第三十一話 鎌倉殿

 征夷大将軍、源重朝の鎌倉入りは西の都に衝撃を与えた。全国の武士の頂点に立ち、戦時おいて全国の兵馬を動員出来る大権を付与され、実際四万の大兵を握る重朝が、かつての朝敵、平氏一門の本拠地であった坂東に位置する事は西朝にとっては脅威であり、万が一、蝦夷地の東朝に組みしたならば天下の情勢は一変してしまうであろう。この難事に対して西朝の新帝は妥協に努めた。まず大兵を簒奪され「鎌倉に討伐軍を」と強烈に申し立てていた左大臣、藤原不平等を左大臣から更迭し、追放した。さらに重朝に正二位の官位を与え、一気に公卿とした。その代わりに新帝は重朝から『東朝に付かず、西朝に敵せず』との文言を受け取り、事実上の恭順を確保した。その間重朝は、板東の郡司、豪族を帰服させ、態度不鮮明の陸奥守平高見、出羽守平高音を自ら率いた兵で滅ぼし、その勢いで俘囚の安倍氏、竹原氏を屈服させた。これにより、東日本は重朝の勢力下に置かれ、西の朝廷、東の重朝という二つの政治権力が存在するという不安定な現象が起きた。重朝は内政にも力を入れ、旧鎌倉京の整備に取りかかり、旧御所を政庁とし、軍事・警察を担う侍所、家政を司る政所、裁判・司法を行なう問注所を設置し、それぞれの別当に和田頼森、宝条良時、文臣の中江広友(なかえ・ひろとも)を任命した。また、西日本の武士にも影響を与え、次第に全国を統治する機関に成長して行く。

 重朝がこれだけ仕事に没頭したのは、ひとえに光姫の事を忘れようとしての事だった。重朝の思いは余人には恐らく知られていない。さらにその事を隠す為、甘子を鎌倉に呼び寄せ、実家(さねいえ)、経朝(つねとも)という男子二児に重姫(しげひめ)、朝姫(ともひめ)という女子を産ませた。


 帆太郎は重朝に登用されなかった。重朝周囲の人間も、

「平帆太郎殿を副将として召し上げ、不測の事態に備えてはいかがですか。彼は戦の天才です」

 と進言したが受け入れられなかった。皆、首を捻った。ただ、執権となった宝条氏時だけが、

「もうこの国に戦は起こらない。故に戦しか出来ない男は必要ない」

 と言って重朝に同調した。だが、帆太郎を欲しがる人物は多々いた。例えば、東朝の太政大臣、藤原不足である。彼は草の者蛆虫を通じて、『蝦夷地にて本朝の征夷大将軍にならぬか』と誘いを掛けた。しかし、答えは、『否』だった。大恩ある新帝には弓引けないからである。他にも薩摩の大下義弘から『鎮西独立に大将として参加しないか』とか、源来光の『五畿を統一し、新政権をつくらないか』などと謀略、革命の誘いはいくつかあったが全て断った。ただ武蔵国、鶴見の苦災寺で気ままな暮らしをしていた。


 それから五年が過ぎた。鎌倉政権は安定し、日の本を統べた。全国に守護、地頭を置き、荘園を基盤とした貴族政権から脱却し御恩と奉公を支えにした武家政権を確立した。重朝もかつての薄弱な青年から、厳しい施政者へと変貌した。

 そんなある日、源重朝は主立った家臣を政庁に呼び出した。宝条氏時、宝条良時、企比由和、二浦頼村、二浦高村、和賀頼森、鈴木高綱、鈴木信綱、畑山重忠、舵取高時、舵取高季、土井実平、熊虎狼痢らである。

「謀反の噂がある」

 氏時が言った。

「えっ」

 家臣団が驚く。

「一体誰が」

 皆が疑心暗鬼になる。

「安心せい、其方の中にはいない」

 ほっとする家臣団。

「では、誰が?」

 和田頼森が尋ねる。

「苦災寺の帆太郎だ」

 重朝が苦々しく言った。

「帆太郎殿が、まさか」

 熊虎狼痢が叫んだ。

「そのまさかじゃ」

 氏時が静かに言う。

「誰と組んでの謀反ですか」

 鈴木高綱が尋ねる。

「誰かはしかと分からぬ。だがな」

 氏時は一拍置くと、

「帆太郎は獅子身中の虫。居てくれても何の役にも立たない。だが敵の大将に祭り上げられたら厄介。この際、討ち取ってしまうのがこちらの利になる」

 と語る。

「余はかつて、帆太郎を尊敬していた。だが余に害するなら弑しなければならない」

 重朝は言った。

「これから、兵一万で苦災寺を囲む」

「一万とは大仰な」

 誰ともなく、声が上がった。

「たわけ、苦災寺には帆太郎の家臣の他、あの風花太郎平光明がいる。僧達も手練と聞く。獅子は兎一匹殺すのにも全力を出すのだ。まして相手は帆太郎一味。兵の出し惜しみは後悔の元だ」

