第32話

 『山手アウトレットモール』は花霞市の外れにある大型商業施設だった。お洒落な石造りの建物。規模は国内でも有数のものだった。建設当初は、多くの客でにぎわっていたように思う。連も、幼い頃、父に連れて行ってもらった記憶がある。

 しかし、数年前、施設は潰れた。何かはっきりとしたきっかけがあった訳ではないと思う。あるいは、連が知らないだけで何か理由はあったのかもしれない。潰れた建物に、他のテナントが入る事も、建物を取り壊す事もなく、残っているのは、何か事情があるのだろうか。

 とりあえず、言えるのは、『山手アウトレットモール』はもう営業していない廃屋であるという事だった。

 とっくに日は落ちている。街外れまで来るには、バスを使ったが、帰りのバスはもうない。しかし、元より帰るつもりなどなかった。

 紀里とは駅前で別れた。連は帰宅すると嘘をついた。これ以上、紀里を巻き込む訳にはいかなかった。

 念の為、警戒して裏手の山から建物を見下ろす。大きな建物だ。高さは二階建てだが、面積で言えば、並の学校以上の大きさ、といったところか。

 しかし、何もおかしな気配は感じられない。「立入禁止」と書かれた看板と工事現場にあるような黄色のフェンスが侵入経路を塞いでいた。

 得た情報が正しければ、ここには「悪い超能力者」が居る。警戒するに越した事はない。

 とはいえ、ここで建物を見下ろしていたからと言って何かが解決するわけでもない。

 連は侵入を試みる事にした。

 「立入禁止」の看板の下に、現在この建物を管理している業者の名前と電話番号が書いてある。連は、そこに電話し、中に入る許可をもらった。中にペットの猫が入りこんでしまったと言ったのだ。向こうはまさかそんな事でいちいち電話してくるとは思わなかったのだろう。煩わしさを隠すことなく「勝手にすればいい」と言った。嘘をついたとはいえ、とりあえず、これで中に入る許可は貰えた。

 『正義の味方』としては、どんな些細なルールも破りたくなかった。何かルールを破る事で、自分で自分が『正義の味方』に相応しくないと考えてしまう事を恐れていたのかもしれない。

 連は設置された柵を乗り越え、建物の中に侵入する。

 建物そのものは、子供の頃の記憶のままだった。しかし、壁や床は薄汚れ、傷だらけの廃材や原型を留めないほどに崩れた段ボールが無造作に積まれている。ショーウインドウにも、もうガラスはなかった。何かが出そうな雰囲気だ。

 だが、床につもっているほこりの量はそこまで多くはなかった。これは、今でも誰かがここを出入りしている事を示している。

 夜であるので、建物の中は真っ暗であった。しかし、連の目には、建物内部が意外とはっきりと見えていた。理由は解らない。しかし、夜目が利くようになっている事は確かだった。これも〈リアライズ〉と何か関係があるのだろうか。

 壁に背を当て、曲がり角では、ミラーを使って先を調べながら、建物の中を回る。ただでさえ大きな建物であるのに、慎重に周囲を警戒しながら進んだために、かなりの時間が経過していた。

 少しずつ建物の中心部へと向かう。記憶が正しければ、そこには、イベントステージがあるはずだ。昔、そこでヒーローショーを見た覚えがある。

 そして、記憶の通りにイベントステージはあった。学校の体育館くらいの広さだ。四方は開け、二階からもステージが見える様に、吹き抜けになっていた。

 そのステージの真ん中に一人の人物が立っていた。

 パンツスーツに身を包んだ長身の女性だ。ウェーブしたブロンドの髪は肩を越えるくらいまである。スーツのワイシャツは一番上のボタンまできっちりと留められていたが、それでも凹凸の激しい身体である事ははっきりと解った。出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる。

 歳は解りかねた。決して若い訳ではないだろう。ただはっきりと言えるのは、顔立ちのくっきりとした美人であるという事だ。スタイルや髪の色と合わせて考えれば、もしかしたハーフか何かなのかもしれない。

 連はどうすべきか迷った。あの人物が「悪い超能力者」なのかは解らない。それがはっきりするまでは何のアクションを取る事も出来ない。ただ、こんな時間にこんな場所にいる以上、何か後ろ暗い事情がある事は察せられた。


 結局、できる選択は堂々と正面から対峙するという事だけだった。

「おまえは――――」


 連が口を開こうとしたその時だった。


 一瞬、何が起こったのか理解が追いつかない。


 足元がふらつき、尻餅をつきかけて堪える。


 瞬間、右肩に激痛が走る。


「ぐっ!」


 右肩を抑えながら、正面に居る女を見る。


 女の手に握られていたのは――拳銃。


 画面の向こう側でしか目にした事のない非日常の象徴。


 今、自分は撃たれたのだ。


「安心しな。この辺りじゃちょっとくらいドンパチやっても誰も来やしないよ」


 女は意外に高い声だった。台詞が台詞でなければ、可愛げのある声質かもしれない。


「私を楽しませなよ、ボウヤ」


 連は慌てて距離を取ろうとして背を向けて走り出す。次の瞬間。


「ぐは!」


 体勢を崩して転がる。左足を撃ち抜かれた。しかし、このまま倒れたら狙い撃ちにされて、蜂の巣だ。走った勢いそのままに丈夫そうな石柱の裏に逃げ込んだ。


「その様子。まともに戦うのは初めてかい? だったらきちんと『チュートリアル』をしてあげなくちゃね」


 連は撃たれた箇所を確認する。右肩も左足もじんじんと痛んだ。血がどくどくと、とめどなく溢れ出していた。


 血。


 一瞬、あの日の光景がフラッシュバックする。


 死ぬのか、俺は。


 連は、自分の動悸が早くなっていくのを感じる。心臓がうるさいくらいに自分の存在を主張する。流れていく血液が自分の命の様に思えた。これが全て流れて行ってしまったら自分は死んでしまうのか。


