弱点

「やったああああああああ!!」


 真っ先に喜んだのは僕だった。ザンザーラが倒れたのを確認した僕は、一目散にアカリへと駆け寄り、アカリの両肩に手を置いて激励の言葉を贈った。


「すごいよ、アカリ。初めてのモンスター討伐、おめでとう」


 僕の不躾な行動に嫌な顔一つせず、晴れやかな笑顔を見せると「ありがとう」と安堵や達成感や嬉しさが詰まった一言を口にした。そうこうしている内に、ザンザーラの抜け殻は灰になって、サラサラと消えていく。

 まるでボスでも倒したかのようにはしゃいでいる僕たちを見て、アイリスが相変わらず茶々を入れる。


「何をそんなに盛り上がってんのよ。雑魚をたった一匹倒しただけじゃない」


 そんな言葉にもアカリは嫌な顔一つせずに、凄く真っ直ぐな眼でアイリスに告げる。


「あんたも、ありがとうね。助かったわ」


 そう言われたアイリスはというと、またも「うっ」と言葉に詰まって苦い顔をすると、それ以上何も言うことなく僕の右肩に腰を下ろして黙り込んでしまった。ユナンも魔導書から妖精の姿に戻り、アカリの肩の上で一休みしていた。


「それにしても、一番最初からなかなかハードなことさせるわね。普通こういうのって、最初は殴り合っていれば、倒せるようなもんじゃないの?」


 アカリは岩壁に体重を預けて座り込み、ユナンに頼んでもう一度魔導書になってもらうと、そこから薬草を取りだしそれを擦りむいた皮膚へと当てる。すると傷はみるみる内に治っていき、傷痕は綺麗さっぱり無くなってしまった。そして薬草は枯れるようにして消滅してしまった。薬草、恐るべし……。


「ねえ、これは僕の勝手な思い込みかもしれないし、答えたくなかったら全然答えなくていいんだけど、アカリって元の世界で結構ゲームやったりアニメ見たりしてた?」


 正直会ってちょっとしたぐらいからずっと思っていたが、アカリはこの世界やこの状況に順応しすぎている。僕みたいに、普段からこういう世界を想像してゲームやアニメを見てきたものとしては、こういうのはむしろ順応し易いくらいなのだが、アカリも僕と同じくらいこの世界に順応している。

 大体『グリモワール』とか『ラグナロク』とか、普段生活する中では絶対に使うことなんてない。でも、そういうサブカル的なものに触れている者なら、これらの言葉は日常的に目にするもので、特に目新しくもないので普通に使える。アカリはこの言葉を僕と同じように何の違和感も無く使っている。

 頭が良くて吸収力が高いというのならそれもわかるが、アカリは最初パラメータの平均を計算するのですら手こずっていたのだ。そんな子がグリモワールとかラグナロクとか、そんな普通に聞いたらややこしい単語を一発で覚えられる訳がない。

 そこから導き出される解答は一つしかない。


「そ、そ、そ、そんなことないわよ。ファ、ファンタジーの世界に憧れたりなんか、全然してないんだからね……」


 アカリの目がすごい勢いで泳いでいた。少なくとも、アカリが隠れオタクであることはこれで確信した。

 だがこんな異世界で、こんなどこの誰かも知らない僕の前で、そんな嘘をつく必要がどこにあるのか、僕には皆目検討がつかなかった。しかし、それを追求することはしない。


「そ、そんなことはどうでもいいから、さっさと先に進みましょう。あんまりゆっくりしてると、余分に持ってきた食料だって尽きちゃうわよ」


 どこか誤魔化すように少し紅潮させた頬を、僕の視線から外れるように逸らし、立ち上がったかと思うと早足で先に向かっていってしまった。


「ちょ、ちょっと、待ってよ……。置いてかないでって……」


 男にはあるまじき情けない声と態度で、僕はアカリの後を足早に追った。


 次のモンスターはすぐそばにいた。僕たちが戦った場所から数十メートルしか離れていないところにそのモンスターはいた。

 某RPGを一度でもしたことがあるのなら、最弱といえばこいつを想像するだろう。それこそ、僕のような装備のない人間でも殴り合いで何とかなりそうなモンスター代表である。