 重朝は一同を叱責すると準備に走らせた。


 政庁の屋根裏で、軍議を傍受していた蟹丸は動転した。

「早くこの事知らせなくては。しかし、知らせたところで打開策はあるのか?」


 征夷大将軍源重朝を総大将とする鎌倉軍一万は一路武蔵国、鶴見を目指す。先鋒は、鈴木高綱。宝条氏時、宝条良時、企比由和、二浦頼村、二浦高村、和賀頼森、鈴木信綱、畑山重忠、舵取高時、舵取高季、土井実平、熊虎狼痢らが続く。

「皆、奮迅し帆太郎明明を討ち取れ、さすれば平氏は完全に滅亡する。勝つのは我ら源氏だ」

 重朝は喝を入れた。


「茹で蛸、時化丸様につなぎをつけられないか」

 蟹丸は茹で蛸に聞いた。

「どうだろう。やってみなくちゃ分からん。とりあえず鶴見湊に行って話しを聞いてみる」

「ああ、近くの海にいればいいが。遠海に居たら、帆太郎様は終わりだ」

「近くに居る事を祈ろう」

 蟹丸と茹で蛸は別れた。


 そのころ帆太郎は源太郎に剣の手ほどきをしていた。源太郎は七歳になっていた。

「それ、それ、良い太刀筋だ」

 帆太郎の教え方はやさしい。目の中に入れても痛くない我が子。大事に育て過ぎていた。

「もう少し、厳しゅうなさったら」

 光姫が言う。

「それが出来んのだ。私は子にものを教えるのが下手だな」

 帆太郎は自嘲した。

「さあ、一休みして白湯でも喫しませ」

 光姫は白湯を進めた。

 帆太郎が白湯を飲んでいると、

「帆太郎、本堂に参れ」

 光明法師が厳しい口調で呼んだ。

「はい。父上」

 帆太郎が本堂に行くと、大斧親子、梅田大輔、木偶坊乞慶に、雲瓢、雲呈、雲堂、雲天、雲丹が武装して待っていた。

「帆太郎、重朝がこの寺を一万の兵で囲む」

「えっ、重朝殿が」

「奴は昔の彼ならず。お前の武力が邪魔になったのだろう」

「なぜ、なぜ。私は重朝殿の邪魔などしてないのに」

 愕然とする帆太郎。

「幸い、茹で蛸が時化丸と連絡を付けてくれた。五十の船が鶴見湊に助けに来てくれる。お主はそれに乗り、大陸に逃げよ。この国にお主の居場所はもう無い」

「お主らは」

 帆太郎が大斧親子、梅田大輔、木偶坊乞慶に聞く。

「皆で逃げたらすぐバレて追いかけられるだ。おら達は帆太郎様の盾となるだ」

 大斧大吉が言った。

「なら、私も戦う。皆と死ぬ」

 帆太郎が叫ぶ。

「愚か者!」

 光明法師が帆太郎を殴る。

「光姫と源太郎はどうなる。お主が守って、共に大陸に行け」

「父上」

「帆太郎様、小吉を連れてってくれだ。何かと役に立つぞ」

「大斧の父上」

「帆太郎様は俺が守ります」

 小吉が言った。

「大輔は?」

 光明が問うた。

「わたしは三十年前に死んでいた身。仲間が冥土で待っています」

「乞慶は?」

「天下の悪僧と言われた拙僧です。敵を何人も道連れにいたします」

「皆の者。勝手に死なれては困る。甚だ迷惑だ。一緒に大陸に行こう」

「殿!」

 皆、目に涙を浮かべる。

「ならば良し、我ら寺の者だけで敵に当たる。そちら逃げよ」

 光明法師が静かに言った。

「しかし、関係のない方々に」

「安心せい。わしら六人、戦いたくて血が滾っておる」

「おう」

 光明法師は『昇竜漆黒縅』を着て風花太郎平光明に戻った。

「さあ、早く逃げよ」

「はい。では光と源太郎を連れて来ます」

 帆太郎は客間に行った。


 帆太郎の話しをきき、光姫は憤慨した。

「貴方、重朝の狙いは貴方でなく、私です」

「どういう事だ」

「重朝は私に横恋慕していたのです。殿が死んだと聞いた時から、やたらと私に親切にし、私の関心を取ろうとしていたのです。ところが貴方は生きていました。それで嫉妬に狂い、貴方を殺そうとしているのです。だから私が重朝の元に行けば、戦は回避されます」

