第14話

「燃え盛れ、劫火!」

 クオンの声が闇夜に響き渡る。声はクオンの掲げた四元符の炎を揺らし、そして化け物の周囲に放たれた小さな火種たちを揺らす。揺らされた火種は、その色をほんのわずかに明るい色、オレンジ色へと変える。

「猛り狂え灼熱!」

 再び声が響く。再び四元符の炎は揺れ、その身を縦に長く燃え上がらせる。と同時に、周りの火種もそれに従うように高く立ち上った。


 今引き起こされているささやかな変化に、四つ角の化け物は全く気が付いていなかった。攻撃のようなそうでないような炎の投擲が止んだので、今まで散々ちょっかいをかけてきた目の前の邪魔な存在をひねりつぶすことだけを考えていた。

 一方、クオンは全神経を右手の先、光と炎を放つ四元符に注いでいた。クオン自身からしても起きているかどうか怪しいほどのささやかな現象だったが、それが確実に起きているのだと、クオンは信じていた。


 そして少年は三度叫ぶ。

「舞い上がり焼き尽くし、万物を灰燼かいじんに帰せ!——火の権化、《アグニス》!!」

 力強く放たれた言葉たちが空気を揺らし、最後の一言、四音節が宙に舞った瞬間、ゴウ、という空気を焼く音がクオンの右手から、化け物の周りから、一斉に鳴り響いた。


 オレンジ色に燃え上がる四元符と、それに呼応するように燃える地面。火の勢いは焚き火のそれを超え、炎は生い茂った草を、踏み砕かれた木を、そして化け物をも飲み込んだ。

「ギィアアアアアアアアアアアア!!」

 たちまち身を焼かれる化け物の悲鳴が響き渡り、巨体が苦しげに暴れだす。だが激しく燃える炎は消えるどころかさらにその勢いを増していく。

 クオンはその様子をただ見ているわけではない。左手で剣の柄を逆手に握り、シャキンと軽い音を鳴らして鞘から剣を引き抜き、炎の向こうへと目を凝らした。そして数秒も経たないうちに燃え続ける炎の海へと飛び込んでいった。


 化け物は身を炙る熱に耐えかね、方向も分からぬまま駆け出そうとした。だが、前足を浮かし、後ろ足を伸ばして勢いを付けようとした瞬間、突然炎の中から飛び出してきたクオンが目頭を斬り裂き、そのまま炎の向こうへと消えていった。

 全身を焼かれる痛みの中に突如飛び込んできた鋭い激痛に思わず呻き声をあげ、化け物は頭を振る。いかな化け物とはいえ目は急所だ。その痛みには怯むことしかできない。数秒後、痛みから立ち直った化け物はもう一度同じ方向へと走り出そうとしたが、また炎の向こうから現れたクオンが今度は鼻先を横一文字に斬り裂いて消えていった。

 焼かれる痛みと斬られる痛みに焦った化け物はやむなく方向を変えてまた走り出そうとするが、そのたびにクオンが現れ、目や鼻を狙って執拗に斬り裂いていく。斬られるたびに足を止めさせられる化け物は、炎の海の中に釘付けにされていた。


 いまだ勢いよく燃えるオレンジの炎の向こう、もう何度目か分からない突進の前兆を見て、クオンはまた地面を蹴る。すぐさま全身が炎に包まれ、その熱さがじりじりと服と体を焼き焦がしていく。今は息を止めているが、一呼吸でもすればきっと肺が焼け付いて呼吸すらままならなくなるだろう。

 そしてその地獄のような状況下にもう何分も置かれているはずの化け物は、まだ走り出す気力を残しているようで、血と煤にまみれた顔で前方をひたすら睨んでいる。

(まだ、やるつもりなのか……もう、諦めたらどうだ……っ!)

 クオンは軌道を計算しながら、左腕の位置を調節する。狙いはもう何度も斬りつけた左目。

(いい加減、倒れやがれ!)

 歯を食いしばり、左の剣を振り抜こうとした。その瞬間、


 グラリ、と巨体が揺れた。


 ついに、ついに化け物の体力が尽きる。直感でそう察したクオンは、痛みを与えるためでなく、戦いを終わらせるため、化け物の首筋に飛びついた。

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