第21話 オボロの策略

「それは無理なご相談ですわね」


 シミョウは冷たく言い放つ。


如来にょらいさまは光をお使いになりますが、大王さまは元々地蔵菩薩じぞうぼさつさまです。

 地蔵菩薩さまは人々の苦悩を全て包み込む、無限のお心をお持ちになっておられますが、あくまでも、それのみ」


「それは、つまり――」


「はい。この場合には、ということでございますわ」


 一刀両断で切り捨てるシミョウ。

 でへへへっ、と頭をかくエンマ。

 オボロは運が尽きたことを認識した。


「お話はそれくらいでいいでしょう。

 さあ、実験の再開です」


 天草あまくさは右手のひらをくるりと返した。


 たちこめる煙幕が薄れていく中、ずるっずるっ、と湿った気味の悪い音が足元から聞こえてくる。吐き気をもよおすような音の正体が、オボロたちの出てきた屋上の出入り口から姿を現した。

 真っ赤な芋虫が、ものすごい速さで蠕動せんどう運動しながら向かってきているのだ。

 シミョウによって捕縛されていた亡者が、真っ赤なケルベロスの革で作られたロープに巻かれたまま這いずってくる。

 オボロは身体中に鳥肌がたつのがわかった。


「さあ、主役のおでましだ。かなりお腹をすかしているようだね。

 うふふ、甘美なご馳走をたらふくいただこうではないか」


 オボロは必死になって考えた。

 持ってきたバッグの中には、簡易的な占いの道具しか入っていない。風水の方位盤や十字架が、まさかこのピンチをくつがえす切り札になるとは思えない。

 切り札と言えば、トランプとタロットカードも持ってきている。

 いやいや、そんな紙製の束を投げつけたところでかすり傷さえ与えられない。


(おまえが今までその脳髄に詰めこんだ知識は、結局いざという時にはなんの役にもたたないのか!)


 自分自身に向かって怒鳴る。

 オボロは宙に浮かんだままの天草をにらみ、その横で眠ったかのようなサクラを見る。


「サ、サクラ、絶対に助けるからな!」


 あの時、サクラを解放したのは自分だ。何もしなければ、サクラが寂しい思いをしたり、こんな目に合わなくて済んだはずだ。もしかしたら、あの土地がなくなったとしても、サクラはあのまま居られたかもしれないのだ。昔から住まう、あそこに。

 土地とともに消滅するかもしれないと考えたのはオボロの勝手であり、それは誰にもわからないことであったのだ。


 百パーセントの的中率を誇る占術師として、傲りがあったのではないか。


 オボロは前方に怨霊の天草あまくさ、後方を腹をすかした亡者に狙われながら、自戒の念にとらわれていた。

 苦悶するオボロを、ジンタの純粋な黒い目が心配そうにオボロを見つめている。


「へへっ、こうやってみると、案外かわいいものだな」


 オボロその時、脳裏にわずかに引っかかるものがあることに気づいた。が、それが何であるのか見当もつかない。


「こういうのを四面楚歌しめんそか、もしくは前門の虎に後門の狼って言うんだぜ」


 エンマがつぶやく。

 サクラとジンタを土地の束縛から解放したことが、そもそもの発端であった。

 であれば、その逆も可能ではないだろうか。

 占術師として、一方向で考えるから答えがみつからないのではないか?

 占いの技術ではなく、オボロという個を俯瞰ふかんするのだ。


 落ち着け、オボロ。先ほど脳裏に引っかかったものをあわてず、かつ早急につかめ。


 再びサクラを見上げる。


「これは、もしかしたら使えるか!」


 オボロはジンタの瞳に視線を移し、叫んだ。

 シミョウはエンマを守ろうと、天草と亡者に対して腰を落として身構えている。


「シミョウ!」


 オボロはジンタを抱え上げ、シミョウの胸元に差し出した。


「このごに及んで、霊獣れいじゅうを生贄に捧げて自分だけ助かろうっていうハラなのですかっ」


 オボロはその言葉を無視し、スーツのポケットに手を突っ込んだ。

 素早く手を出すと、そこには小さな水晶玉が握られていた。

 サクラとジンタを土地に縛っていた、封玉ふうぎょくである。

 オボロはそれをジンタの口元に持っていく。


「できるかどうか、わからない。

 でもやってみなきゃあ、始まらないさ」


 賢いジンタは、オボロの真意が理解できたのか、封玉をぱくりと咥えた。


「よーし、おまえのご主人を助けようぜ!

 シミョウさんよ、私が合図をしたらそのジンタを、あの化け物の頭上に思いっきり放り投げてくれよ」


 意味が解らずハアッ? と首をかしげるシミョウ。

 オボロはきびすを返すと、宙に浮く天草の足元まで近づいた。


「ほう、命乞いですか。

 人間での実験は終わっているので、あなたにはあの迷宮で永遠に彷徨さまよっていただくつもりだったのですが、あっさりと破ってしまいました。

 となると、あなたの脳に興味がわいてきました」


 満月を背負った天草は、オボロの頭上十メートルから不敵な笑みを浮かべている。


「助けて下さい! 私は何も関係ないんだ、命だけはどうか!」


 オボロはコンクリートの上でひざまずき、祈るように胸元で両手を組む。

 頭を下げた姿勢は天草の位置からだと、無力な人間がひたすらすがっているように見える。


「ふん、所詮は自分だけがかわいいのですね。

 私もこんな人間たちのために戦い、挙句の果てに常夜送り。

 怒りや悲しさよりも、そんな人間だったころの己が滑稽に思えてきます」


 天草はエンマを見降ろし、続ける。


「あなたたちも大変ですね。

 欲望のままに生き、死してなお魂の救済を求める人間たち。嘘で塗り固めた人生を見極め、判決を下し、ほとんどの魂を天国へ送る。

 案外地獄へ送られる亡者のほうが、正直者なのかもしれませんのに」


 エンマは背後に迫る真っ赤な芋虫をけん制しつつ、天草に言う。


「なーんにも大変じゃあねえぜ、天草。

 人間は、誰しも生きている時にゃあ過ちも犯すさ。それを悔い改めるために、天国で修行するんだ。また人間として生まれ変わって、今度こそはと思いながら、それでもしくじっちまう。