 光姫は立ち上がった。

「私が重朝の元に行き戦を止めさせます」

 重朝の元に行こうとする、光姫。

「待て」

「お止め下さいますな」

「駄目だ。光を誰にも渡さない」

「貴方」

「共に時化丸の船に乗り、大陸に行こう。二人、いや、源太郎と三人で静かに生きられる場所が必ずあるはずだ」

「はい」

「私は母を知らない。産まれてすぐ母は前の武蔵守の軍に殺された。だから、見ず知らずの母を光に投影させていた」

「はい」

「だから、母のように私の元から消えるな。ずっと共に白髪の生えるまで生きよう」

「はい」

「私は甲冑に着替えて来る。大吉達が待っている。本堂の裏に行くのだ」

「はい」

 帆太郎は『伏縄目』の鎧を着て本堂裏に駆けた。


 本堂裏には茹で蛸が居た。

「皆様、時化丸様は六浦湊に居ました。鶴見湊はすぐ側です。しかし、鶴見湊は小さい。大船は入れません。なので小船に分乗し大船に乗ります。小船のうちに敵勢に見つかると、矢で攻撃されるおそれがありやす」

「おう、今のうちに馬で鶴見湊へ行こう」

 小吉が言う。

「光は私が乗せる」

 帆太郎が光姫を乗せる。

「源太郎君はおらが乗せるだ」

 大吉が源太郎を抱える。すると、

「いやじゃ。ちちといく」

 源太郎が駄駄をこねた。

「ならば、光と源太郎を両方私が持つ。我が馬は『如竜』、少々の事では、ばてぬ」

 帆太郎は源太郎のわがままを聞いた。

「では、行くぞ」

 帆太郎一行は苦災寺を出た。しかし、そこにはもう敵兵千が取り囲んでいた。

「帆太郎殿、覚悟」

 搦め手の大将、企比由和が叫ぶ。

「こりゃあ、大兵だなあ」

 大吉が鼻を掻く。

「殿、我々が敵兵を切り崩して隙間を作ります。その間にお逃げ下さい」

 大輔が言う。

「駄目だ。皆で一塊になって切り抜けよう」

 帆太郎は右手に手綱、左手に光姫と源太郎を抱えて叫んだ。

「ならば拙僧が先陣を」

 乞慶が名乗りを上げ、皆は帆太郎を取り囲むように隊列を組んだ。

「それっ」

 乞慶を先頭に一行が駆ける。

「敵は少人数。押しつぶせ」

 由和が命を下す。

「うりゃああ」

 乞慶が薙刀を振り回し、大吉が大斧で敵を丸太のように斬る。大輔が華麗な剣で敵を討ち、小吉が手投げの小斧で兵を倒す。猛者四人の働きで行く手に隙間が出来た。

「それ、『如竜』駆けよ」

 帆太郎が足で『如竜』に合図する。

『ヒヒーン』

『如竜』が雄叫びを上げ、隙間に飛び込む。逃げ遅れた兵は『如竜』に頭を齧られた。

 猛烈な勢いで駆ける『如竜』。誰も追いかける事が出来ない。

「ならば、おらたちも行くぞい」

 大吉が命令して家臣達が逃げる。

「こら待てっ」

 由和が叫ぶが、帆太郎の家臣達は良馬に乗っているので、鎌倉軍の歩兵は追い付く事が出来ない。一人、馬上の由和は追跡を断念した。

「これは殿に怒られる」

 由和は臍を噛んだ。


 帆太郎一行が落ち延びた事を知らない重朝は、苦災寺に到着すると命令した。

「火矢を放ち、敵を燻り出せ」

 五百の弓兵が一斉に火矢を放った。たちまちのうちに煙の上がる苦災寺。よく燃やされる寺である。

「周りを押包め。女子供とて容赦するな」

 だが誰も出て来ない。火は勢いよく回っている。

「観念したか」

 重朝は呟いた。

(帆太郎、光姫よ、さらば)

 重朝の心に愛憎が渦巻く。

 その時、山門が開いた。漆黒の武者と、五人の僧兵が現れる。

(帆太郎か? いや違う。あれは、風花太郎平光明)

