第二十五話 水盛の野望

 平武蔵守水盛は館に一族を集めていた。征夷大将軍、平帆太郎明明が一万の兵を揃えて、坂東攻略のため、都を出立したとの報告を不恩から受けたからである。下野守森盛、下総守山盛、相模守大盛、安房守泡盛、上総介特盛、常陸介先盛、上野介舟盛の兄弟に、陸奥守高見、出羽守高音。それに安倍義良とその息子貞十、宗十(むねとう)。竹原清季(たけはら・きよすえ)が参陣した。

「皆、ご苦労」

 水盛は労った。

「特に安倍殿、竹原殿。遠くからの参陣、ありがとうございます」

「いえ、我らは武蔵守様の『朝廷に代わる新しい国作り』に賛同したまで。前の大戦のお詫びも兼ねてやって参りました」

 安倍義良が答える。

「そう。この戦いは朝廷に年貢諸役を搾取され、厳しい思いをする民人を救う為のものである。東の朝廷は陸奥守様、出羽守様のご協力で蝦夷地に去った。今度は西の都の賊、平明明を迎え撃ち、これを倒し、そのまま進軍。西の朝廷を屈服させ、いずれはこの日の本の民人に安心して暮らして貰うという壮大な計画の一部である」

 水盛は語った。これは自らが裏切った風花太郎平光明の計画と全く同じものであった。水盛は思う。あのときなぜ兄を裏切ったのであろう。もし、兄に協力していたならば、この計画は二十五年前に成されていたかもしれない。そうすれば我が身も不自由な身体になっていなかったであろう。

「この戦、守戦であるがいかに戦うおつもりか」

 安倍義良が問うた。

「この坂東に入るには足柄峠か碓氷峠を通らねばならぬ。敵が二手に別れて攻撃することも考えられるが、敵は兵一万と我らの半数。戦力の分散は愚策。であるから、どちらか一方に全軍で攻めて来ると思われる。それは恐らく足柄峠であろう。なので碓氷峠には常陸介と上野介の二名だけを派遣し兵、二千を与える。残りの兄弟には足柄峠を軍一万八千で守らせる。陸奥守様、出羽守様、安倍殿、竹原殿にはこの武蔵に残り後詰めをして頂く。よろしいか」

「異議なし」

 ほとんどの将が賛同するなか、

「俺にも前線で戦わせろ」

 と安倍貞十が文句をつけた。

「ならば貞十殿も足柄峠へ」

 水盛が言うと、

「おう、だが俺は前に出て戦うぜ」

 と貞十が作戦を無視した。水盛は味方同志で言い合っても仕方ないので、

「お好きにどうぞ」

 と答えた。

 

 戦の準備を進める中、武蔵守水盛は、久しぶりに新田候補の土地を探す散策に出掛けた。気分転換も兼ねてである。

「近場はもう新田にしてしまった。遠出しよう」

 と水盛は言い、家宰の渋谷近春にわずかな供回りと輿の担ぎ手だけで出掛ける事にした。

 一行は普段あまり訪れぬ武蔵の南部に出た。そこには手つかずの森が多数あった。

「少し見てみよう」

 水盛一行は森に入って行った。

(何だか、吸い込まれるようだな)

