の少女におさえられていた。

 待て。ここで彼女たちと対抗してはいけない。盗賊は彼女たちを殺して、結果城に閉じこめられてしまったのだ。そのストーリーを後追いしてはならない。僕には帰る場所があるのだ。

「まあ、いいわ」

 彼女たちは、お互いにナイフを取り出した。

「二人に分かれる必要が、なかったということだから」

 そして彼女たちは僕を挟むように相対すると、お互いの首にナイフを当て、一気に切り裂いた。

 目の前で起きようとしている凄惨な光景に、僕は思わず目をつぶった。暖かくて生臭い血が、僕にふりかかる。

 はずだったが、いっこうにその気配がない。

 目を開けた。

 先ほどの二人は消えており、そこにはひとりの少女がいた。黒い生地に、白いフリルが妙に映えるその服装と、二人とほとんど変わらない顔で、彼女が二人の大元の存在だと理解した。黒い髪は流れるようにうなじから肩をつたい、その一重まぶたと目元の黒子が清楚さと妖艶さを調節している。彼女には、あの二人を足して余りあるほどの存在感があった。それはもはや人間とはいえず、まさしく全身から神々しさを放っている。

「こんにちは」

「あなたが、テンゴクの主?」

「そうね」

 彼女は静かに、そう答えた。

「僕は家に帰りたいんだ。帰る場所がある。君たちには何もしない。だから帰らせてくれないか」

 この世界では、僕があの盗賊ではないということを知らせなくてはならない。盗賊はその報いに、あのような惨たらしい世界に閉じこめられたのだから。

「本当に帰りたいの?」

 彼女は静かな驚きをもってそう言った。

「現実には多くの苦しみがある。朝になれば貴方は行きたくもない会社に行き、顔も見たくない上司に媚びへつらい、家に帰れば満足に愛を返さないまま老けていく妻へ届かない想いを語り続ける。そんな責め苦を受けて、なおここから抜け出して現実に帰ろうというの?」

 彼女は本当に不思議そうであった。おそらく、テンゴクを出たことがないのだろうと、その時直感した。

「ここにいれば、毎日なにもしなくてもいいし、遊びは用意されているし、貴方も私も、歳を取ることがない。だからここはテンゴクと呼ばれているのよ」

 テンゴク。

 それは、ただ単に、テンゴクと呼ばれている場所であるだけだ。ユートピアやシャングリ・ラ、ヴァルハラなどという概念とは違う。現にこうして僕は、ここにいるのだから。

 けれどもきっとそれを彼女に説明してもわかってもらえないし、僕も言葉にできる自信はない。

 けれど、これだけは確実にいえることだ。

「確かにここはテンゴクだ。けれど、人間が住んでいい場所じゃない。僕は人間だ。だから、現実に帰らなくちゃならないし、現実で一生を過ごさなければならない」

 なにより僕は、歳を取ること、仕事をすること、妻を愛することに何の苦痛も感じてはいない。それは人間としての業であり、営みだから、なのだろう。人形であり神である彼女にはきっとわからないのだ。


 そうか、きっと盗賊もわからなかったのかもしれない。あるいは、自らを盗賊としての業に貶めたからこそ、盗賊としての営みを全うした結果、気が狂うまでこの地に閉じこめられていたのかもしれない。

「そう」

 彼女は悲しげに微笑んだ。その表情は、僕がよく知るものだった。

 夢の中に出てきた童話。

 それらにはすべて彼女が出てきていた。


 瞬間的に悟ってしまった。

 彼女の本当の姿を。

 その概念を。


「君の名は……」

 その言葉を投げかける前に僕は軽い衝撃を受け、目の前が真っ白になった。


 ばさっ、と音がして、僕はどこかに投げ出された。柔らかい地面が身体を受け止めた。

 慌てて身体を起こすと、吹雪の中に立派な城が建っていた。

 古くから建っているようで、石のひとつひとつに年季を感じる。そのたたずまいは、どこか悲しく儚げだ。

 まるで、あの少女のように。


 城は、ぎぎぎと軋んだ音を立てたかと思うと、まるで紙のようにぱたぱたと縮んでいき、ついにはぱたんと折り畳まれて消えてしまった。

 なぜか、あの少女にさようならを言われたような気がして、僕は小さく、

「さようなら」

 と、つぶやいた。


 吹雪は相変わらず激しく、冷たい。

 課長にどんな言い訳をするべきか。僕はそんなことを考えながら、帰りの方角を探した。

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Heavenly Hell ひざのうらはやお/新津意次 @hizanourahayao

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