第13話 幕間2.リリィ

 川のせせらぎと鳥の鳴き声、微かに漂う血の臭い、重い瞼を開く。

 森林地帯の川辺に野営の準備の整ったテントの中で、毛布を掛けられて寝かされているようだ。困惑しながらも辺りを調べようと、ヨロヨロと頼りない手付きで倒れた身体を動かそうとするが、崩れるように倒れ込んでしまう。自信の情けのない姿に嘆息が漏れた。


「これは…腰痛よりしんどい」


 這うように動こうとすると腹部に激痛が走り、動くこともままならないが、それが返って生きている事実を嫌でも実感させる。

 確かにあの時、あの離れの地下室で、異世界に持ち込まれた武器で撃ちぬかれた。6発装填の回転式拳銃を至近距離から5発。魔素の量が豊富といえどそんな状態では、生き残れる筈がない。


「よ、お目覚めか?」


「アルベルト…アルベルト・フォトナール?」


 差し出された手の主に視線を向けると流星にとって随分馴染み深い人物がそこにいた。手にしたエールを豪快に呑みながら、身体を引き起こされながら、自身の師の姿を凝視する。


「おうよ、嬢ちゃんに依頼を受けて、重要人物と遺体を誘拐した大悪党さ」


 特徴的な顔に奔る大きな傷跡と手に残った火傷や切り傷、白髪交じりの大柄な男。全身を艶消しが施された魔物のレーザー素材を纏ったその姿は間違いなく、自身の隠蔽技術の師であるアルベルト・フォトナール。最後に会った時と何ら変わりのない自称悪人の義賊の姿に思わず、苦笑いを浮かべる。


「お久しぶりです」


「てっきり、心がポッキリ折れたまま腑抜けになっているかと思ったが、元気そうだな。もっとも、身体はボロボロだがな!」


 アルベルトの視線の先には、自身の上半身に何重にも胴体に巻かれた血の滲んだ包帯。寝かされていた脇には、真っ赤に染まった包帯の山が出来ている。よくもまぁ、こんな状態で生き残れたものだ。


「で、俺は生きてたってことでいいんですよね?」


 アルベルトは、まるで小馬鹿をした表情を返すと、


「おめえは、風穴開けて仮死状態になって寝ている所を俺が回収。今頃、城の中じゃ棺桶の中身がないって大騒ぎしている頃だ」


 腹部に手を当てると5か所、傷口は塞がっているがまだ熱を持っている部位がある。念入りに撃たれたのは事実の筈だ。そのときの光景を思い出しながら、自身の疑問を師にぶつける。


「元の世界の武器で念入りに止めをさされたというのに…なぜ、生きているのかまるで分からないんですけど」


「ちっとは、頭を回せ。お前に風穴開けたマジックアイテムに仕込みがされてたに決まってるだろ。まぁ、風穴を開けた武器を見る限り、この世界の武器じゃないのはすぐにわかった。お前さんの世界の武器がこの世界の技術で中身を弄ってない保証はねぇ」


 ハーウェルズとの直前の会話に弾丸の精製やエングレーブなどの発言があった。ハーウェルズ本人ならば特殊な薬剤を弾丸に仕込んだり、魔術的な付加を付け加えることは可能な筈。気になる点が残るが、一応話は通る。


「気になる点は、ハーウェルズ公爵が俺を生かした点ですね。それとなぜあの場に公爵が現れたのか…王国にとっては不都合だらけの筈です」


「んなもん、俺が知るか!とりあえず、これでも飲んで待ってろ。俺の依頼人をすぐに呼んでくる」


 差し出されたエールのグラスを受け取ると、テントの外へ消えていったアルベルト。相変わらず説明の途中で投げ捨てる態度に顔を顰めながら、自身に起こった状況を振り返る。


 残された異世界人は、この世界に残された不都合な存在。重心たちにとって、召還とは切り札であると同時に経済活動を活発化させる一種の偶像。恐らく、異世界召還の伝承を流すことで国を活性化させ続けることが彼らの目的である筈だ。生かす理由がない。

 ましてや、手が込んだ仕込みで城の外に連れ出すだろうか。


「…ま、これ以上考えても仕方ないか」


 怪我人がエールを飲んでも大丈夫なのかと受け取ったグラスを眺めているとこちらに駆け足で近寄る足音。アルベルトの依頼人が姿を現したようだ。ゆっくり顔を上げて視線を向けると、