 嫌だ。


 死にたくない。


 こうして、命の危機に直面して改めて思う。誰かの為に自分を犠牲にできる『正義の味方』。誰かを救うために命を投げ出す機会があったとすれば、その時はきっと喜んでこの命を投げ出すだろう。


 でも、そんな事を考えていても命は惜しいのだ。


 本当に欲しいのは、「救いのある死」だ。


 一番に恐れているのは、あの日の薄汚い自分のままで死ぬ事だ。妹を救えなかった自分のままで死ぬ事だ。「立派な最期だった」と自分自身に胸を張れる最期でなければならないのだ。


 だから、心臓が鼓動を止めるその瞬間まで足掻き続けないといけない。


 連はそう考える。


――覚悟は決まった


「あんた、あの白いのに目覚めさせられた『擬物』だろ? 笹の奴から聞いてるよ」

 何とか焦る心を抑えて、女の言葉に耳を傾ける。

「……『擬物』とは何の事だ」

 この女はどうやら戦闘中に会話に興じるタイプの様だ。この手のタイプはうまくやれば有益な情報を引き出せるはずだ。

「超能力者には二種類のタイプがあるのさ。私や笹の奴は、『真正』って言って、もともと特別な力を持って生まれたり、自力で獲得したタイプ。対して『擬物』は、あのマキナっていう白いのに強制的に目覚めさせられたタイプの事。あの女は〈リアライズ〉とか呼んでたっけね」

「何か違いがあるのか」

「力の質は個人の心次第。目覚め方は別に関係ないよ。でも、私らみたいな『真正』からしちゃあ、あんまり面白くない物がある奴も居るんだろうね。だから、『擬物』なんて呼ぶのさ。私は、捻り潰しがいがあれば、どっちでも構わないけど」

 ミラーで、女の位置を確認する。ステージの中央から動いては居ない様だった。べらべらと喋りながらも、隙は見せていない。油断なく、銃口をこちら側に向けている。

「他に聞きたい事があったら聞いておきな。サービスで教えておいてやる」

 女の真意を測りかねながらも、時間を稼ぐ意味も含めて、連は質問を続ける。

「……この力を手にしてから身体能力そのものが上がっている気がするんだが」

 紀里と戦った時、普段の自分以上に機敏に動けたように思う。情報集めの為に『スラム街』を奔走した時も、肉体的な疲労はほとんど感じなかった。そして、ここに入ってから異常に夜目が利くようになっている事に気がついた。

 女は答える。

「その感覚は正解だよ。〈真正〉でも〈擬物〉でもこの力に目覚めた人間の身体能力、思考力、回復力。どれをとっても並の人間以上の物になる。身体能力についてはもう感じてるみたいだし、思考力も何か身に覚えはないかい。特に戦闘時みたいに集中している時。思考が加速してほんの一瞬の間に沢山の事を考える事が出来た事があったりしなかったかい?」

 紀里との戦闘での事を思い出す。きっと後ろを取って来ると判断して、咄嗟に『鎧』を展開させた。確かにあの一瞬、思考が加速した様な気がする。

「この能力は『心』に依存する力。それが現実リアルに現れたという事は、『心』が表出しているという事でもある。それはつまり、一般人よりも『肉体』と『心』の結び付きが強くなっているのさ。だからこそ、思いの強さが『肉体』の強さに結び付きやすくなっている。だから、強い意志を持って『肉体』を操れば、何メートルも飛びあがったり、巨大な岩を持ち上げたりもできるようになる。能力者の中でも『適正』と『修練』が必要だから、だれでも、何でも、できる訳じゃないけど」

 つまり、戦闘中は「考えなければ」という意思があったから、思考が加速し、情報集めの際は「休んでいる場合じゃない」という意思があったから疲れず、ここでは「暗い所を見よう」という意思があったから夜目が利くようになったというわけか。

「回復力も普通の人間とは段違いだからね。さっき撃った所ももう血は止まっているだろう。一晩も眠れば、傷も残らないだろうね」

 そう言われて、撃たれた右肩を見る。確かに、まだ鈍い痛みはあるものの、もう血は止まっている様だった。何の治療もしていないというのに。

「どうして、こんなことまで教えてくれるんだ」

 連は女に向かって問いかける。どう考えてもこれらの情報を与える事で、女に何かの利があるとは思えない。

「いやあ、単純な話でね。何も知らない相手を潰しても仕方ないじゃないか」

 女は楽しくて仕方がないといった声音で言った。


「色々教えた方が、『殺し合いバトル』が盛り上がるだろう」


 その声に、連は竦み上がった。子供の様な無邪気な声色。ドスの利いた声で言われても、ここまではビビらなかっただろう。こいつはイかれている。到底、まともとは思えない。

 絶対に生き残らなくては。

「そうだ。笹のやつに聞いたんだけどさ。あんた、『正義の味方』目指してるんだって?」

 まるで世間話でもするかの様に女は言った。

「妹が殺されたから、妹が望んでた『正義の味方』になるって訳?」

 どうやらこの女には、全てを知られている様だった。

「それは妹の為なの?」

「そうだ」

 連は即答する。

 凛は連が『正義の味方』になる事を望んでいた。凛の言葉は確かに自分の胸の中に刻まれている。

「……んー、まあいっか。聞いといて難だけど、私は想いとか、覚悟とか別にどうでもいいんだ」

 女は満面の笑みを浮かべて言った。

「私は殺し合いが楽しければそれでいい」

 そして、女は引き金を引いた。

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