14 本拠地へ

 宮原紡と坂下理紗子がアリゾナ州フェニックスのスカイハーバー国際空港に降り立ったのは、それから約一月後のことだ。

 あの日、日本延命治療協会の応接室で三枝木は最後にこう告げる。

「宮原さんたちのご用意が整いましたらご連絡ください。案内の手配を致しますので……」

 三枝木が自分たちに結社の秘密を明かそうとする真の理由が宮原には皆目見当がつかない。だが三枝木の言葉自体に嘘はなさそうだ。だから宮原と理紗子はそれぞれに忙しい仕事のスケジュールを遣り繰りし、出来るだけ早めに彼の地へ旅立てるように調整する。一つには長い時間が経ては三枝木あるいは結社の気持ちが変わる可能性が考えられたからで、またすぐにでも真相を知りたいという宮原と理紗子のジリジリと焦付くような感情もある。

 そんな自分で自分を追い立てるような、あるいは魚の骨が喉に突き刺さったままのような状態の一ヶ月間をどうにか無事に乗り切り、ようやく二人はフェニックスの地に降り立ったのだ。

「噂通りに暖かいのね」

「ああ、確かに」

 フェニックスは年間を通じて温暖で夏は四十度を超える気温となるが、空気が乾燥しているので不快に感じることは滅多にない。また冬でも日中の気温は二十度以上あり、朝晩の冷え込み時でも四度以下には下がらない。

 アメリカ合衆国アリゾナ州の中心部に位置する州都フェニックスは、また同州最大の都市でもある。人口は千五百万人以上で現在でも増加中だ。愛称は『太陽の谷』。基幹産業は半導体。当初はロサンゼルスやシリコンバレーに後れを取ったが、安価な労働力/広大な土地/安い税金/精密機械製作に好適な乾燥した気候/大消費地が近傍という種々の条件が相俟って一九九〇年以降、カリフォルニア州から半導体およびエレクトロニクス産業が大量に流入し、急速発展する。同時に観光及び保養都市としても開発され、グランド・キャニオン、サワロ、化石の森など、州内に十四箇所もの国立公園が維持管理されている。また古くからインディアンの遺跡/開拓時代を色濃く残す町並みなどが市内のあらゆるところに点在している。

 三枝木晴正から教わったビル内にある合衆国延命治療協会本部に赴くと宮原たちの案内役を命じられたらしい四十代前半と思しい男が出迎えてくれる。男はアメリカの一般人にしては珍しく痩せて引き締まった体型だ。

「ミスター・サエキから話は伺っております」

 男は慇懃にそう告げると自らをハイム・コーヘンと名乗る。ついで宮原たちに、「空腹ではないか?」と尋ねたが、その意味は、「これから飛行機で数時間飛んでも大丈夫か?」というものだ。

 宮原たちが、「先のフライトで機内食を摂ったので空腹ではない」と応えると、

「移動中は一部アイマスクをしてもらうことになるが構わないか?」と再度問われる。

 その要請には自分たちが置かれた立場上仕方がないだろうと宮原と理紗子は渋々ながら同意する。

「わかりました。では早速ご案内致します」

 市内の小空港まで車で移動し、そこから二十数人乗りの中型飛行機での空旅となる。中型飛行機客室内のすべての窓にはサッシが設けられ、また同時に閉じられており、フライトの間中ずっとアイマスクをつけていなければならないという考えただけでも鬱陶しい事態だけは避けられる。

 中型飛行機でのフライトは三時間以上に及ぶ。

「長いわね」

「ああ、そうだな」

 東京の調布飛行場から伊豆の八丈島まで中型機で飛行すると約一時間かかる。大島までならば約三十分だ。調布から八丈島までの距離は約三百キロメートル。……そんな条件下で三時間以上もフライトされたのだから、その後に下ろされた土地がいったい何処にあるのか宮原たちにはまったく見当もつかない。もちろん推定飛行距離の最大円は描けるだろうが、最短距離で一直線に飛んだとも限らない。さらにアメリカ国内から外に出てしまった可能性もある。

