第3話

 ヤールと俺は宿屋を出て村の門をくぐり、村と森の間の空き地に来た。こちらは今朝俺が通ってきた方の門で、この門と反対側の門以外は全て丸太の柵が村を囲っている。この小さな村にしてはかなり頑丈な作りだが、これもやはり化け物のせいなんだろう。

 村の柵と森のちょうど中間あたりまで歩くと、ヤールは荷物を地面に下ろしてこちらに向き直った。

「よっし、じゃあ早速見せてもらおうか。的とかなんかいるかい?あれなら俺が受けてもいいんだけど」

 そう言って手袋を嵌めようとするヤールを、俺はまくし立てるように押し留めた。

「いやいやいいいい大丈夫だ、危ないから下がって見ててくれ」

 言ってから、内心しまったと思った。しかし同時に、このヤールという男は歳下の俺にこんなこと言われても全く気にしないだろうという予感はしていた。

「ちぇー、分かったよー」

 そして俺の予感通り、ヤールは残念そうな顔をしながらも言われた通りに数歩下がって大人しく座り込んだ。

 そこまで確認したところで、俺は誰もいない正面に向き直った。


 ふうーっ、と口から一筋の吐息を吐き出し、呼吸を一瞬止めた後に鼻からゆっくりと空気を吸い込む。そうして心を落ち着けながら、体の隅々まで感覚を行き渡らせる。……よし、問題ない。

 意識を切り替える数秒の儀式を終えると、俺はすっと自然に左腰の鞘から刃を引き抜いた。俺の右手にしっくり収まるその獲物は、真っ直ぐな刀身の片方だけに刃が付いた、特に飾りもない質素な片手剣だ。長さは俺の手首から肩までと同じくらいで、今までの鍛錬の甲斐もあり振り回すには何の苦労もない。

 俺はその切っ先を真っ直ぐ前に向け、剣をその場から動かさない様に、そして誰にも気取られないように自然に体の重心を動かしていく。そして——

 ビッと空気の裂ける音を立て、踏み込みの勢いを乗せた鋭い上段突きを放った。

 この鋭い突きを反動で引き戻しながら、今度は重心を左へと素早く移し、上体を倒す。そして右脚で地面を押し、両脚を伸ばしたまま左へと転がる。この横転で左へと回避しつつ、脚から少し遅れて回る右手の剣で、元居た空間を撫でるように斬り裂く。

 左腕、背中、右腰、右膝と地面を素早く転がると、回転の勢いのまま膝立ちから立ち上がり、次は右斜め前方へと走る。狙うは初めに突きを放った空間の更に奥で、間合いを図りつつ三歩目で地面を力強く踏み切る。今度もまたその体の動きに追従するように、跳躍の軌道の右側を剣で斬り裂く。

 飛んだ先で音を立てずに着地した後、俺はその場で一秒待った。そして奴は俺を追って首を向け、遅れて体を旋回させる。俺はもうそこに昨日の化け物を見ていた。

 そう、今度は振り向きざまの薙ぎ払いだった。丸太のような太い前足が細い立ち木をへし折りながら今まさに迫って来ていた。この怪物の腕の一振りはまともに食らえば命すら危ういが、しかし、敢えて後ろではなく前に躱す!

 心の内で語る声に合わせ、俺は前方へ飛び込むように化け物の腕を躱す。

 ここまで飛び込めば二本足のこのデカブツは咄嗟に俺を攻撃できない。そして振り終えた腕の下、脇というのはどんな獣でも太い血管の通る弱点である。ここを狙って右手の剣を振り上げながら体を左へ捻りつつ飛び上がり、跳躍の頂点の僅か後、引っ掛けるイメージで刃を押し当て、落下の力を合わせて引き斬った。

 流石に化け物と言えども、この一撃の痛みには怯まざるを得ない。この隙に——

「見事だね」

 予期せぬ一言、そしてさらなる攻撃を加えようとしていた俺の出鼻を挫くその一言は、傍に座るヤールのものだった。

 たった一言で集中を切らされた俺は、もう一度前を向き直るがもうそこには昨日の化け物は見えない。

 そんな俺を見て何を思うのか、ヤールは常と変わらぬ口調のまま評価を下す。

「うん、身のこなしも軽やかで余裕があるし、剣捌きもその身のこなしにぴったり合ってるって感じだね。それに、狙う部位も思い切りもいい」

 それを聞いて僅かならず俺は驚いた。正直ここまで戦いを褒められたことは、故郷を出て以来一度も無かった。というより、ほとんど誰にでも「危なっかしい」と言われてきたのだ。もっと堅実に、もっと安全に、などと何度聞かされたことか。

 しかし、やはりと言うかなんと言うか、ヤールは違う。きっと紙一重で躱す方が——

「紙一重で躱す方が、次の攻撃に都合が良いし、俺はその戦い方が良いと思うな」

 ……言われてしまった。正に今考えていたことだ。つまりこれは多分……

「あんたも、そういう戦い方するんだな」

 そう言うと、ヤールは何か微妙な顔をした。図星だと思ったのだが。

 そんな微妙な顔をしたまま、ヤールは改めて評価を述べた。

「うーん、まあ、大体そんな感じかな。まあ、俺の事は今は置いといてさ。……えっと、クオンは体捌きも剣捌きも上手くて、頭も良いし、思い切りも良い。だけど、それだけじゃ一晩の内に一体殺すなんてのは出来ないのは俺は良く知ってるんだよ。だから、次はもう一つを見せてくれよ」


 なんと言うか、見抜かれているどころの騒ぎではない。まるで、全て知っているかのような、いや、戦闘に対する冴えが働き過ぎているのか?そう、丁度老師様のように……

 脳裏に浮かんだ一人の顔と共にピリッと引きつれるような痛みを心に感じ、軽く頭を振って雑念を追い出す。ともかく、もう一つを要求されたのならば、それを見せるしかない。

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