第5話 反社会的不道徳

 ただこのような平和も長くは続かなかった。


 相撲の周辺では、相撲部屋内での暴行事件、親方の淫行事件などの不祥事が相次いで発生した。スター力士の引退、外国人力士の席捲せっけんなど、唯でさえ世間の相撲への関心が低まっていた時局にである。当然、世間は益々ますます相撲に冷たくなっていった。


 少年は現在の相撲そのものにはほとんど関心がなかったので、特に幻滅したということはなかった。とは言え、最強説を唱導しょうどうしている手前、彼とてやはり肩身の狭さは禁じ得なかった。相撲という言葉を口に出すことに、どうしても気重きおもになってしまうのである。


 また中学に上がり、人間関係が刷新されていたことの影響も見逃せないだろう。あの時、相撲最強の想いで結ばれた朋友ほうゆうたちとも、既に散り散りになっていた。加えて中学生ともなると、より話の内容が高度になっていくのは必然であり、最早もはや彼の取ってつけたような最強説や子供だましの弁論術では、太刀打ちできなくなっていた。


 こうした背景もあって、彼が相撲最強説を外部に言明げんめいすることも段々と少なくなっていった。最強説を唱える彼の威勢いせいも、明らかに衰えを見せていた。が、それでもまだ彼は信じていたのである。相撲が最強であると。


 しかし泣きっつらはち、弱り目に祟り目など、悪いことが立て続けに起こるのはこの世のつねである。彼の苦境に追い打ちを掛けるように、ある重大な事件が勃発することになる。八百長事件である。


――八百長は15日連続で出場しなければならないという事情があるから致し方ない・・・。怪我で欠場しちゃうとファンのジジイやババアが悲しむし・・・。そもそも強さには関係ないよね・・・。いや、ガチでやれば無事では済まないってことの裏返しだとも言えるんじゃないかな・・・。それだけ相撲は危険だってこと・・・。本気出せば、やっぱ最強なのは、相撲でしょ・・・。相撲でしょ・・・


 ここに至って、彼の相撲最強説は途絶とぜつの危機に直面していた。乗り越えようと努めてもいた。が、信じようとする行為は、傷に塩を塗り込むような苦しみを彼の心にもたらした。最早、信じていると言うよりは、辛うじて信じようとしていたと言った方が適切かもしれない。自分が本当に相撲最強を信じているのかすら、少年にはよく分からなくなっていた。


 本人ですらこのさまだったので、他人が相撲を八百やおだ弱いだと馬鹿にしても、もう彼は以前のように反論することはもちろん、本物を見極められない愚かな人間たちだとさげすむようなこともしなかった。それどころか彼は、人がそう思うのももっともである、相撲最強説などは反社会的な不道徳なのであるとすら卑下するようになっていた。


 相撲最強説は風前ふうぜんともしびだった。しかしまだ消えてはいなかった。たとえそれが信念ではなく、疑念という形に姿を変えていたとしても、まだ少年の心の中にかすかにともってはいたのである。そして少年はその力ない相撲最強という名のほむらを、自らの手で精一杯守ろうとしていた。

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