Chapter twe  "The Devil of silver"

1

 キルリアを連れて地上に戻ったヴァツェルは、素直に従うキルリアを見て、先ほど魔王と話したことを思い出した。

『……何故あれを開放するのか、と言いたげだな』

 長老を集め、キルリアを牢から出すと宣言した魔王は、他のものを部屋から追い出し、ヴァツェルと二人きりになると、不服そうなヴァツェルにそう言った。ヴァツェルも他のものが居ないなら、魔王に憚ることはない。素直に聞いた。

『分かっているなら、何故だ?』

『俺の都合だ』

 微笑して即答した魔王に、ヴァツェルは、眉をひそめる。

『あなたは王だ。王が私情で動くのか?』

 ヴァツェルがそういうと、魔王は小さく笑い声を漏らした。

『私情か……、そうだったらどんだけましなのだろうな』

『は?』

 ヴァツェルにはその言葉の意味がわからない。しかし、魔王も説明する気はなかった様で、改めてヴァツェルに答えた。

『これは光と闇の問題だ』

『だからこそ、国で動くのだろう』

『違う』

 魔王はそう言うとはじめてヴァツェルと真っ直ぐ目を合わせた。

『これは、俺とあれの問題。国などあっても無くても同じだ』

 聞いたヴァツェルの表情が険しくなる。仮にも一国の王が言うべき言葉ではない。しかし、ヴァツェルが何か言う前に、魔王はヴァツェルから目を離した。

『お前には分るまい』

 魔王は言った。

『あれと俺、どちらが残るか。そういう問題なのさ』

『ならば、今のうちに殺しておいた方がいいのでは?』

『そうだな。だが、開放せずとも、あれは逃げる。ならばこちらから出してやった方が、害は少ないだろ? それに……』

 魔王は、目の前に置かれたグラスを手に持つ。そして、ゆっくりと揺らして、波打つ水を眺める。

『……すでに手を打ってある』

 何を、と言いたげなヴァツェルの視線を感じながら魔王は言った。

『あれは、もう俺の物……』

 その言葉の含むところに、ヴァツェルは驚き、心なしか青ざめた。

『まさか……』

『あれに“繋いだ”んだ。逃げ出せるものなら逃げ出せば良い』

 面白そうに笑った魔王に対して、ヴァツェルは青ざめ、改めて魔王と呼ばれる男の異端さを感じた。

普通なら“繋ぐ”なんてこと、そう簡単に口に出すことできない。それは禁呪ともいえるものだからだ。

自分の命と、相手の命を同調させることにより、相手を支配する呪術。

 それは、リスクの高い最高レベルの呪術だ。出来るのは、それこそこの魔王とキルリアくらい。むしろ、普通のものは出来たとしても、やろうと考えることはないだろう。

たとえば、相手が突然死んだ場合、その呪術を解除するタイミングを間違えれば、自分も死に至る。そうした危険があるものなのだ。

 先ほど、キルリアにそれを伝えた。しかし、驚きはしたものの、キルリアは取り乱すことはなかった。魔王に命を握られたも同然なのに、キルリアはほとんど気にしていないようだった。今だって、敵陣ともいえるこの城を恐れることなく、ヴァツェルの後をついてきている。

 さすがライトリアの資格を取得しただけはある。経験も技術も、昔とは比べられない程高いものを持つのだから。

 そんなことを考えているうちに、目的の部屋が見えるところまでやってきた。さすがにここまでくれば、ヴァツェルの目指す部屋がわかったのだろう。キルリアの顔色が変わった。

 そして、一つの部屋にキルリアを連れて、ヴァツェルは入る。そこはまだ控えの間。部屋の主はその奥、垂れ幕のかかった入口の向こうにいる。

「連れて参りました」

「通せ」

 短い答えにヴァツェルは入るようにとキルリアの背を押す。キルリアは、ほんの少しためらったが、静かに垂れ幕を軽く押し寄せてて一人、部屋に入った。

 部屋に入りキルリアが顔をあげると、真っ直ぐ前に大きな机があり、部屋の主――魔王と呼ばれる青年はそこにいた。机、そしてその椅子に掛ける人物まで数歩の距離。完全に彼の間合いだった。ここで仕掛けるのは自殺行為でしかない。

 確認するとキルリアは、ゆっくりと机に近付いていく。そして三歩ほど手前で止まった。

「良く戻ったな」

 彼が言う。

「まさか、戻って来るなど思ってもみなかったようでな。長老たちは、お前が逃げた時以上の混乱ぶりだ」

 彼はおかしそうに低く笑う。キルリアは、そんなに彼を無表情で見つめていた。

「ライトリアにまでなったそうではないか。さすがだな。ヴァツェルも驚いていたぞ」

「……」

「お前は、分らんかもしれないが、帰って来てくれて喜んでいるのは俺だけらしい」

「わざわざ迎えに来て下さるくらいですからね」

 呟いたキルリアをみて、魔王はその銀の目を意外そうに見開いた。

「本当に、どこでわかったんだ?」

「……部屋ごと空間を切り離すなんて芸当ができるのは、あなたくらいしかいませんよ」

「確かにあれはやり過ぎたな」

 魔王は苦笑して答えた。キルリアも魔王も、それきり黙り込む。やがて、先に沈黙を破ったのは魔王の方だった。

「あれから5年だ」

 キルリアが、はっと顔をあげる。魔王は、暗い窓の外を見ていた。

「結局、運命は変えられん」

「そんなこと……」

「分からないか? お前はこうして戻ってきた。……俺にもお前にも、もうそれほど時間は残されていないようだ」

「……分かっているわ。回り始めた運命は止められない。この5年でやっと分かった。けれど、希望を持つ事はやめない。……それとも、あなたはこのままでいいの?」

 キルリアの問いに、魔王は笑みを消した。何の表情も浮かべず、ただじっと銀の瞳がキルリアを見据えている。

「どうしようもない事だ。あきらめるより他ない。お前も覚悟を決めろ、希望を捨て現実を受け入れろ。俺もお前も、意思に関係なく動く操り人形でしかないんだ」

 その言葉は、確かに魔王の本当の言葉だった。そして、自分を殺す事に慣れた者の残された最後の思いでもあった。

 その揺るぎない覚悟にキルリアは返す言葉が見つからない。魔王は、それを見て不意に視線を外した。その一瞬、魔王の瞳に寂しそうな影が見えて、キルリアはさらに何も言えなくなった。

「もういい。下がれ」

 魔王は、もう話は終わったと、背を向けた。キルリアには、ただ頭を下げて部屋を出るしかなかった。

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