 いいじゃあねえの、それでもさ。

 人間なんてちっぽけで、弱いんだ。それを守護するのが我々の使命なんだよ」


 オボロは二人のやり取りを耳で感じながら、口の中で一心に唱えていた。記憶していた、サクラを解放した時に詠みあげた祓詞のりとを。

 寒気がするほどの冷たい外気であったが、額から流れる汗がコンクリートにシミを作っていく。


「仏や菩薩ぼさつの説教には、まったく関心がありませんよ。

 そろそろ時間ですねえ」


 天草は腕を差出し、ロープにくるまれうごめく亡者に指さした。

 ゴウッ! という音とともに、拘束用ロープが緑色の炎に包まれる。


「今だ! シミョウ、ジンタを!」


 オボロは立ち上がり、振り向きざまに叫んだ。


「待っておりましたあっ!」


 シミョウは両手でジンタを頭上に抱えると、エイッ、と放り上げる。

 ジンタは砲台から発射された弾丸のように、ものすごい勢いで宙を跳んだ。

 エンマとシミョウの背後で真っ黒な灰の塊となった芋虫が、身震いする。

 シミョウはバッグから赤いロープを取り出して、構えた。

 短い四肢を広げて舞っていたジンタは、天草の頭上で口を開けて封玉を落とす。


「――祓閉給比はらいたまえ 清米給閉都きよめたまえと 白須事乎聞食世登まおすことをきこしめせと 恐美恐美母白須かしこみかしこみもまおす…… 八百万やおよろずの神々よ、我に力を!」


 オボロは両手を高々と振り上げ、落下する封玉に念のすべてを向けた。

 天草は視線を上空に向ける。

 シミョウはジンタが落下するであろうと目算する地点まで、全速力で駆けだす。

 エンマは跳びかかってきた亡者ともども、コンクリートの上を転がる。


 スロモーションで落ちてきた封玉が、ゆっくりと輝き始めた。

 天草の顔が蒼白になり、引きつっていく。

 全精力を使い果たしたオボロは腰が抜けたように崩れ、封玉の白い光を仰ぎ見た。


「な、なんだこれは!」


 天草はあわてて両腕を広げ、緑色の月から雷撃を浴びせる。何十、何百という雷の矢が放たれる。

 しかし、その稲妻はすべて光に吸収されていった。

 唖然としながら見上げる天草の顔が、白い光によって照らされる。

 封玉は丸い蛍光灯のように広がっていく。

 天草は緑色の月から力を得ようと、背後を向こうとするが、すでに封玉の力が上回っていた。


「クウッ、こんな子供だましで私を常夜にもどしたところで、同じ。

 必ず参るぞ、この世に!」


 オボロは天草に言う。


「この封玉に取り込まれたら、常夜にもどるどころか未来永劫どこにも行けないさ」


「な、なんだとっ」


 白い光の輪が、ゆっくりと天草の身体を包み込んでいく。


「私以外には、絶対に封印は解けない。申し訳ないけどね」


 天草が鬼のような形相で叫んでいるが、その声はもう届いてくることはなかった。

 完全に封玉の光に埋もれた天草の身体が、みるみるうちに小さくなっていく。

 音もなく光が弱まり、再び小さな水晶玉になると、ふわりとコンクリートの上に転がった。


「サクラッ!」


 宙に浮いていたサクラの身体がぐらりと揺れ、落下し始めた。

 オボロは渾身の力で立ち上がり、走った。

 差し出されたオボロの腕の中へ、サクラの小さな身体が包み込まれた。


「おい、サクラ! 大丈夫か? 返事しておくれ」


 オボロは大声で呼びかける。

 サクラのつむっていた両瞼がピクリと動いた。

 ゆっくりとまつ毛が開く。


「サクラ」


 オボロの声に、サクラは完全に目を覚ました。


「あれえ? わたし、いつのまにか寝っちゃたのかなあ」


「良かったぁ、なんともないかい?」


「おじさん、おはよーございまーす」


 オボロはサクラの身体を、そっとコンクリートの上に立たせた。

 サクラは両手で目をこすりながら、辺りを見回す。


「ジンタはどこにいるの?」


 テッテッテッテッ、とコンクリートの上をジンタが走ってきた。

 ピョーンとサクラの腕の中に跳びこむ。


「ジンタァ」


 サクラは満面の笑みを浮かべてジンタを抱きしめた。

 オボロは腰をかがめて、ジンタの頭をなでる。


「よくやったな、ジンタ。えらいぞ」


「おじさん、ジンタがもうコワくないの?」


「ああ。ジンタはもうサクラちゃんと同じで、かけがえのない私の友人だからね」


 ジンタは嬉しそうに鼻を鳴らした。

 シミョウが早足で戻ってきた。


「やるではありませんか、スケベ占い師さん。少しは見直してさしあげますわ」


「そりゃ、どーも。

 ところで、アンタの主は」


 オボロとシミョウは視線を動かした。


「ヒーッ、おーい、早く助けておくれえ!

 亡者に喰われちまうよう」


 エンマは亡者を抱きかかえるようにして、コンクリートの上を回転していた。


「大王さまっ、ただいますぐに」


 シミョウはバッグから何本目かのロープを取り出すのであった。


つづく

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