 アイリスの言葉を聞かずとも、そのモンスターの名前は自然とわかる。『スライム』誰しもが某RPGで最初に遭遇する可愛いあいつ。

 しかし、ゲームで見るような目や口といった顔のパーツはなく、ゲル状の物体がただそこに存在するだけで可愛さの欠片もない。その色は深緑色でどこか毒毒しさを感じる。

 ここから見えるだけでも四体近くは存在する。壁にへばりついたり、ナメクジみたいに床を這いながら移動したりしている。思った以上に気持ち悪い。歴代の主人公たちはこんな奴ら相手に素手で殴ったりしてたのか……。


「とりあえず私が行くわ。あいつらなら弱そうだし、トオルでも倒せるかも知れないけど、念には念をってことで」


 そう告げたアカリの手には既にレイピアが携えられている。早くも武器の出し入れは完璧にマスターしたようで、その慣れの速さに感服する。ってか、この子の順応の高さは恐れ入る。やっぱりスポーツ少女は伊達じゃない。


「うん、わかった。よろしく、アカリ」


 僕の言葉に小さく頷くと、アカリは先程と同じように地面を強く蹴って、一気に距離を詰める。そして、岩壁にへばりついていたスライムに向けて勢いよくレイピアを振り下ろし、スライムを叩き斬るように縦に切り裂いた。真っ二つに分断されたスライムは、流体のように原型を留めないまま地面に落下する。


「なんか、あまりにも手ごたえ無いわね。さっきのザンザーラとかいうのに比べて、あまりにも拍子抜けだわ。これなら、トオルにも、って、きゃあああああ!!」


 今までに聞いたことの無い声音で、アカリは凄まじい絶叫を奏でる。

 アカリの足を先程真っ二つに斬ったスライムの片割れが這っていた。その感触があまりに気持ち悪かったのか、アカリは気が動転して、手にしていたレイピアをこれでもかというほどに振り回す。

 どうやらスライムは斬ったところで、死にはしないらしい。分裂したまま両方とも地を這っている。


「ちょ、ちょっと。なんなのよこいつら。倒せないじゃないのよ」


 アカリの声が珍しく震えている。先程までの頼もしい女騎士の姿は、今はどこにも無い。そこにいるのは、自室に急に出てきた虫を見て悲鳴を上げているようなただの女の子だった。

 僕はアカリの元へと走って近づくと、スライムを掴んでアカリから引き剥がす。さっきから見ていると、どうやらこいつらは触っても害は無いらしい。

 だって、さっきから触ってるアカリに特に何か変化がありそうな様子は無かったから。なんかこれだけ聞いたら、僕がアカリを実験台にしたみたいに聞こえるけど、そんなことは絶対に無いんだからね。


「アカリ、落ち着いて。こいつら別に、何の害も無いよ。ただくっついてくるだけだって」


 そう言って僕はアカリから引き剥がしたスライムを摘み上げて、アカリの顔の前にそれを持ってくる。するとアカリが「ひっ」と軽く悲鳴を上げながら、一歩後ずさりした。

 その瞳には、涙が浮かんでおり、どうやらすっかり怯えてしまっているようだ。でも、いつも威勢のいい女の子の涙を浮かべる姿って、なんかこうドキッとくるものがあるよね。

 しかし僕はそんな気持ちをおくびにも出さず、とりあえず初めて触るスライムの感触を味わっていた。

 見た目ほどドロドロしてなくて、もっと水分を保っているのかと思えば、触っている手が濡れている様子もない。しかしひんやりと冷たい感触があるため、あまりなじみの無い感覚に少し違和感を覚える。

 僕があまり感じたことの無い感触を味わっていると、アカリが凄く怯えた声でこちらに怒声を浴びせる。


「早く、そいつをどっかに捨ててよ。こっちに向けないで」


 別に何か害のあるモンスターではないのだが、倒したと思っていたモンスターが自分の足を這っていたという事実が、アカリの気を動転させてしまっているようだ。

 これは落ち着かせる為にも、彼女の視界にスライムを置いておくのはあまり得策ではなさそうだ。

 僕は、何も害の無いスライムを殴って倒す気にはなれなかったので、そっと地面に置いて逃がしてやる。


「ほら、もう大丈夫。落ち着いて。こいつらは何も害がなさそうだから、放っておいて先に行こ。ねっ」


 僕はアカリをなだめるように努めて優しい声音で話しかける。アカリが小さく頷いて、浮かべていた涙を袖で拭うのを確認すると、僕は頷きながら笑顔を浮かべた。アカリもそれにつられて少し口許を綻ばせる。

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