13 日本延命治療協会

 三枝木が宮原に指定したのは丸の内のビル内に設置された医療法人の事務所だ。最寄り駅で理紗子と待ち合わせ、宮原たち二人がそのビルに向かう。

「ふうん、日本延命治療協会ねぇ。面白いわ」

 ビルの案内板に記された表示を見て理紗子が言う。

「悪い冗談でなければいいんだけど……」

 日本延命治療協会は――中身は堅牢だが見かけは洒落た――そのビル十二階フロアにある。エレベーターを降り、左手側に設けられた開け放しのエントランスを入ってすぐのところで宮原が名前を告げると受付嬢が内線し、ほどなく三枝木自身が現れる。

「ようこそ、本協会まで。ご足労願って申し訳ない」

 いつもと代わらぬ丁寧な口調で三枝木が言うと、

「お久しぶりです、三枝木さん」といくらか緊張して宮原が応える。「お元気そうで何よりです。でも少々痩せられましたか?」

「わずかでも健康体に戻ったということでしょう」

 それから三枝木は宮原の傍らに凛として立つ坂下理紗子に目を移し、「坂下さんですね。はじめまして、三枝木です」と言い、深々と頭を下げる。それを受け、

「はじめまして、坂下理紗子です」と理紗子も三枝木に頭を垂れる。「済みません。ノコノコと付いて来てしまって」

 すると三枝木は理紗子に笑みを浮かべながら、「いや、あなたがここに現れるのはわたしたちには想定内でしたよ」と応じる。「では、こちらへ」

 互いの挨拶が済むと三枝木は協会奥の応接室まで宮原と理紗子を案内する。協会内のフロアには五十ほどの机があり、そこで協会員やおそらく協会に雇われたであろう事務員たちが粛々と仕事を続けている。

「結構立派なところですね。三枝木さん、N新聞社のお仕事と掛け持ちですか?」

 部屋のソファに腰を下ろすと開口一番、宮原が尋ね、

「いえ、あちらの方は手続きが済めばすぐに退社します」と三枝木が応じる。「この協会で為すことが、これからわたしの仕事となります」

「ここでは何を?」

「本協会の名前の通りの活動ですよ。ここに助けを求めに来られた方たちの延命に助力するだけです」

「例のものを使ってですか? でも法外な金額は請求する」

「拒絶反応が起きない各種臓器に日本円で数千万円から数十億円の値が付いても、それは決して高いとはいえないでしょう」

「それはまあ考え方次第ですが、どちらにしても庶民にとっては高嶺の花です」

「けれどもそういった庶民の方々にいずれ――現状では臓器提供者となっている貧しい人々のものではない――安価な臓器を供給するシステムを構築するため、それらの代金を持てる人たちから頂いているとご説明したら宮原さんのお考えはお変りになられますか? もちろんそれを実現するためには、この先何十年もかかるでしょうが……」

「はっきりした証拠があればですね、もちろんわたしは信じますよ。ですが、いくら若い頃から可愛がっていただいたとはいえ、三枝木さんがそう申されても、人の口から出た言葉をそのまま信用することはできません」

「道理ですな。ふむ。では仮にそれをご自身の目でご覧になられたとしたら、そのときはどうされます?」

「仮定のお話にはお答えできかねます。信じるか、信じないかの、どちらかでしょう」

「わたしは信じましたよ。だから、ここでの仕事も引き受けたのです」

「それはご自身でも申されたようにお嬢さんの件があったからでしょう。違いますか?」

「ええ、無論それもありました。ですが、それだけではないのです」

「わたしにはユダヤの人たちの選民思想と今三枝木さんが申された医療行為が結びつくようには思えないのですが……」

「確かにユダヤ教は古代の中近東で起こった唯一神ヤハウェを神と崇める選民思想及びメシア信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教です。もっともメシア思想は今日ではごく一部の派閥を除いて中心的位置からは遠ざけられていますが……。ユダヤ教では改宗前の宗教に関係なく『地上の全ての民が』聖なるものに近づくことができ、救いを得ることができるというふうに考えています。『改宗者を愛せ』という言葉をご存知ありませんかな? ユダヤ教の戒律(ミツワー)の申命記10・19には『「寄留者(ゲール)を愛しなさい。あなた達がエジプトにおいて寄留者であったからである」という言葉も見受けられます。 それにユダヤ教は死を現実的なものとして捉えているのですよ。ですから一般的な宗教に見られるような『死後の世界』という概念は存在しません。やがて訪れる最後の審判のとき、すべての魂が復活し、現世で貧者の救済などの善行を成し遂げた者は永遠の魂を手に入れ、逆に悪行を重ねた者は地獄に落ちると考えられています』

「つまり、やがて貧者たちにも手が届くはずの安価な臓器の研究は善行であるというわけですね」

「ええ、宮原さんの仰る通りです。けれどもそれはまだ先の話です。協会関係者たちの研究はまだそこまで進んでおりません。それに臓器の研究にはとにかくお金がかかるのですよ。そのお金を現在、協会は持てる人たちから戴いているのです」

「なるほど。手前勝手かもしれませんが、その理屈自体は理解しました。……ということは三枝木さん、あなたが参加されることを決意された日本延命治療協会とは、その元となったユダヤの臓器移植研究施術結社の日本における出先機関と考えて良いわけですね」

「基本的にはその通りです」

「……とすると、やはりその前提について伺わなければなりません。単刀直入に問いましょう。この世界にイエス本人由来の万能臓器は存在しているのですか? それともそれはまた別の秘密を世間の関心から逸らせる方便として機能しているただの偽情報なのですか?」

「ここでわたしが、それはある、と言ったとして、宮原さんはすぐにそれをお信じにはなられないでしょう?」

「ええ、それはそうです。しかしその臓器が存在する可能性を信じる気持ちが、わたしの中で高まるでしょう。でも正直言って、わたしは万能臓器の存在も、さらにはその供給元であるイエスが現実に生きているという可能性も俄かには信じられないのです」

「供給される万能臓器はレピシエントと同じHLAを持っています。理由はいまだ解明されておりませんが、レピシエントの生体組織を一部削除してそれをドナー生体に埋め込むとドナーが本来持っていたHLAがレピシエントのHLAに変化します。それが奇跡の正体です。そしてそのドナー生体については、そうですね、あなた方ご自身の目でお確かめになられることをお勧めします」


 註12 イエスが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布のこと。

 註13 一九八八年、オックスフォード、アリゾナ、スイス連邦工科の三大学において炭素14年代測定法により行われた。

 註14 一二六〇年から一三九〇年の間。

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