 水盛は思った。静かだ。鳥の羽音一つない。輿を運ぶ者どもの息遣いのみが聞こえる。

 やがて一つの建物を見つけた。寺だ。寺の名は『苦災寺』。

「何とも因業な名前だ」

 水盛は呟いた。

 寺では修行僧達が五人ほど境内を掃除していた。近春が案内を乞う。

「こちらはこの地の国司、平武蔵守様であらせられる。住職にお会いしたい。取り次ぎを頼む」

しかし修行僧の一人が、

「住職は、只今読経の最中です。その間は誰も本堂に近寄れません。一刻ほどお待ち頂けませんか」

 と言って取り次ぎを拒否した。

「分かっているのか。武蔵守様の来訪じゃ。主は忙しい身、一刻も待てるか。早々に面談せよ」

 近春は怒って怒鳴った。剣に手を掛け力づくで会見をさせようとする。

「近春控えい。わしは一刻でも二刻でも待つぞ」

 水盛が家宰の暴挙を制した。いつもはどちらかと言えば短気の水盛が大きな事を言った。

「ならば、休息所にてお待ち下さい」

 修行僧が休息所へ案内しようとする。しかし水盛は、

「いや、ここで良い」

 境内に留まり、輿を降りて、杖を付き回り、辺りを散策した。時は春真っ盛り、梅や桜が競うように咲き誇っている。水盛は久々に晴々とした気分になった。長きに渡る、戦と謀略の世界。水盛の心は疲れていた。しかし、逃げる訳にはいかない。西からは太郎兄者の忘れ形見、平帆太郎明明が一万の兵を連れて坂東に攻めて来る。味方は二万だが、水盛は勝つ気がしなかった。相手は、父の仇と我らを攻める。義は敵方にある。いっそ、「お前の父は陸奥の奥、二王寺で生きておる」と言ってやりたかった。しかし、諸般の事情でそれは言えない。そのことを知っているのは草の者、不恩だけだ。どうして、不恩に光明を殺させなかったのであろう。それは多分、心のどこかで兄を尊敬していたからであろう。そんな事をぼんやりと考えていると、

「武蔵守様、住職の読経が終わりました。客間に支度を整えています。どうぞこちらへ」

 修行僧が先導し、客間へと誘う。その途中本堂で水盛は見た。真っ赤な迦楼羅炎を背にし、恐ろしい表情でこちらを半眼で睨め付ける不動明王を! 仏法に背く者を強引にも冥土へ送り込むと言う、大日如来の化身は自分を無限の地獄へ連れて行くのではないかと、水盛は肝を冷やした。

 やがて、客間に通される。住職は居なかった。

「申し訳ございません。お座りになってお待ち下さい。着替えが終わり次第参ります」

 修行僧は慇懃に挨拶すると、客間を出て行った。

 水盛は不自由な右足を伸ばし、着席をする。そして、しばし待つ。

(武蔵守のわしをここまで待たすとは、相当の心の持ち主か、自分を高く見せようとする愚か者のどちらかであろう。じっくり、品定めをして遣ろう)

 水盛は考えていた。

 やがて、ズシリ、ズシリと足音がして和尚がやって来た。

 水盛は住職を見た。

(鋭い!)

 水盛は一見そう思った。僧侶には見えぬ眼光と髭。只者とは思えない気配を全身に押包んでいるように見える。

「武蔵守殿、お待たせした」

 住職は言った。その声は静かで穏やかだった。

「いえ、ご修行中、お邪魔いたした」

 水盛は答えながら考えていた。

(既視感がある)

 初見であるはずなのに懐かしい感覚がある。何故だろう、と水盛が思っていたところに住職が口を開いた。

「新田か」

「ご明察」

 水盛は答えた。

「新田作りも良いが山を削り、森を損なうと、大雨の時に洪水を引き起こすぞ」

 住職が忠告する。

「そ、それは」

「そもそも、貴殿の新田作り。これは真に民の為に成すものか。本当は武力を養う為のものではないのか」

 住職は厳しく言葉を打ってくる。

(この喋り方)

 どこかでいつか聞いたような。既視感はどんどん強くなり、ある一つの答えを導き出す。

「住職」

「なんじゃ」

「この寺は何衆に属される?」

「華麗宗じゃ」

「何処の何寺で修行された?」

「陸奥のその奥、二王寺」

 そのとき、水盛は確信した。

「兄者!」

 思わず叫ぶ。しかし、住職は冷淡な顔で、

「何の事だ」

 と相手にしなかった。だが、水盛は、

「兄者、私は知っております。貴方が生き延びて、二王寺で得度した事を。そして、私は後悔しております。貴方を討った事を。私が今している事は、二十五年前、貴方が遣ろうとしていた事。今からでも遅くない、一緒に遣りましょう」