 案内役のハイム・コーヘンが自ら何も話そうとはせず、また宮原や理紗子が話しかけても必要最低限の答えしか返さなかったので――成田からフェニックスまでの十二時間以上という長旅の疲れもあり――宮原と理紗子は腹を括って寝てしまう。到着時に起こされて、そのとき時計を確認し、最終的な経過時間を知ったのだ。

「ここから研究所内まではアイマスクの着用をお願い致します」

 フライトが終了し、中型飛行機が停止したところでコーヘンが言い、二人は渋々予め渡されたアイマスクを着用する。コーヘンに手を引かれながら一人ずつ大型車に案内されると今度は約二十分の地上ドライブが待っている。車が最終的に結社研究所の敷地内に入ったらしい運転手と警備員の遣り取りが大型車の窓硝子越しに二人に聞こえ、宮原と理紗子はやっとアイマスク着用の要請から解放される。

「ふう、生きた心地がしなかったわね」

「まったくだ」

 宮原と理紗子は互いの無事を確かめ合うようにそう言い交わし、暫しの間見詰め合う。だが急に照れ臭くなったのかそっぽを向き、 

「飛行機代が向こう持ちで助かったわ」

「いや、まだわからんぞ。後で請求されるかもしれない」

 そんな軽口を叩き合う。

 それから二人は応接室のようなところに案内され、しばらく待つ。約十分が経ったところで白衣を着た研究者らしい目付きの鋭い男が部屋に入って来る。

「ご苦労、ミスター・コーヘン。後の案内はわたしが引き受ける」

 白衣の男が滑らかな発音の英語でそう言うとハイム・コーヘンが宮原たちを一瞥してから応接室を出て行く。

「ようこそ、ミスター・ミヤハラ、ミス・サカシタ。わたしはドクター・ピネハス・ゴールドシュテインと言います。さて、さすがにお疲れだろうと思いますが、どうされますか? すぐに見学を始められますか? それとも一旦、お休みになられますか?」

 宮原と理紗子はアイコンタクトで互いの気持ちを確認するまでもなく同時に言う。

「案内をお願いします」

「案内をお願いします」

「わかりました。では、どうぞこちらへ」

 そう言って、ゴールドシュテイン博士が二人にソファから立ち上がるように促す。自ら応接室のドアを開け、研究所内の通路に出る。背が高い上にノッシノッシと足早に歩くので宮原と理紗子は遅れないように駆足で後を追う。

「本日は研究所内でちょうど一組の延命治療が施されています。まず、それをお目にかけましょう」

 ゴールドシュテイン博士はそう説明すると――大学病院の手術室などに設置されている――研修観察用の見学ブースに二人を案内する。ブース内にはすでに数名の見学者がいる。その中に青白い顔をした有名業界人を見つけ、理紗子が思わず宮原の脇腹を小突く。

「ねえ、あれ、韓国のS電子の社長だわ。驚いた!」

 だが宮原はそれに応じず、ガラス下の手術台を指差しながら理紗子に言う。

「あそこにいるのは我が日本の大企業T自動車の社長だよ」

 宮原と理紗子が次に案内された部屋は標本室で大小のガラス容器の中にホルマリン漬けの各種臓器が入れられている。

「壮大な眺めですね。これがいわゆる『ダビデのパン』ですか?」

 宮原が薄ら寒く感じながらゴールドシュテイン博士に尋ねると、

「その名称は現在では使用されておりません」と博士が答える。「現在では単に大文字で提供者(DONOR)からの臓器と呼ばれています」

「その提供者がイエス・キリストなのですね。あなた方に関する噂によれば」

 すぐに宮原は指摘したが、自分がたった今口にした内容が自分で信じられない思いがする。

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