第18話 エンマの危機

「あれえ? 

 いったん停止いたしまーすっ」


「どうかしたかい、産土神うぶすながみ


 二階のフロアを走り切り、反対側に設置されている階段まで走ってきたのだが、サクラはその直前でストップした。

 サクラはそっと後ろを振り返る。

 外部の照明によって、薄暗くはあるが広いフロアを一望できる。

 いないことに気が付いたのだ。追いかけてきているはずの、亡者と天草あまくさが。

 エンマも振り返った。


「あららっ、いつの間に消えちまったんだい、あの化け物たちはよう」


「んーっ、わたしたちが逃げるの、早すぎたのかなあ」


 サクラは人さし指を口元に持っていく。

 ジンタは警戒を怠ることなく、耳を動かしている。

 静まり返った広いフロア。一階が食料品関係で、この二階は衣料品関係や家電の商品がいずれ置かれるのであろうか。


 しーんと静まりかえる。街の喧噪が遠くに聞こえる。

 ときおりハイビームにされたライトが、コンクリートの壁をなでていく。

 エンマは何気なく視線を防音幕の方へ向けた。

 窓ガラスが填められる予定の壁。そこは大きく四角の枠が続いている。防音幕でガードされているのだが、その幕が緑色の光でボウッと揺らめいているのだ。

 サクラとエンマは顔を見合わせた。


「今夜のお月さまは、緑色に輝いているからね。

 あなたも見たのでしょ?」


「いや、その霊獣れいじゅうに案内されながらここまで来たからさ。夜空をのんびり仰いじゃいなかったんだけど」


 エンマはそこで何か思い当たることがあったのか、ハッと顔を上げた。


常夜とこよから現れた天草に、緑色に輝く月か。

 待てよ、そういえば以前に五道転輪王ごどうてんりんおうが視察に来たときだ。そんな報告をしていたような」


「それは、誰?」


 サクラの問いかけに、エンマは顔を向ける。


「五道転輪王は、阿弥陀如来あみだにょらいのことさ。

 地獄十王じごくじゅうおうの一人だ」


「ふーん」


 サクラは訊いたものの、あまり関心なさそうに返事した。それよりも、追いかけてくるはずのオニさん役が消えたほうのことが、心配なのであった。

 エンマはサクラに階段のそばで待つように言い、カツカツと靴音を響かせながら窓枠の方へ歩いていく。

 油断なく周囲に目くばせしながら、枠に近寄る。

 サクラは退屈そうに、エンマの後ろ姿を見ていた。


 お座りの姿勢で待機しているジンタの耳が、ピクリと動く。素早く立ち上がり、鼻を動かした。

 サクラは階段のある踊り場を背中にして立っている。一階と三階を結ぶ階段は窓枠がなく、したがってその空間は暗い闇となっているのだ。


 ジンタは一声吠えると、突然踊り場から階段を駆け上がり始めた。

 サクラは持っていた紐に引っ張られる。あまりの勢いに、紐が指先から放れてしまった。


「あっ! 大変!」


 サクラは急いでジンタの後を追って、暗い階段を駆け足で上がっていく。

 異変に気づいたエンマが振り返ったその時、ヌバァッ、と目の前に亡者が立ちはだかったのだ。


「クウッ」


 意表をつかれたエンマは、一瞬とまどった。

 亡者は粘っこい唾液をまき散らしながら、エンマに襲いかかった。


「こいつっ、私を誰だと思っているんだ!」


 エンマは間一髪で亡者の鉤爪かぎつめのような細い指先から逃れ、コンクリートの上を転がった。

 亡者はシャーッと口を開き、エンマに跳びかかる。

 エンマはフロアを転がりながら態勢を整えようとするが、亡者の動きの方が早い。

 どこにそんな力を秘めているのかわからないが、緑に輝く月の光が窓枠から差し込み、亡者はそれを浴びている。


「亡者に喰われる閻魔大王えんまだいおうなんて、シャレにもならないぜっ」


 背中をテラテラと緑色の光に染めた亡者は軽々と跳びながら、キリのような鋭い指先をエンマの身体に打ちこんでくる。

 銀色のスーツは攻撃によって、袖口や背中の部分が引き裂かれていく。

 転がるエンマの身体が端の壁に追い込まれた。


「クッソウッ! こんな下衆野郎げすやろうに負けたとあっちゃあ、地獄十王の名折れよ!」


 しかし何も武器も持たず、攻撃するパワーを持ち合わせていないエンマはまさしく万事休すであった。

 亡者は腰をかがめ、腐った粘液を身体中からほとばしらせ跳んだ。


つづく

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