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 会談が終わると、マステの使者である長老院の三人は与えられたら離宮へと逃げるように帰って行った。ヴァツェルはというと、そんな三人の様子を可笑しそうに眺めていた。

 本当に、キルリアが現れた瞬間の長老たちの様子は見ものだった。

 王族らしく、ドレスを纏った彼女に最初は気づかなかったらしい。しかし、彼女の赤い瞳に捉えられたら瞬間、息を呑み、傍目にも顔色が真っ青になった。

 相手方、ライトル王国の官僚は理由が解らず、そんな使者たちの様子に首を傾げ、心配すらしていたほどだ。しかし、元凶であるはずの当の彼女も心配そうに気遣う言葉を掛けた時には、流石のヴァツェルでさえも笑いそうになった。大した少女である。憎しみを抱いてもおかしくない相手を前に、何食わぬ顔で心配して見せる。そんな芸当、大人でも難しいところだ。

 勿論、前の国王の訃報を受けて、その従兄に当たるヴァツェルに対しても、気遣いの言葉を掛けてきた。ヴァツェルもそつなく答え、キルリアが人質として生活していた際の不手際を詫びた。

 これは元々二人で口裏を合わせた上での芝居だった。ヴァツェルはマステがキルリアに対して非道な扱いをしていた事実を漏らすわけには行かなかったし、キルリアも一国の王族が仮にも国王を手に掛けてまったことを公にするわけには行かなかったのである。

 マステの国王は“何者かの奇襲を受け”、そのものを追ってライトル王国に立ち入り、そこで事故に遭い亡くなったとされた。それを見つけたのが、マステの人質となっていたが、最近、ライトルに戻されたキルリアだった、という筋書きだ。ちなみに、キルリアはマステの人質生活で闇魔術と光魔術の両方を習得していたことになっている。

色々、無茶もいいところだが、それでも間違ってはいない。

 ただ、学院でのことがあるが、それは、一部の人間に箝口令を、あまり関わりのない大多数には、記憶の封印を行えば問題ないと思われた。深く関わりの会った人々のほとんどは、ライトリアであり、彼らには国政に関する守秘義務があるからだ。だから、外に漏れる心配はあまりない筈だった。キルリアを知るライトリアたちには、政治的措置により、キルリアは身分を偽り学院に在籍していたとしてある。

 ちなみにマステ側でこの事を知り、事前に話したのはヴァツェルだけで他の三人にはキルリアが居ることさえ伝えていなかった。それも、キルリアの要望で、曰わく、「少しぐらい脅してやっても罰は当たらない」だそうだ。

 ヴァツェル自身は、それでキルリアの気が済むなら安いものだと思う。どう考えても自分たちの仕打ちにキルリアが怒るのは当たり前だし、魔王を失った今、こちらには対する術がない。

 国を潰すと言われても、あらがうことは出来ないのだ。

 会談の会場から出て、与えられたら離宮に足を向けたヴァツェルは、ふと前に立つ人に気づいて足を止めた。

「キルリア……」

 会談中は結い上げていた空色の髪を、今は解いて背中に流している。その赤い瞳が、真っ直ぐヴァツェルを捉えていた。

「じゃ、僕は先に戻ってるよ」

 キルリアの後ろにいた少年が声をかけるとキルリアは少し振りかえって、頷いた。それを確認して、少年は二人から離れていく。

「今のは第二王子か?」

「ええ。私のお従兄様よ」

 その答えに、ヴァツェルは苦笑した。

「従兄妹というより、同僚かなにかのようだな」

「否定はしないわ。……少し、話しましょう?」

 キルリアが誘ったのは、テラスだった。この王宮には、様々な庭がありそれを楽しむためのテラスがついているところもある。ここも、その一つのようだった。

 そんなテラスに並んで立つ。改めて見ると、数年前まで、自分の弟子だった少女は、見違えるほど大きく、綺麗になった。時の流れを感じながら、外の風景を眺めているキルリアを見て、ヴァツェルは静かに口を開いた。

