第25話:「誰がお前の許嫁だ!」

 「現在、中山艦はすでにソ連へ大使を迎えに行くための儀仗船ということになっています。そうである以上、これはすでに軍事の範疇にはない。ということは自然、あなたの確認を事前に必要とはしていないということです」

 「詭弁だ! 中山艦は今日に至るまで軍艦以外の何物でもない、どのような任務であっても、あれはあくまで軍籍であり、艦の乗組員は全て軍人ということになっている! これは軍隊の運用に対する干渉だぞ! あなたには孫中山の遺志を尊重する意思があるのか?」

 「ふふ、さすがは私の愛する人だ。すぐに国民党員が用意した理屈の裏を見抜いてしまうとは」

 「貴様という奴は!」

 蒋中正は怒りを露わにし、手に持っていた命令状を投げ捨てると、両手で彼の服の襟元を掴みあげた。

 「冷静になって頂きたい……とは言え、それも難しいですかな。私としてもわざとやっている話ですからね」汪精衛は蒋中正の威嚇に動じる様子もなく、笑みを浮かべたままだった。「私は今回の件であなたの地位に挑戦しようとしているんですよ。如何なもんですかな?」

 蒋中正は深々と溜息を吐くことで頭を冷やすと、両手を離した。そして冷たい目で彼にいった。「……どうしてこんなことをした? あなたは一体何を考えているんだ?」

 汪精衛は貼り付けたような笑みを引っ込めると、真面目な調子でこう答えた……

 「中正、私の嫁になるつもりはありませんか」

 蒋中正は大きく両目を見開くと、羞恥か怒りか判然としないまま顔を真っ赤にさせてしまった。

 「な……! 貴様は突然何を言い出すんだ!」

 「あなたは私がどうしてこんな事をするのかと尋ねる。だったら私は答えましょう、あなたの心を手に入れるためだとね。私の考えはこうです。徹底的にあなたを打ち負かし、あなたを征服する。そうすることによってのみ、あなたの心は私に帰順するのです。あなたの心が私の下に属するまで、私はあなたへの挑戦を続けて行きます」

 「ふ……ふざけたことを……」

 「安心してください。北伐に影響がでることを心配する必要はありません。私たちが二人で一つであれば、天下無敵です。それに、これこそが孫中山女史の遺志なのですから」

 「なんだと……何を言っているんだ……?」

 蒋中正の怒りは殺意へと変わりつつあったが、孫中山という名前を耳にすると、彼女はその続きを聞かざるをえなくなってしまった。

 「遺書ですよ。あなたの他に、私もまた彼女直筆の遺書を受け取っているのです。彼女の意志とは、私たち二人が結婚し、この国家を治める最強の伴侶となることなのです! 彼女はまた遺書の中で私にこう依頼しています。ちゃんとあなたの面倒を見てくれってね! 言ってしまえば、中山女史の采配においては、あなたは私の許嫁というわけですな」

 「誰が着様の許嫁だ! 彼女はそんなことを言っていない! 仮に彼女が貴様に私の面倒をみるように頼んでいたとしても、それは貴様の言うような意味ではない! 私が貴様と結婚することなど絶対にあり得ない! 絶対だ!」

 「ふふ、私としては強いあなたが大好きなのですが、今回ばかりはあなたの負けですよ。あなたは大人しく事実を認めるしかありません」

 「貴様は中山艦を指揮したぐらいで私を屈服させられるとでも考えているのか? あまりに楽観的というものだぞ、それは」

 「もちろん、私だってそこまで楽天家ではありません。けれど、今のあなたには中山艦を解放する以外にできることはありますか? もしあなたが艦を出さないというのなら、国軍が国民政府の命令を拒絶することになる。世間は一体どんな連想をするでしょうね? そうなってからあなたが中山艦を手放したくなったとして、私がどう出るか、お分かりでしょう?」

 「く、くそっ……」

 蒋中正は唇をきつく噛みしめ、頭を高速回転させながら、目の前のこの現状を分析しようとした。

 汪精衛の言葉は間違いではなかった。李之龍は国民政府からの命令を受け行動していたのだ。蒋中正の許可を得ていなかったとはいえ、彼が国軍の軍人である以上、国民政府からの命令を拒絶するというのは、無理な話なのである。

 いわゆる「政府は汪精衛に、軍務は蒋中正に帰属する」という規矩もまた、国民党の上層部にいる人間の間における共通認識に過ぎない。一般人民と兵士の理解としては、国民政府と国軍は一体の存在であり、全ては北伐のために結成されたもので、孫中山の遺志を継いだ集団、ということになっているのだ。国軍が公然と国民政府の命令を拒絶することは、この両者の関係を破壊することを意味する。

 そうなれば、北伐にあたって修復不可能な傷を持ち越すことになるだろう。

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