2.9

「あなたたちが、私といっしょに遊んでくれるヒト?」

 透き通った女性の声が、聞こえた。


 ちらりと腕時計を見ると、午後六時三十七分。ぴったりだ。


 ぎぃぃぃ、と身震いしたくなるような音がして、扉がゆっくりと開いた。


 流れるようにして出てきたのは、中学の制服を着た女子。黒髪に銀のメッシュが入ったショートボブに、右目が緑、左が金色のオッドアイ。情報どおりだ。


 僕は二、三歩前に進み出ると、できるだけ優雅にお辞儀をした。

 まるで、舞台を始めるかのように。


「こんにちは、白藍さくらさん――魔法少年、少女がお迎えに上がりました」


 白藍さんが、にやり、と音が出そうなほど口の端をあげた。


「はん、ただのシニガミサマじゃない――私は遊んでくれると思って部室から出てきたのだけれど」

「いいえ、僕達は貴方の魂を天に還すため、遣わされたのでございます」

「もし、いやだといったら?」

「そのときは、力ずくでも」

「へえ、面白いこと言ってくれるじゃない」


強気な発言をする白藍さんに、僕もまた、笑う。


「その前に謎解きでもしましょうか?」

 じゃあ、はじめようか。

 僕は唇を一つなめると、頬を上げた。



「白藍さくらさん――あぁ、蔵指来亜さんとお呼びしたほうがよいですか?」


 一瞬、時が止まった。


 蔵指さん――多分、白藍さくらの本名なのだろうけど――の頬に、一筋汗がたれる。


 ちなみに千草は何もできず、ぽかんとしていた。


 少々大げさに、蔵指さんが手を肩まで上げて「何を言っているのか分からない」ポーズを作り、


「はぁ? あんた、何を言って――」

と言う。


 僕はそれをさえぎって、やはり少し大げさに両腕を大きく広げ口を開いた。


「だって貴方、昭和の人じゃないですか。なんで現代のラノベなんかでよく見るオッドアイなんですか? ……ああ、そもそもラノベって分かります? はは、蔵指さんが、嘘をついていたとしか思えません。なぜ嘘をつくか? それは蔵指さんが、幽霊本人だから」


 見事にあたりがしん、と静まり返った。


「……続けて」

ぶっきらぼうに蔵指さんが促す。


「それに、蔵指さんの指にはペンだこがありました。ワードプロセッサさえ、普及したのは昭和五十年代。その前、たとえば四十六年前なんかは、ガリ版印刷の時代のはずです。つまり、手書き。そりゃ、現代でも手書き派の方は大勢いらっしゃいますけれど、確率として証拠の一つくらいにはなるでしょう」


 そこで、指で数えながら考えていた千草がようやく「あーっ!」と声を出す。

 やっと気がついたようだ。遅ぇよ。


「極め付けに、簡単なアナグラムですよ――しらあいさくら→くらさしらいあ。がんばって考えたのでしょうけれど、ちょっと無理がありすぎました。来亜→ライアー、つまり『嘘つき』としたのは、面白かったですけれど」


 そこでいったん、言葉を切る。蔵指さんの反応を見るためだ。

 蔵指さんは一つはあ、と息を吐くと、髪に手をかけた。

 そしてそのまま、思いっきり引っ張る。


「あっ!」

 千草が再び驚きの声を上げる。


 銀色のメッシュが入った黒髪は、だたのウィッグだった。髪をまとめるネットもとってしまうと、中から本当の長く美しい髪の毛が現れる。三つ編みを使った髪形にしていたのは、少しでも現代っぽく見せるためだったのだろう。


「カラーコンタクトはそのままでもいい? 割と気に入っているの」

「もちろん。……僕は、元の目も好きですけれどね」

「ありがとう。さて、では名探偵さん――命探偵、とでも呼びましょうか? 私がこんなことをした、動機をどうぞ」


 挑発するような口調で、蔵指さんが僕の目を見つめる。カラーコンタクトと分かっていても、やはり目の色が左右で違うというのはぞくぞくする。


「僕は、探偵なんかじゃありません。ただの魔法少年です。だから、これはただの妄想でしかないですよ」


 そう前置きしておいてから、僕は話し出した。


「貴方は、文芸部を立ち上げてしまうほどの本好きです。特に、ミステリーがお好きだと。最後に出そうとしていた小説も、ミステリーだったそうですね?」


「ええ」


「じゃあ話は簡単です。貴方は死んで、幽霊になってしまった。しかも、人の目に見える、物に触れる浮遊霊に。午後六時三十七分からの一分間しか現れない、なんて嘘でしょう? 時間の具体性って、結構現実味を持ちますから。でも、人を単純に驚かすだけじゃあ、物書きのあなたは満足しないでしょう。満足しない――つまり、成仏できない」


「本当は早く天に召されたかったんだけれどね。……こんなに時間がたってしまって」


「だから貴方は考えた。自分が満足するには、どうすればいいか? 答えは『ミステリー』です。謎をつくって、解く。できれば、他の誰かに説いてもらう。『読者への挑戦状』リアルバージョン、見たいな感覚ですか? そんなとき、僕らの話を聞いた。さんざん幽霊だの何だの聞いて回った僕らです。大方、サッカー部にでも話が飛んで貴方の耳に入ったのでしょう」


「正解。……でもまさか、魔法少女かつ死神、だなんてファンタジーが出てくるとは思わなかったわ。変身、びっくりしちゃった。今時の子は大変ねえ」


「こうしてミステリーの世界を、貴方は実現させた。現代の子供に興味を持たせるために、ヴィジュアルを変えたりして。図書室でやたら真剣にライトノベルを読んでる人を見たってクラスメイトから聞きました。あれ、勉強中だったんですね。……まあ、幽霊だの死神だのが出てきている時点で一番大切な現実味はなくなっちゃってるんですけど」


 いくらかおどけて、僕は話を閉じた。


 蔵指さん――白藍さんは、軽く拍手をした。



「ありがとう。これで――」



 これで、で、彼女の言葉は消えた。



それと同時に、彼女自身も、溶けるようにして消えていった。

本当に、中途半端な人だ。


最後の言葉くらい、きちっと言えばいいのに。


謎だって、四十数年間も考えたのだ、もうちょっとマシなものもできただろう。


それは、僕ら後輩への優しさだったのだろうか。


「うーん、だから文芸部に行ったとき蔵指なんて人知らない、なんて言われたのか」


 千草はまだ指をあごに当てて考えている。

分かった、認定しよう。こいつ馬鹿だ。


「結局、あの人は何がやりたかったの? 成仏するためだけに、こんな大掛かりなことして」

「だから、遊びたかったんだよ、きっと」


四十六年間、彼女はいったいどんな風に過ごしていたのだろう。


ひょっとしたら、どこかのクラスに混じって授業を受けていたのかもしれない。

文芸部の後輩達のいる図書室で、優しく見守っていたのかもしれない。


でも、彼女はすでに死んでいる。


必要以上に踏み込むことは、できなかっただろう。

その叫びを、想いを、書き表すこともないまま――何十年も、彼女は我慢していたのだ。


僕はそれに、いわば彼女のストレス発散に、貢献できたのだろうか?

杏の罪滅ぼしの代わり、と言うわけではないけれど。

少し、気持ちが軽くなった気がした。


僕は彼女が確かに存在した文芸部部室前で、舞台を閉じるように、本を閉じるように、静かに一礼した。

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