「アイツは死んだんだな」

 我ながら直接的な言葉だとは思う。それは、疑問ですらなく、ただの確認。

 キルリアは、ヴァツェルに目を向けることなく、小さく頷いた。

「私が殺したわ」

「そうか」

 全く誤魔化しの無いキルリアの答えに、ヴァツェルも短く応えて景色に目を向ける。そんな反応を意外に思ったのか、キルリアがヴァツェルに目を向けた。

「反応はそれだけ?」

「他にどんな反応がある? それとも、どうして殺したのか聞いて欲しいのか?」

 ヴァツェルが聞き返せば、キルリアも少し苦笑して言った。

「確かに……。でも、マナト様はあなたの従弟でしょ。従兄として、悲しくないの?」

 そんなキルリアの問いに今度はヴァツェルが苦笑した。

「逆のことならよく聞かれたが、そう聞かれるのは初めてだ」

「逆?」

「ああ、王位を取り戻せて喜んで居るんじやないか、とな」

 マステは現在、国王が不在だ。前の国王の喪が明けたら、ヴァツェルが即位することになっている。そもそも、本当の王位継承権は、先々代の王がヴァツェルの父であり、マナトよりもヴァツェルが上だった。しかし、父親との確執と、マナトの強い力のために、ヴァツェルはマナトに王位を譲らざるを得なかったのだ。

「……別に俺は王位なんぞに興味は無かった。寧ろ、アイツに譲れるならいらないと本当に思っていた。……だが、アイツには可哀想な事をした」

 ヴァツェルの言葉に、キルリアは笑みを消して空を見上げた。

「……自由になれたわ」

 ぽつりと呟くようにキルリアは言う。ヴァツェルはその意味が分からず、伺うようにキルリアに目を向ける。

「彼、最期に笑ったの。ありがとうって……」

「そう、か……。それは、……良かった」

 ずっと彼は独りだったのだ。強い力は他人を惹きつけたが、同時に畏怖も与えた。どんなに取り巻きが居ようと、どんなに権力があろうと、魔王の彼には同等に話せる、同じ力を持ち、理解してくれる人は居なかった。そんな中で、唯一、キルリアだけがそれだけの力を持っていた。

 しかし、立場が違いすぎた。そして、二人とも幼すぎた。もう五年、出会うのが遅ければ、もっと違う関係を築けたかもしれない。

だが、それも仮定の話。既に過ぎてしまったことはもう取り戻しようがない。

「……これから、忙しくなるわ」

 空を見上げたキルリアが言う。

「もう、光も闇も無い。魔術は権力から切り離される。独立した、国を持たない概念となるわ」

「今度はお前が“王”として立つのか、大魔導師殿?」

 それは、先程の会談で決まったことの一つだった。

 今まで、どちらの国も独自の魔術体系を作り上げてきた。しかし、本質はどちらも同じ。だから、国が魔術を独占し、使うことの無いように、対立することが無いように、魔術は今後はどの国にも属さないことになる。そして、魔術師たちを纏め、その使用が世界を害するものとならないようにするのが大魔導師の仕事。その権限は一国の国王にも匹敵するだろう。それを、今ある国で最も大きな二国の承認のもと、この13歳の少女が得た。

 理由は簡単。体系の違う二つの魔術を両方とも理解し使いこなせる者が他には居なかったからだ。

「怖くは無いのか?」

 たった13歳の少女が手にするには大きすぎる権力と責任。怖くないわけは無いだろう。現に、国王となる予定のヴァツェルでも、国を治めることに対する不安が全くないとは言い切れない。しかし、ヴァツェルの問いに、キルリアは楽しそうに答えた。

「全然。……私は独りじゃ無いもの。ウルドやライトリアの仲間も居る。伯父様やルーク従兄様、それに、貴方もいる」

 そう言って、じっと見つめてくる赤い瞳は、強い力を持っていた。ヴァツェルは、その瞳を見つめ返して、眩しそうに目を細めた。

「……楽しみだな」

 ヴァツェルの言葉に、キルリアは頷いた。

「ええ。あの人がその命で守った世界よ。今度は私が、私たちが守る番」

「……そうだな」

 キルリアの言葉に頷いて、ヴァツェルは青く澄んだ空を見つめた。その空は、今は遠くの故郷と同じ色をしている。改めて、その事に気づかされた気がした。

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