 重朝は震えた。その圧倒的な威圧感。只者ではない。しかし、味方は九千。押包み、矢を一斉に放てば殺せぬはずは無い。

「射掛けよ」

 重朝は命じた。五百の弓兵が一斉に矢を放つ。光明達はそれを避けようともせず、全身で受け止める。六人に約五百の矢が刺さり、薄野のようになる。

「矢はそれだけか」

 光明が叫んだ。なんと、生きている。

「ならば、お返しだ」

 光明が身に突き刺さった矢を抜く。鮮血が吹き出すが、ものともしない。そしてその矢を、

「エイッ」

 と重朝の陣に投げ付けた。

「うわっ」

 馬上の舵取高時が転落する。その胸には一本の矢。光明が投げたものだ。あまりの早さに重朝には見えなかった。

「それっ」

 五人の僧兵も同様に矢を投げる。見えない。二浦高村、鈴木信綱が倒される。

「まずい、敵めは大将格だけを狙って来ている」

 重朝は焦った。九千の兵がいても大将が居なければ用兵出来ない。実際、光明らの恐るべき攻撃に兵らは浮き足立っている。

「相手は手負いの六人だ。押包め」

 慌てて指揮する重朝。九千の兵が一斉に寺の石段を駆け上がる。

「斬れ」

 光明は命じた。矢傷だらけの雲瓢達が九千の大群に襲いかかる。それを雲瓢たちが斬る、斬る、斬る。

 挑みかかった兵達の命は虫けらのように断たれていった。これでは九千の兵もあっという間に消えてしまう。

「後ろに回れ! 後ろから槍で討て」

 絶叫する重朝。その間にも光明は矢を投げる。血染めの矢が重朝の武将達の身体を貫く。そして、見えた。重朝は自分の正面を目掛けられた矢を網膜に捕らえた。

「死ぬ!」

 思わず目を塞ぐ重朝。

『グサッ』

 肉の砕ける音がする。

「ああああ」

 目を開くと、眼前に熊虎狼痢が立って矢を受けていた。それも一本ではない。十本も刺さっている。それだけ光明は矢継ぎ早に投げたのだ。

「虎狼痢!」

「殿、矢の届かぬ場所へ」

 心の臓を貫かれながら虎狼痢は落馬せず、重朝を守った。

「虎狼痢、武士の中の武士よ」

 重朝は感動し、

「余が光明を討つ」

 と馬を前進させようとして、宝条親子らに必死に止められた。

「お下がりを」

「虎狼痢の意をお察し下さい」

「殿あっての鎌倉です」

「おう」

 重朝は冷静さを取り戻した。

 さしもの雲瓢達も背中から何本もの槍を受け、一人、また一人と討ち取られていく。ついに残るは光明だけとなった。しかし、五千の兵が道連れになった。雲瓢らは平均千人余の兵を倒したのであった。

 光明は生きている。全身から血を吹き上げながら。

「雲瓢、雲呈、雲堂、雲天、雲丹。みなあっぱれな働きであったぞ」

 光明は呟く。

「俺も負けてはおれぬ」

 光明は剣を抜いた。

「うわあ」

 その姿を見て、兵達は戦慄した。この男は不死身だ。殺せない。恐怖が伝播していく。

「恐れるな。敵は後一人」

 必死に軍配を振る、重朝の手が震えている。

「征夷大将軍、源重朝!」

 光明は叫んだ。

「お主を殺すのはたやすい……だがな」

「だ、だが、なんじゃ」

 声が上手く出ない。

「おまえを殺せば、また戦乱の始まりだ。国が乱れ、民が疲弊する。かつて、ここで約束したな。民の為の国作りをすると」

「そ、そうだ」

 重朝は答えた。

「ならば、良い」

「な、何?」

「生かしておいてやる」

「な、何を小癪な」

「それとも一騎打ちするか」

「お、おう」

「ははは、そのような細腕で俺が討てるか」

 光明は笑った。

「俺は死ぬつもりだったが、気が変わった。逃げるとする」

 光明はそう言うと、誰のものか、打ち捨てられていた一頭の馬を引っ張った。

「追うなよ……そして」

「そして?」

「帆太郎のことも忘れろ。決して追ってはいけない」

 そう言うと、光明は悠然と立ち去った。後には呆然とする重朝軍が残された。

 そこに企比由和が悄然と参上し、

「帆太郎らに逃げられました」

 と報告する。

「殿、帆太郎を追いましょう」

 氏時が進言するが、重朝は、

「いや、止めておこう」

 と撤退を命じた。

 重朝はこの日の事を肝に銘じた。そして、消失した苦災寺を再建し、『荒行の仏』として尊んだ。今も寺は鶴見にある。

 光明のその後の行方は不明である。一説には、逃走の途中に出血多量で死亡したとも、二王寺に帰り僧に戻ったとも、蒙古に渡り元朝を開いたとも言われるが事実は定かではない。

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