「流星!」


 個人的にあまり会いたくなかった彼女がいた。召喚の巫女リリィ・リミュエル。彼女こそが、この世界に招いた張本人。それが、王国に利用されたものだとしても、その事実には何ら変わりない。驚くような冷え切った声をリリィにぶつける。


「なぜ巫女がこんな場所にいる?」


「わたしは…」


 氷のような美しい髪が、テントの外で揺れる焚火に照らされる。今の彼女の姿は、普段着ていた儀式服ではない。清潔感のある白い素朴なワンピース――それが彼女の持つ神秘性を高めて、女神がを煉獄に焼かれていくようにも感じさせる。

 煉獄に落ちた巫女と地獄の淵に立った異世界人。中々どうして愉快な光景だろうかと表情が歪んでいく。


「巫女が出てきたということは、ハーウェルズ公爵との秘密取引か?それとも他国への亡命の為の撹乱の為に…」


 考えられる可能性を挙げている途中で、少女は零れ落ちる涙と共に声を上げる少女。小さな身体を震わせる少女に八つ当たりをぶつける程、人間性を失ってはいなかったようだと痛みの残る身体で震える少女を受け止めながら自嘲する。


「ごめん…ごめんなさい…わたしが、わたしがちゃんと…できなかったから…」


 痛みをこらえながら少女の。


「たく…泣き止んだら、ちゃんと理由を教えてくれるよな?」


 しがみ付いたまま動かない少女。傷に響いてしまうが唇をかみ締めて、痛みをごまかしながらリリィを慰める。痛みを堪える姿を酒の肴にしているアルベルトに席外せと視線を向けるが、その姿が滑稽に見えたのか口元をにやつかせながらエールを煽っている。止むを得ず、趣味の悪い師の行為をから目を逸らし、小さく頷く少女の涙が止むまで受け入れ続ける。




「あの事件の後、ハーウェルズ公爵から全ての真実を教えてもらったの…」


 リリィは、腕の中に納まったままポツリポツリと呟くように語りだす。ただでさえ儚い少女は、腕から離してしまうと風に煽られ、消えてしまいそうなまでに弱弱しく感じさせる。彼女に真実を語ったと言うことは、に利用するということだろう。


「…全部、全部教えてもらったの。召喚の為に犠牲になった命と土地の事や送還できなかった流星と送還に失敗した私のこれから迎える結末」


 小さな唇で感情の籠もっていない言葉を紡ぐ。


「異世界への門を繋ぐ、並大抵の方法じゃないとは思っていたがやっぱり、そういうことなのか?」


 リリィは、微かに頭を動かして肯定する。

 等しい価値のあるものを相互に支払い、交換する所謂、等価交換の法則。莫大な魔素を必要とする異世界の門を精製させるリスク。魔法陣の再起動させ、異世界へ送還するためには、100年にも及ぶ年月をかけた莫大な魔力の補充と星の位置の計算が重要という話ではあったが、前回の召還は50年前後前の話。

 ベルの祖父が現役の時代の話の為、前回の召還の話を多少聞き出せたときから感じていた召喚に対する違和感が解消されるた。


「たくさんの命が失われた。魔物の大群に襲われるのと同等かそれ以上の犠牲」


 異世界へ扉を繋ぎ、人間を呼び出す。それに必要な対価は、年数をかけて補充された50年分の魔素だけでは不足。召還と送還、それぞれを行う為にかなりの人数の民が犠牲になったのだろう。


「流星は、秘密裏に処理され、わたしは次の巫女を用意するために王国所属の優秀な魔術の家系の元に幽閉されて、その役目を終えたら処理される流れだったの…」


「巫女に対して…というか巫女じゃなくても、騎士団が黙っちゃいないと思うが」


 特にベルフェルドは、烈火の如く怒り狂うだろう。怒りに震えた時のあの騎士は、狂戦士のそれだ。非人道的な行いは、彼の振るう剣で引き裂かれる。

 好青年の振りをして割りと単細胞で、人間関係には察しが悪いところがあるのが致命的な問題を抱えている兄弟のような友人を振り返る。


「彼らにとって大事なことは、異界の門を開く力に目覚めた巫女の血。初代の異世界人の残した血筋を次の代へと継承させることだけだよ」


 巫女の血。

かつて召還された異世界人の子孫とも言われて、その血縁者が異世界の門を開くといわれている。

 だが、実際に力を覚醒させることができる者は少なく、その才能を開花させることができる人間は極めて稀。希少な才能を開花させた若い娘がいるとなれば、どんな手を使ってでも手に入れようと画策することは、ありえない話ではない。