 と住職に気持ちをぶつけた。

「知らぬ。帰られよ」

 住職は落ち着いた声で水盛に退出を促した。

「また参ります」

 水盛は寺を後にした。

 館に帰る道すがら、水盛は考えた。

(兄者が坂東に帰って来た。僧侶として。だがその胆力は武士のころよりも数倍強くなっている。見れば分かる。相当な修行をしたのであろう。そして我ら兄弟は、兄者の子、帆太郎明明と決戦をする。兄者は帆太郎明明の存在を知っているのだろうか。知っていれば、当然帆太郎明明の肩を持つだろう。しかし帆太郎明明は西の都の狗。兄者の理想は坂東の独立。何とか我らの為に剣を再び取ってはくれまいか)

 輿の上で水盛は一つの結論を見た。

(これは、苦災寺に日参するしかないな)


 それから水盛は苦災寺に毎日のように参ったが、住職は面会を拒否した。固く閉ざされた本堂からは読経が聞こえる。そこには強い決意が見て取れた。そんなある日の事。

「住職、武蔵守様がこのような物を置いて行かれました」

 弟子の雲瓢(うんぴょう)が雲呈(うんてい)と共に何かを運んで来た。

「これは鎧櫃」

 住職は珍しく驚いて蓋を開ける。

「これは……」

 中から姿を現したのは『昇竜漆黒縅』、風花太郎平光明の甲冑であった。兄弟達の裏切りに合い、逃走の途中で脱ぎ捨てたものである。

「わしに再び、これを着ろと言うのか。愚か者め」

 そう言って、住職はまた読経を始めた。


「そうか駄目か」

 不恩から知らせを受けた水盛は、落胆した。

(『昇竜漆黒縅』を見ても血が滾らないと言う事は、兄者はもう武士の心を持っていないということだ。ならばいっそ、わしの手でもう一度葬ってやろう)

 水盛はそう決意し、渋谷近春に兵を揃えさせた。安倍義良らが助太刀を申し出たが断った。「ただの坊主を成敗するだけの事です」と。

 翌日、水盛は三千の兵を指揮し、鶴見、苦災寺を囲んだ。

「火を放て」

 渋谷近春の命令で兵達が焚き木を投げたり、火矢を放ったりする。濛々と立ち上がる煙。そして炎が境内から見えて来る。

「兄者、誠にさようなら」

 水盛が呟くと同時に、山門が開いた。そこには僧兵姿の雲瓢に雲呈、雲堂(うんどう)、雲天(うんてん)、雲丹(うんたん)が立ち、中央に真っ黒な甲冑に包まれた住職がいた。

「次郎。お主はそんなに俺の心の鬼を見たいのじゃな」

 住職、いや風花太郎平光明はそう言うと雲瓢

らと共に三千の兵に斬り込んで来た。

「それ、敵は小勢ぞ。やれ、やれーぃ」

 近春が威勢をつける。しかし、

「うぉぉぉー」

 という光明の獣のような雄叫びに、兵達は肝を潰してしまう。雲瓢らも、光明に鍛えられたのか強者揃いで、敵を薙刀でバッサバッサと斬り伏せる。三千の兵はあっという間に霧散した。

「あ、兄者。こんなにも強くお成りになったか」

 恐怖よりも畏怖の念を抱く、水盛。その胸元に光明の切っ先が光る。

「これで満足か」

 光明が問うと、

「み、見事な武者振りでございます、兄者」

 水盛は震えながら答えた。

「お主のせいで、心の中の鬼が目覚めてしまった」

 光明は呟き、

「次郎、馬を引け。六頭だ」

 と叫んだ。

「はっ」

 光明の元に漆黒の馬と、栗毛五頭が用意される。

「戦が迫っているな、場所はどこだ」

「足柄峠でございます」

「よし、足柄峠だな。雲瓢、雲呈、雲堂、雲天、雲丹行くぞ」

 光明らは西に消えた。

「ははは、思い通りよ」

 水盛は冷や汗を拭いつつ笑った。

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