7 取材相手

 フィリピンにおける外国人相手の臓器の闇取引は有名で現在でも一件平均約十数万円ほどの金額で日常的に売買が行われているという。フィリピンの法律によれば外国人への生体腎移植は全体の一割以内と定められているが、実際にはそれは無視され、臓器移植を受ける患者の約六割が外国人だという。またその外国人には中東のアラブ人が多いといわれるが、日本人がいないわけでもない。そのため一時期、政府が中心になり、生体腎移植を認める制度を立ち上げようとしたが――これは考えようによっては安い金額で臓器を売らねばならない貧困層への対応策ともいえたのだが――実際には病院が手に入れた臓器を高値をつける外国人に横流しすることになるので、さすがに地元でも非難が多く、現実には至らない。

 フィリピンにおける臓器売買は一九七〇年頃から日常的に行われていたようだ。だから現在では臓器の登録システムや売買プロセスが完全に確立されており、また日本には数少ない臓器移植専門の外科医などにより、手術前後の健康管理も適切に行われている。もちろん表に出ないだけで実際には手術の失敗やそれに伴うドナーの死、あるいは悪質ブローカーの暗躍などが日常茶飯の出来事なのかもしれないが……。

「いやあ、お疲れさまでした」

 アポイントメントが取れたマニラ市内での複数の取材を滞在最終予定日の午後四時までに終え、宿泊先のホテルに戻ると宮原がカメラマン沼田を労う。

「ああ、宮原くんもお疲れさま。で、これからどうすんの? メシに行く? 遊ぶ? オイラ、多少この辺りを知ってるから案内できるよ」

 マニラばかりではなく、セブ、カランバ、サン・フェルナンドなどフィリピンに豊富な取材経験を持つ沼田は笑いながら宮原に誘いかけたが、宮原は両掌を胸の前に当てつつ、その誘いを断る。

「沼田さん、申し訳ない。実は別の取材のアポがあって、これからそちらに向かいます」

 だが宮原の心配を他所に沼田は気にした様子もない。

「ああ、そうなの。仕事熱心だね。で、何? 秘密の取材?」

「……というほどのことじゃないんですけどね。行って、話を聞いて、一時間くらいしたらホテルに戻りますよ」

「おお、わかった。じゃ、まずはそれまでお達者で」

 沼田は宮原の背中を鷹揚に叩くとそろそろ賑やかになり始めようかというマニラ市内の歓楽街に向かう。ホテルのエントランスを出るところまで沼田と一緒に移動し、その後道路に出たところで沼田と別れて先を急ぐ。沼田は歓楽街に歩みを進め、一方の宮原はこれから会う予定のフロレンド・P・アブドゥに携帯電話で連絡を入れる。

「ハロー、宮原です。フロレンドさん、これからそちらに向かいます。……そうですね。道が込んでいなければ十分くらいで着くと思います。はい。では、よろしく」

 携帯を切り、宮原が大通りに出てタクシーを捜す。珍しいことに中々タクシーが捕まらない。セント・ルカ・メディカル・センターの前でようやくタクシーを捕まえるとドアを開け、首を伸ばしてダッシュボードを覗き込む。するとメーターの電源が入っていない。それで、「メーターをお願いします」と宮原が頼む。運転手がそれに素直に応じたので宮原は安心してタクシーに乗り込み、行き先を告げる。タクシー運転手は一旦宮原を振り返り、宮原が告げた行き先を復唱する。

「ええ、そこで間違いありません」

 タイあるいは他の東アジア圏でもそうだが、マニラ市内にもいわゆるぼったくりタクシーが存在する。通常は料金メーターを倒したままで走行を終え、法外――といってもフィリピンの場合は正規料金の十倍程度だから可愛いものだが――の料金を要求するが、搭乗者の指示に従いメーターを立てる運転手の場合は安心して良い。

 ほどなく待ち合わせのホテルに到着すると、宮原はすぐに最上階のラウンジバーに向かう。エレベーターを降りると躊躇なく店内に入る。その時間帯にはまだ混雑していなかった店の奥を見やると窓の外にマニラ市内の夕景が拡がっている。その先には夕陽に輝くマニラ海が続いている。

「ミスター宮原、こちらです」

 顔写真は送って貰っていたが人物の見分けに手間取り宮原が店内をウロウロしていると待ち合わせ相手のフロレンド・P・アブドゥ記者の方が先に宮原を発見し、声をかけてくれる。携帯で聞いたときよりスペイン訛りが強い英語に聞こえたので、顔が見えない携帯電話での対応のときはいくらか気を遣って発音してくれたのだろうと宮原が気づく。

「最初にひとつ警告しておきます」

 ウエイターに席に案内されると間を置かず、アブドゥ記者が言う。

「ミスター宮原。例の件について、あなたは決して熱心な興味を示してはいけません。誰かに話すのは構いませんが、あくまで都市の噂のひとつとして話題に上がったという態度で臨んでください。よろしいですか?」

「わかりました」と宮原が応じる。「ところで、それはマニラ市内でのことですか? それともフィリピン全土ですか?」

「この国以外のことについてはわたしにもわかりませんが、できれば例の噂がある何処の国でも同じ態度で臨んだ方が得策かと思われます。もちろん、それを守らなくとも通常は何事も起こらないでしょう。ですが、日本の諺では何と言いましたっけ、壁に耳あり、ドアに目あり?」

「ああ、ドアは間違っていませんが、日本のそれは紙製なのでpaper sliding door となるんですよ。より正確に言えば木枠に紙が貼られた引き戸=ショウジですが……」

「ああ、そうですか。しかし、いずれにしても意味は同じです」

「フロレンドさん、実際問題、それはどういうことなのでしょうか? 禁忌(タブー)の一種ですか?」

 未だに自分には意味不明なアブドゥ記者の言動に宮原が探りを入れると、

「禁忌というのは、元々ポリネシアや南太平洋の原住民の間で特定の人やモノを神聖あるいは不浄として触れたり口にしたりするのを禁じた風習のことです。これを、それと同じと言って良いかどうか?」とアブドゥ記者が歯切れ悪く答える。

 それで宮原の胸に渦が巻く。

「どうも良くわかりませんね、フロレンドさん。概念的なことじゃないということですか? 単刀直入に伺えば、その、例のモノは実在しているのですか? それとも……」

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