「私の身はどうなってもよかったけどね。私の力の所為で、こんなことに巻き込んでしまってごめんね…」


「いいさ、おかげで生きている。それと…もう、召還したことに八つ当たりなんてしないさ。リリィを前にしたら罪悪感で傷が開いて今度こそ土に還りそうだ」


 表情を緩めて、彼女のシルクのような髪に手を伸ばす。吸い付くように柔らかく滑らかな髪質も匂いも初めて出会った時と何一つ変わらない。あの時と同じようなボロボロの身体にしがみ付いた彼女に苦笑する。


「わたしは、アルベルトと行動を共にして王国から一度亡命して、機会を窺うよ。王国の召還を止める為に戦わなきゃ…もう、異界の人もこの世界の民も巻き込まない為に」


「それは、リリィがやらなくちゃいけない仕事か?俺は君がその場に立つことを望んでいない…」


 彼女は、一度決めたことを曲げない。それが彼女を破滅に導く内容だったとしてもその道を歩み続ける。状況こそ違えど、周囲の反対を押し切って魔物の溢れる前線で魔素を受け取ることも放出することもできないこの身を献身的に支えてくれた時と同じ強い意志を感じさせる。


「心配してくれてるのにごめんね…。わたしは、すでに犠牲にした命と向き合わないといけない責任があるから、やり遂げなくちゃいけないから…」


「意思は固そうだな…」


「わたし達の行動が起こす結果を流星には見てほしい…これが、私とこの世界に対してあなたに行う償いだと思うの」


「なんだ?世界の代弁者にでもなるつもりか」


 苦笑しながら、思わず茶化してしまう。彼女がそこまで愚かではないのは分かっている。まるで、似合わないことをやっているから多少苛めたくもなる。


「もぅ!そこまで傲慢じゃないよ。これからこの世界で起きる出来事は、私達の手で解決しなくちゃいけないから…もう、召還の犠牲なんて出さないって誓いだよ!…だから流星は、巻き込まれないようにひっそり生きてほしいの」


「それは…」


 それは、事実上の別れの発言として受け取ってもいいのだろう。


「わたしから魔素を供給してたけど、消耗した魔素を私が供給してるだけで…代償だって当然あるんだよね?」


 沈黙する流星を静かに見つめるリリィ。この世界で唯一、この壊れた身体に直接魔素を補充でき、補助魔術や治癒魔術を行使する事ができる存在。体内の魔素を消費することによる代償を隠す事ができなかったようだ。

 なんせ、ずっと傍を離れずに想ってくれていたのだから当然のことだろう。


「一番あなたのこと見てきたんだもん…巫女じゃなくても分かるよ」


「リリィに向けてくる感情が重い」


 流星は、わざとらしく棒読みで茶化して沈んで重くなった空気を破壊する。近い未来、別れる事になるなら、せめて今だけは沈んだ顔は見たくない。この彼女は、もっと可愛らしく笑顔であるべきだ。


「お、重くなんかないし、大切な話なのに誤魔化そうとしないでよ!」


 腕をパタパタ振りながら身体を叩いてくる少女。彼女の筋力もないような攻撃は、怪我がない状態なら痛くもないが、この身体には地味に響く。


「その選択に後悔はないのか?」


「ちょっとあるけど、もう決めたの」


 炎の影に揺られながら微笑む彼女の姿は、なによりも幻想的で愚かで美しい。これからもリリィは、悩みはしても後悔はしないのだろう。


「さ、魔素の供給しよっか。後、傷の手当もしないと…」


「お、おい、師匠がいるから…ってもういないし!」


 少女の突然の行動に慌てる様にアルベルトの座り込んでいた焚き火の傍に視線を向けるが、そこにはすでに誰もいない。慌てながらもその気配を辿ろうとするが、この周囲にその存在を感知できない。


「意識を失ってたから治癒魔法が使えなかったけど、今なら大丈夫だね」


 気をまわして席を外したアルベルトに呪詛を送りながら、妙に張り切ったリリィになすがままにされていく。


「久しぶりだけど…えっと、頑張るから…ね?」


 真っ赤な顔をさせながら、耳元で小さく呟くリリィ。もう、どうにでもなれと考えることを止めてた男は、傷ついた身体を預けるのだった。

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