第13話

 その音が何であるかに真っ先に気が付いたのは、もしかすると四つ角の化け物かもしれなかった。

 クオンがその音の大きさにただ圧倒されている間、化け物は明らかにその様子を変えていた。目を剥いて体を低くし唇を震わせるその様子は、見るからにその声に対して怯えていた。


 音が止み、ようやく目の前の怪物の異変に気が付いたクオンは、その変わりように驚いた。ついさっきまでは最強の獣として堂々と君臨し、怒りを見せることはあっても怯む様子など欠片も見せなかった化け物が、今や狩られる獣のような姿を見せている。

(どういうことだ、化け物が怯えるなんて……まさか)

 そこでクオンは一つの可能性に思い当たる。この化け物も大きいとはいえ、村を囲む柵から見れば、僅かに角の先だけが見えるくらいだろう。そして、もしもこの音が柵をゆうに超えるという六本足の化け物の声だったなら。それならば説明が付く。


(このままこいつが逃げ出してくれれば、俺はヤールの方に援護に回れる。ヤールの実力がどれほどのものかは知らないが、二人掛かりなら柵よりでかい化け物だって狩れるはずだ)

 と、そこまで考えた直後、四本角の化け物はゆっくりと方向を変え始めた。その頭が向いた先は、柵に囲まれた村。

「な、なにを!?」

 思わず声が出た。こいつは怯えているのではないのか。そっちからもっとでかい化け物がきているんだぞ!? 一体何を……

 クオンは化け物の正面に回り込み、左手の四元符を掲げて叫ぶ。

「照らせ、《アグニス》!」

 四元符はオレンジ色に燃え上がり、焚き火のごとく大きな炎がクオンの周りを、そして化け物の鼻先を煌々と照らし出した。

 その明るさを嫌ったか、大きな炎に恐れを抱いたか、化け物はクオンに頭を向けたまま一歩ずつ後ずさりしていく。そこでようやく、クオンはこの化け物の意思に気が付いた。要するにこいつは鹿なのだと。


 じりじりと炎で化け物を押し下げて村から十分に距離を取った所で、クオンは一旦炎を消し、右手の剣を鞘に納めた。だが、何も攻撃の手を緩めるわけではない。むしろ逆だ。

 一刻も早くヤールの助太刀をするため、こいつを手っ取り早く片付ける。

 また気がはやっているとかそういうことではない。むしろ、冷静に状況を判断した結果、今、ここでなら、十分とかからずにこの化け物を仕留めることができると踏んだのだ。


 クオンは色褪せた長方形の紙きれ——四元符を右手に持ち替える。そして、その名を呼ぶ。

「《アグニス》」

 村から離れて光もほとんど届かない一面の闇の中、オレンジの明かりが札に灯る。クオンはそれを振りかぶり、上へ放り投げるように振った。そして腕が真っ直ぐに伸びきる寸前、光はひときわ明るさを増し、その瞬間に同じ色の炎が札から飛び出して闇に放物線を描く。

 放たれた炎の塊はやがて落下し、小山のような化け物の背に当たって跳ね返り、地面へと落ちる。

 クオンは落ちていく炎の行く先には目もくれず、続けざまに何回も炎を投げ放った。化け物に当たるもの、当たらずそのまま落ちていくもの、どちらもあったが、構わずクオンは腕を振り続けた。そして化け物も、舞い上がり落ちていく火の玉に注意を向けるあまり、その場から動けずにいた。

 そして二十個目の炎が飛んだ後、地面に落ちた炎の中のいくつかがパチパチと小さく爆ぜ始め、ぼんやりと、しかし確実に燃え始めていた。


「燃え盛れ、劫火!」

 凛とした、若さの中に決意の強さを感じさせる声が、草原に響いた。

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